2023年は月記を毎月書きました。 アウトプットをする事を念頭に置いていると,自然と自分と向き合う機会が増えて日々の暮らしにも深みが出た気がしています。 分かった気になった途端,その事柄は新しい顔を見せてくれなくなる。思考を続ける事で,新たな発見は続く。 それは自分自身にも言える事だと気付きました。私自身が私を興味深く見守っているような感覚で生活していると,物事を俯瞰で見られるようになる。そうすると目の前の事柄の,さらに先がちょっとだけ見えて来る。 何か起こった時に逃げる
大好きな秋。 友人から「秋らしい事がしたい」と連絡が来たので,この秋を余す事なく楽しむべく我々は広島の奥地(三原)へと向かった。 目的は紅葉を眺めながら頭を空っぽにする事。 渓流や風に揺れる木などの自然音しかしない中,ピクニックマットに転がり目的通り赤や黄に色づいた木々をただ眺める。最高。しかし舞い散る紅葉の中で頭は冴え渡っていき結局色々と話が弾んでしまう。 「多様性って言ってりゃ良いと思いやがって」と友人は世間に対する不満をこぼし始め,話は尖った方向へ。多くの人が他人
10月はいろんな場所に行っていろんな人に会った。中でも久々に会った大学時代の友人は良い意味で変わってなくて,まるで昨日も会っていたような感覚で会話をした。 大人になるにつれて変わった事も多くある中で,共通して変わらず好きな事があって,それは読書だった。 「最近のおすすめある?」と聞くと当然のように最近読んだ中でのベスト3が出てくるあたり,読書が日常にある事が分かる。こういう人にとっての読書は趣味というより,食後のコーヒーくらい日常生活の一部に近くて,手洗い後にハンドクリー
ミロのヴィーナスに両腕があれば,これほど考察される事はなかったはず。普通あるはずの両腕がないばかりに,腕がないのはなぜ?腕があったならばどんなふうだった?という具合に,ああでもないこうでもないと思いを巡らせる事となる。 この違和感は人々の心を掴んで離さない。完全体であるミロのヴィーナスよりも「ない」ものが「ある」というヴィーナスが人を魅了するという矛盾。こういう違和感について思考を巡らせるのが好き。 整然としたものは気持ちよく美しいけど,なぜこうなの?という感覚は私を一度
好きな歌で「楽しいことばかりじゃないはずなのに,いつもあなたは笑っているわ」っていう歌詞がある。 時折それを思い出しては, 辛くてもにこにこしちゃお〜っと, なんて思いながら暮らしている。 脳は意外と単純で,表情によって気持ちをコントロールできる(心理学でいうところのジェームズ=ランゲ説)。 音楽に置いてメロディを重視するか歌詞を重視するかは人によって(また歌によって)違ってくるけど,やはり刺さって抜けない歌詞というのはある。触れた音楽や文学は目に見えない服のように人にま
「考え過ぎると悩みに発展してしまうから,深掘りをしない事だよ」と友人に言われた事がある。小さな気付きを突き詰める事で発見する事は多いけど,つつき過ぎてはぐちゃぐちゃになってしまう。友人は,私が自分の考えによってがんじがらめになっているのを思い遣ってくれたのだと思う。と同時に,それを友人にも悟られてしまった事に恥ずかしくなる。 私は特に物事を深く考えてしまうクセがあるので,何かを実践する時には早々に思考を切り上げてあげないといけない。じゃないと,助走を付けるだけ付けてスタート
不完全であることを許そうと思った月だった。 6月。 私はたくさんの事を一度に出来ない。 目の前にあるものにしか集中出来ないし,集中できる時間が確保出来ないと取り掛かる事も出来ない。だから並行作業が出来る人を尊敬する。並行作業が出来ないぶん自分なりに工夫して,それなら分散しよう!と朝はコレをやって夜はソレをして、、それが無理ならアレは明日にして。みたいな事をして生活を乗り切っている。 言葉にすると不便そうな生き方に見えるけど,このやり方が性に合うので気に入って励行している
