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海のまちに暮らす vol.13|ゲームみたいな暮らしです

〈前回までのあらすじ〉身の回りを清潔にすることによって、新しい自分自身と出会いつづけている僕の今の生活は、旅をしているようなものなのかもしれない。同時にこのエッセイは移住記でありながら紀行文、小説、さらには詩のようでもあるのだった。

 ピザを食べるために坂を登っている。向かう先は駅前の店〈真鶴ピザ食堂KENNY (ケニー)〉。東京から真鶴へ移住してきたケンスケさんとニチカさんがやっているピザ食堂だ。僕は真鶴に住みはじめてまだ3週間と少し(原稿執筆時)だけれど、もう既にいろいろな人から「ケニーに行ってごらん」と言われている。休日に店内を覗くとお年寄りから若者まで幅広い層の人たちが訪れていて、みんな同じように円いピザを食べて談笑している(店の外からもそれがわかる)。ピザ屋ではなくピザ食堂という名前であることも、僕は気になっている。ピザ食堂、ゾウ屋敷、ゲートボール酒場──。絶妙にありそうでない言葉のマッチングは、心地の良い違和感と新しい印象を一緒に連れてくる。

 僕はピザという食べ物が好きだ。しかしこれまでピザを食べた経験を数えると、ちょっと驚くほど少ない。ピザを食べられる店が過去の住まいの近くにほとんどなかったからだというのもあるし、あるいはピザを食べたいという欲求が他の何物かによって退けられていたからなのかもしれない。東京は情報の交通量が多すぎて、時々自分が何を食べたいのかさえよくわからなくなる。

 「ケニーに行ったら、うずわとレンコンのピザがおすすめだよ」
 以前どこかで誰かにそう言われたような気がしたから、あまり迷わずにそれを頼むことにした。「うずわ」というのが何かわからないので、注文して出来上がるのを待つ間にGoogleで調べてみる。どうやら宗太鰹(ソウダガツオ)のことをうずわというらしい。特に塩に漬けこんだものを「塩うずわ」と呼び、西湘から伊豆にかけての郷土料理なのだそうだ。階段を上って2階席に荷物を置く。

 あらかじめ渡されていた通信端末が音をたててピザの完成を知らせたので、僕はカウンターへそれを受け取りにいった。ピザを両手に持って再び階段を上がる。2階席は広々としている。アメリカンダイナーと古民家を足して2で割ったような、スタイリッシュだけど不思議と落ち着きのある空間だ。向かって左側の壁にはワイドなガラス窓が取り付けられていて、真鶴駅の様子がよくみえた。まだ電車の発着時刻ではないから、駅舎は比較的しんとしている。どういうわけか店の奥にはダーツボードとダーツのセットが置いてある。わりに本格的なやつだ。たまに誰かが来て遊んでいくのだろう。ピザとダーツはなんだか悪くない取り合わせのように思える。

 両の手で慎重にアルミ皿を支えながら、つるりと磨かれたテーブルの上にピザを着陸させる。円盤状の巨大な宇宙船を音もなく砂漠に不時着させるみたいに。ピザは濛々と湯気を立てている。あらかじめ6等分にカットされた、その1片をそっと持ち上げる。熱く溶け合ったチーズが柔らかな糸となり、分断を引き止めようとする。僕はその6分の1の1切れを口に運ぶ。円グラフでいう16.6%ぶんの面積の分布を味覚として受け入れる。

 はじめに穏やかな塩辛さが寄せ波のようにやってくる。それはミラノでもシカゴでもなく、日本の海の香りがする。その香ばしさの波の合間にカツオの気配を感じる。おそらくこれがうずわなのだろう。スライスされたレンコンはさっくりとしていて食感を豊かなものにしてくれる。うずわとレンコンという、本来交わることのない海のものと陸のものが柔らかなチーズによって付かず離れず、ひとまとめにされている。本来ならハーフ&ハーフ(1枚のピザで2種類の味を組み合せることができるオプション)を頼むところだけれど、この日の僕はレギュラーサイズの1枚すべてをうずわとレンコンで堪能した。1人でピザ1枚を平らげるシーンでは、競合(ピザを食べるうえでの)というものが存在しないから、相手より1枚でも多く食べようなどという余計な争いに発展することがない。この独占的な喜びは、ケーキを1人ホールで食べることに通ずるものがある。とは言いつつも、やはり誰かと一緒に食べにくるには楽しい店だなと想像する。

 食後に、店主のケンスケさん、二チカさんと少し話した。僕が真鶴に住みはじめたばかりということもあり、真鶴の町についていろいろなことを教えてくれた。そのなかでケンスケさんが言った言葉が僕の印象に残っている。

「真鶴はね、20年後にはなくなっているかもしれないから」

 真鶴町の人口は7,000人と少し。いわゆる過疎の町だから、この先どこかの大きい町に吸収されてしまうかもしれない。その未来を可能性として予想するのはそれほど難しくない(それは僕でもわかる)。小さな町が大きな町に合併されるケースは、日本全国をみても特に珍しいことではない。ましてや現実的かつ効率的に、淡々と押し進められるシステムのうえでは。そこには情感とか猶予とかいったものはあまり差し挟まれることがない。そして合併がなされた近い将来、真鶴という町がどのように扱われるのか。それは今のところ誰にもわからないのだ。

