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過去・未来ぼくら対せかいⅡ

新生活が始まり、三ヶ月。
私は改めて自分の人生について考え直そうと思いました。
「過去」のこと、「未来」のこと、
そして内在する自分の「せかい」と
私の周りを取り巻く「世界」について、改て問うてみようと思います。

前回のあらすじとして、私は三ヶ月前にある大学に入学しました。
そこでさまざまな葛藤を経て、私の人生に影響を与える人物に出会ったのです。

それからというもの、私は何か言葉にならない焦燥感を感じていました。
この感情が一体どこからきたものかも、どうすれば抑えれるかも、わかりません。
思えばずっと何かに追われているような気がします。何かを成し遂げなければ、何かを得なければ。生産性、コスト、時間、焦る、焦る、、、

ここ三ヶ月ずっとこの調子なもので、落ち着く時間があまりありません。
視界不良のこの長いトンネルに入る前に少し戻ってみましょう。

私は6歳で都会から少し田舎の地方に引っ越しました。
都会の頃の2歳からの付き合いの友人は今でも絶えず交流があるほどです。
引っ越してからというもの、偏見かもしれませんが、いわば田舎の悪いところを身をもって経験しました。
そりゃそうです。地方の子供達からすれば、都会から来た部外者です。
そこから小学校に上がり、10歳になるまで部外者という看板をいかに捨てるかを潜在的に考えていたのかもしれません。だから私はいわば空気を読むという能力に長けていることに気づきました。
しかし、私はそこから抜け出したい。という思いを胸に中学受験をしました。もともと英語が好きだったのもあり、それらを武器に急に中学受験。
本当に親には相当迷惑をかけてしまったと思います。
散々様々な塾を探し回り、やっと入塾。そのまま、とんとん拍子で中学にあがりました。

私の中学校は長い歴史のある元女子中高で、私の入学時にちょうど男女共学となりました。
もともと、男子とワイワイするより、女子と話す方が得意だった私にとってこの選択は英断でした。
ぼんやりと生きた中学時代ですが、大きく三つ得たものがあります。

一つ目、私は友人を得ました。
高校を経て、大学に入ってからも未だ交流がある親友が二人います。一人は、少しシャイで、スポーツ万能。やんちゃと言うには常識があり、真面目と言うには未だ反抗期をかじっているような男の子です。
彼は中学二年生の夏、母を亡くしました。
彼の母にはよくお世話になりました。彼も母のことがとても好きだった。
あの頑固な奴が唯一手放しで安心できる存在だったと思います。私も葬儀に参加しました。
あの時の私の前で強がって、しかし何かにつかんでいないと倒れそうな彼は今でも私の瞼の裏に写っているようです。その日から彼は学校に来なくなりました。遊びに誘ってみたり、映画に行ったり、いろいろしました。少しでも彼に元気になって欲しかった。その流れで彼は中学を退学し、そのまま会う機会も減っていきました。
高校生になり、急に連絡が来たかと思うと、金がないやら女の話やら、親父にするような相談を私に吐いていきました。「しょうがないなぁ」といつも思い、助けたいと思わせてくる。
そんなもう一人の弟のような親友です。
二人目は、優秀な芸術的思考を持ちながら、自分に素直に人生を闊歩している女の子です。本当に双子の姉弟きょうだいのような関係です。付かず離れず、困ったら頼る。急に愚痴を吐きにいくのに全く躊躇しない相手です。もしかすると、本当の家族より話やすいかもしてません。
現在の私の状況を話しても、特に解決するわけではありませんが、話しているとなんだか笑えてくる。そんな人です。彼女は今不鮮明な自分と戦い、それでも自分の好奇心を見失わず、浪人生として日々大学受験勉強に勤しんでいます。自分を見失わないと言う点で彼女はとても才能があります。三年間自分とあまり合わない人間の渦の中でそれでも自分が誇れるものを見失わず、頭のてっぺんから今立っているところに一本の絶対的な自我を宿していました。家族よりなんでも話せるそんな親友です。

二つ目私は恋人を得ました。
私の人生を大きく揺らしひとです。私は中学一年生の頃彼女に一目惚れをし、そのまま現在で7年目を迎えました。
彼女がいなければ私は間違いなく完全に芸術大学に進学していましたし、逆にもっと資本主義的思考で、私の根っこにある負けず嫌いが加速していました。今もなお私に絡みついてとれないこの比較癖の治らない負けず嫌いな私の唯一のダムです。
勝つことでしか、誰かより上にいなければ、自分の存在意義を見失ってしまう。そんな私なので、よく人から嫌われます。
もちろんそんな背中を見てくれる後輩も存在し、こんな私に手を差し伸べてくれる大人もいます。しかし、それだとかなり疲れます。ずっと何かと戦っている。しかもそれが自分ではないときた。勝手に比較し、勝手に戦う。さらに最近では勝手に落ち込む。
そんな私にとって私を無条件に肯定してくれる人だ。

三つ目私は後輩を得ました。
この頃はまだ本腰が入っていませんでしたが、この頃私の妹のような後輩ができたのです。

これらが私の中学で得たものです。
なんとも普通の少年だった頃の話。このまま何事もなければ、あの人に出会っていなければ、あの場にいなければ、なんの変哲もない人生を送っていたことでしょう。そしてそれがなんとも幸せなことでしょう。
あの頃は確かに何かを見ていました。ただぼんやりと校庭に寝そべり、ただぼんやりと空を眺めていました。
現実も超えた好奇心と憧れをただぼんやりと眺めていたのです。
いつからでしょう。
あの頃のワクワクが消えたのは。
おそらくその答えはここ数年の話でしょう。
今私はどちらかというと大人に近付いている私が悲しくてなりません。
それがなんとまぁ、残酷なことか。
視界はやけに綺麗に見えはしますが、
キラキラとはしていないのです。


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