言語は偉大。 あらゆるものは言語化され,言語化出来ないという表現で言語化されるものまであるほどに偉大。 コミュニケーションを取る上でも重要な役割を担っている。手話やジェスチャーの裏付けとなるものもそう。赤いものを説明する時に「赤い」という言葉は不可欠。だけど,情熱の象徴である赤いものを見て冷静な気持ちになる人も居るかも知れない。ハッピーの象徴である黄色や桃色を見て暗い気持ちになる人だって居るはず。それはなぜ?という問いを言語で説明する事はかなり難しい。 昔,友人との会話で
本日は4月31日ですね,さて4月の月記です。 ふう〜4月中に間に合って良かったですう〜(圧) 昨年末くらいから嬉しい事に絵やデザインを止めどなく色んな方が頼んでくださってひたすら描いてきました。自分のデザインしたものや絵を使って貰える事が嬉しい。なんとなくちょっとパワーアップです(当社比1.5倍) 依頼されたものは全て入稿し,昨日は絵の搬入も終わって少しほっとしてます。 色々終わってみて振り返り,改めて任せてもらえた事自体が嬉しくて幸せ。期待に添えたかなと不安は残りつつ
人を信ずることはもちろん遥かに人を疑うことに勝っている。私は人を信じ過ぎる欠点があったとしても,絶対に人を疑い過ぎる欠点はないようにしたいと思う。 というのは吉田松陰の言葉。 時は遡り,共働きの両親の代わりに行った兄の大学の卒業式で,学長さんが挨拶の中で仰った一節。とても納得してしまい,忘れないように心の中で反芻して式が終わってから携帯にメモをした。 世の中には悪い人も沢山いて,誰彼構わず信じられたものではない。でも人を疑いながら生きるのはとても窮屈な気がする。疑った先
2月。 やっぱり苦手な月です(一昨年もそんな内容を書きました)。楽しくて幸せな事ももちろんあったけど,特に今年の2月は辛い事の方が多かった。 その中のひとつが骨折。 ちょっとした不注意で肋骨を骨折(もうほぼ完治),左手中指の骨はヒビが入り未だ完治せず。人生で初めて骨折をしたけど,皆さん骨は折らない方が良いですよ←当たり前 肋骨骨折して1週間くらいはクシャミや咳すら痛い。笑っても痛い。笑っちゃダメと思うほど他人の些細な一言がツボに入る。ツボが浅い私にとっては非常に辛かった
木の葉に滴る雫。こうした雫の中にも世界があるのかも知れない。この中で生物がコミュニティを作っていて,地球のような星が存在していたとしたら。 地球は球体でありながら,様々な顔を持っている多面体のように思っている。球体は仮の姿でその実ナントカ角形なのだ。 幼い頃からそんなことばかり考えていたから,小さな紙切れ一つ,道端で拾った綺麗な石ころ一つ,折れた鉛筆の芯一つにしても手離すのに苦労する子どもだった。自分の手から離れることでこの中に存在する(かも知れない)文明を壊してしまった
秋は人をもの思いにさせる。 暑い夏が終わって過ごしやすくなる頃。 少し冷たく張り詰める空気や,名残を惜しむ暇もなく夜空を引き寄せる一瞬の夕暮れ。 秋は大好きな季節。 結局のところ。 SNSに溢れる思いを綴っても,見て欲しい人は頭に浮かんでいてその人に見てもらえなきゃ意味がないと気付いた。それから本当に伝わって欲しい事は相手にちゃんと言おうと思いSNSに言葉を載せるのをやめた。 Instagramのキャプションに何も書かない理由のひとつはそれ。 言葉はナマモノ。 思った時
感受性が強すぎて,些細なことでも意味を含んでいるのではないかと思って生きてきた。 あの人のあの時のあの表情は,実は言動とは裏腹であんな気持ちだったんじゃないかと5周も6周も先回りしてしまう。 そんなことをしていると,心を擦り減らしてしまって当たり前だ。 自分のしたことによって他人の人生が良くなるなら是非そうしたいと思っていたけど,それは必ずしも善意ではない。 自分の気持ちがおさまらないという感情の元で働く善行は果たして善行と言えるのか? 他人によく思われたくて親切に
11/3 私らしくない一日だった。 一言で片付けてしまうには勿体ない今日を日記に記してみることにする(因みに日記も私らしくない)。 男,女と分けることで性別に胡座をかく周りの人達を昔から疑問に思っていた。 差別,男尊女卑,男勝り,女々しい,レディースデーetc,その話題にはいつもネタが尽きない。 戦争の歴史は宗教の他にも男女という性別に固着した人達に起きた物語かもしれないと歴史の授業中に考えていたのを思い出す。 学生の頃,付き合ったとカウントするに値しない付き合いを除くと