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海のまちに暮らす vol.14|畑、スタート

〈前回までのあらすじ〉
うずわとレンコンのピザを食べた僕は、生きることと遊びについて、それから幸せな偶然を手に入れることについて一通りの考えを巡らせることになった。

 朝起きてすぐ、畑まで歩く。今日から正式に自分の畑をはじめることにする(この連載では便宜的に「僕の畑」と呼んでいる。それはつまり真鶴出版で借りている耕し手のいない共同農園の一角のことだ)。

 駅を越え、坂を下る。真鶴出版の裏手にあるこの畑は、長いこと休耕していて、今では春の野草が伸び放題に生えている。それはまるで教師のいない公立中学校の教室のように伸びやかな自由奔放さを放出しているようにみえるから、僕は懐かしくなる。管理する者のいない畑は、誰に言われるともなく草原になろうとする。そこにはより逞しく荒々しい植生に立ちかえろうとする強い意志がある。しかし、人間が農作をはじめる以上、植物と我々のあいだにはある程度の妥協点、あるいは落とし所のようなものを設ける必要がある。そういった線引きのために僕は余分な草を刈り倒し、土を混ぜ、虫をつまみ、新しい管理の元にこの土地を踏むことになるのだ。畑、スタート。

 ここは共同農園だから、その畑の区画に隣り合うようにして近所の人たちの畑もある。みんなそれぞれ立派に野菜を育てている。僕の畑だけがまだ何も開始されていないから、一区画だけ周りから浮いて見える。一箇所だけ空っぽで具の入ってない幕の内弁当みたいに。

 畑に行くと、イトウさんがジャガイモの苗周りの土を整えていた。

「おはよう、暑いね」

隣の畝(土を盛り上げた細長い山のこと)にはタマネギも植えてある。青々とした茎と葉が、侍の髷(まげ)みたいに土から飛び出している。畑が隣同士ということもあって、時々話をする。イトウさんはこの後サッカーの試合に行くらしい。シニアリーグの現役プレーヤーなのだ(ちなみにポジションはボランチ)。もう帰るから、と耕作用のクワを僕に貸してくれた。

 反対側ではサトウさんがホウレンソウを植えていた。ライトブルーのシャツに白いキャップ。サトウさんの畑はなんというか、野菜たちの勢いがいい。スナップエンドウは僕の背丈ぐらいまである立派な葉を茂らせているし、その奥にはナスの苗が土の上にくっきりとした影を落としている。畝はきれいに揃えられ、その上には一定の感覚を空けて、規則正しく野菜が植えてある。几帳面できっちりとした畑だ。育てている種類も豊富で、ジャガイモ、インゲン、スナップエンドウの他に、ナス、レタス、タマネギ、トマトなんかもある(たぶん他にもまだあった気がする)。これからオクラも植えるらしい。

「僕のところ今なんにも植えてないんですけど、何育てたらいいですかね」と訊くと、「ジャガイモはもう終わっちゃったから、トマトがいいよ」と教えてくれた。トマトの他にもインゲン、キュウリなんかもいいのだそうだ。ナスはちょっと難しめらしい。要するに夏野菜ということだ。

「トマトは農協に苗が売ってるから、それ買ってきなさい。植える時はこうやってね、花がこっち(自分の側)向くように植えなきゃダメだよ」

 サトウさんはそう言って、自分の育てているトマトを見せてくれた。隣にかがみ込んでそれをみる。たしかに、トマトの花はどれも僕と佐藤さんの方を向いて生えている。

「どうして花がみんなこっち向いてなきゃいけないんですか」
「花がこっち向いてるとね、実がなった時も採りやすいでしょ。それに具合が悪くないか点検できるし」

 そう言いながら、サトウさんはトマトの茎をパチンパチンとハサミで切り落としていく。枯れた茎や葉を切るのはわかるけど、けっこう元気な茎まで躊躇なくどんどん切るから、僕はどきどきしながらそれをみることになる。

「どうしてそんなに茎を切っちゃうんですか」
「切らないとね、こっちの茎にね、余分な栄養がいっちゃうから」
「でもその茎まだ元気そうですよ」
「メインの茎だけ残せば、あとは多少切っても大丈夫」
「でも僕、どれがメインの茎なのか全然見分けつかないです」
「慣れれば、わかってくるからね」

 慣れれば、って、どのくらいだろう。僕は畑を始めてまだ1日だから植物の細かい違いがわからない。どういう状態が野菜にとって「良い」のかを知らない。そういう知識は畑をやっているうちに自然と身についていくのだろうか。サトウさんは野菜や土のことに詳しい。動作の1つ1つはゆっくりだけど、判断が早いのだ。僕は、サトウさんが羨ましい。サトウさんの畑みたいにいろいろな野菜を育てられる畑にしてみたいと想う。僕はゴム長靴を履いたまま沿道の脇に立って、サトウさんの畑と僕の畑を交互に見比べてみる。僕の畑は雑草がわんさか盛り上がっていて、公園の空き地みたいに見える。なんだか月とすっぽんのような光景だ。

 でもこれからこの畑がどんな風に変わっていくのかを想像してみると、どことなく幸福な気持ちになれた。それは、絵を描き始める前に、真っ白な画用紙をただぼんやりと眺めている時の感情に似ている。まだ鉛筆も手に握っていないし、何を描くかも決めていない。そういう時に感じる、じんわりとした期待感のようなものを、この時僕は感じていた。幸福な期待感のようなものを、温かい塊として体の中に感じたのだ。そういう体験は初めてではなかった。けれど、そういう感情になったのは久しぶりだった。

「草を抜いて、土をつくらなきゃいけないな」

 サトウさんは僕の畑に来ると、そう言った。何かを植える話の前に、まずはこの一面に生えた雑草を根っこから抜かないことにははじまらない。ちょうどそこにサムカワさん(vol.7に登場、同じく畑メンバー)も通りがかり、3人で僕の畑をどうするか話し合った。3人寄れば文殊の知恵。正確には僕を除いた2人の知恵を借りた結果、サムカワさんがスコップとクワを貸してくれることになり、早速僕は草抜きにとりかかった。スコップのふちに片足で体重をのせて、土深く突き立てる。それからテコの原理で草を根っこから掘り返す。これをとにかく繰り返した。なかでもイネ科の草は、すごく立派な根を持っていて、なかなか土から抜けなかった。草だけ刈り落とせばラクなのだけれど、そのやり方だと根が残って再び生えてきてしまうのだ。額に玉のような汗が浮かぶ。

 畑のほとんどは雑草で埋め尽くされている。しかし、そのなかに見覚えのある草があった。

「これ、パセリじゃない?」

 そこには青々としたパセリが一株、雑草に紛れて育っていた。去年、休耕する前にトモミさん(真鶴出版)が育てていたものが一部残っていたのだ。サトウさんに訊くと、「パセリもそうだし、あそこに春菊、ここに分葱(ワケギ)も生えてるよ」と言う。分葱は刻んで味噌汁に入れると美味しいらしい。よくみると、僕の畑には雑草に隠れるようにして、食べられる野菜がところどころに、ちょっぴり生えているのだった。後ろの茂みにはフェンネル(ハーブの一種)も育っている。これらはみんな、休耕する前に植えた野菜の生き残りだという。パセリたちは、雑草を抜いて土ができたら植え替えることにする。間違えて今引っこ抜かないように、慎重に草を取っていく。大汗をかきながらクワをふるっていると、徐々に畑がすっきりしてきた。ここでは具体的な動作によって、具体的な成果を得ることができる。今日の作業はここまでにする。

 腕時計に目をやると、10時半をまわったところ。1時間と少しの運動で、全身の筋肉がブルブルと踊っている。特に背中と太ももが、馬のように疲れてしまった。もうくたくただよ、という言葉の「くたくた」のオノマトペを考えた人はたいしたものだ。僕は今まさにそのくたくたの表現上で息を切らしている。

 こうして、僕の畑が動きはじめた。といっても、キーを回しエンジンがかかりはじめた車のような状態だ。まだ正式に走りだしてはいない。便宜上、僕の畑とは言いつつも(というかここは真鶴出版で借りている畑なのだが)、当然ながら僕1人の力で立ち向かっているわけではない。初日にして既にあちこちから助けられ、教えられて、進んでいる。やっぱり1人では何もできないのだな、と思うと同時に、ここが僕の畑であり、これから自分の手で何でもつくっていける、という余地があることが純粋に嬉しい。この喜びには揺るがないものがある。絵筆をとって、「これからどんな絵を描いていこうか」と想像を膨らませていくように、自由に、試行錯誤しながら畑をつづけていくのが楽しみだ。


vol.15につづく










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