 少なからず確かなこととして、未来は突然やってきてはじまるわけではなく、現在と地続きなものとして時間軸を辿っていく。つまり、今ここで何をするのかということが大切なのだ。土に種を撒かないかぎり土は土のままであり、作物は収穫できない。合併後の未来という、巨大なシステムの潮流に対抗するには、今現在真鶴で暮らす人たちがその美しさを町固有のものとして大切に守り、正しく主張していかなくてはならないだろう。そんなような話をしていた。初めて出会った人間同士(うち1名は住んで日の浅い町民だ)が交わす会話にしては、なかなかに深みのある話題かもしれない。だけど悲観的な空気はそこには感じられなかったし、むしろそういう着地点に落ち着くまでのあいだにどんな風に生き延びていこうかなという、わりにポジティブなスタンスがこの町には定着しているように思えた。そして何よりもそういう話を僕にしてくれたことが嬉しかった。

また、「自分たちのやったことがわかりやすく跳ね返ってくるのが面白いところだよ」とも話していた。ケンスケさんと二チカさんは元々は東京・吉祥寺で暮らしていたという。東京では情報の回転が速いから、自分たちがどこを向いたらいいかわからなくなる、と言っていた。
「いろんなターゲットがいて、そのためのいろんな情報が同時に飛び交っているからね」

 2人の話を聞いていると、その内容には僕が東京で感じていたことと重なる部分があるのかもしれないと思う。東京では情報が僕の周りをぐるぐると回る。ある時は時計回りに、またある時は反対方向に。脇を通り過ぎてもう戻ってこない情報もあれば、頭上をずっと付きまとってくる情報もいる。あらゆる情報が同時にあらゆる方向へ飛散していく。僕がそのうちの情報の1つを手に取った時、はたしてその情報がどこから来て、どこへ向かっているのか僕にはわからなくなる。なぜならここ(東京)では、あらゆる情報の発信元とターゲットが目まぐるしく動き回っているから。北を指し示すはずのコンパスの針が、静止することなく回りつづけているみたいに。だから僕は方向の基準を見失ってしまう。自分がどこから来て、どこへ向かおうとしているのかを喪失する。どこにも戻ることはできないし、手がかりとなる基準みたいなものが見当たらないのだ。そもそも僕はどこに立っていたんだっけ? そんな僕の周りを新たな情報が瞬く間に埋め尽くしていく。まるで僕の居場所を奪うみたいに、情報だけが都市空間を闊歩していく。ここ(東京)では見たくないものを見なければいけないし、見えるものと見たいものと見るべきものの区別がつかなくなる。それらの区別がついていないことにも気がつかずに、あてもない移動を繰り返すことになる。ここ(東京)で僕はどこへ向かいたいのだろう。

 「真鶴での暮らしはゲームみたい。〈どうぶつの森〉みたいだよ」とニチカさんが言うから、僕は笑ってしまった。本当にゲームみたいなのだ。登場する人物はみんなキャラクターがはっきりしていて、何かしらの手助けを必要としていたり、突然発生するできごとに巻き込まれていったり、その過程で少しずつ親交を深めていったりする。町では、自分のやったことの影響がどんな場所でも必ず跳ね返ってくる。いずれもビジュアル的に、触覚的に。少なからず僕たちはそのようなノンコンピュータ・ゲームをプレイしているのだ(そしてゲームの楽しみ方は人それぞれみたいだ)。

「真鶴がいいのは、わかりやすい観光の目玉がないところ。だからみんなが思い思いに自分が楽しめるポイントを見つけられるよ」

 自分の楽しめるポイントを探していくこと。自分の生きていける隙間をつくりあげていくこと。それは一種の「遊び」であり、生きていくという無理難題の複雑さをものすごく易しい言葉で言い換えると、そういうことになるのだろうか。「生きる」と「遊ぶ」。言葉の見かけは別物だけど、本当はすごく近いところにあるのかもしれない。顔の似ていない双子の兄弟みたいに。

 だから、この町でどうやって生きていこうかと探っていくことが、もう既に「遊び」なのだ。そう考えると、真鶴へ来る前にアートディレクターのAさんに言われた「のもとくんはもっと遊びなよ」という言葉の意味がほんの少しわかるような気がした。僕は一体この町でどのように遊んでいくのだろうか。

 ケンスケさんは最近フリーダイビングをはじめたらしい。真鶴の海に潜るために練習中だという。「潜ると人生変わっちゃうよ」と嬉しそうに話していた。真鶴の青い海には本当にたくさんの美しい魚がいるのだそうだ。陸だけではなく海の中からも真鶴を観てみたい。話を聞いて、僕も真鶴の海に潜ってみたくなった。いつか挑戦してみようかしら。

 二チカさんは手製のラグをつくっていて、このあいだは東京・谷中で展示をやっていた(Instagramなどで制作の様子が見られるのだけれど、色といい質感といい、素敵な風合いの作品です)。真鶴には手を動かしてモノづくりをしている人があちらこちらにいて、話を聞いているだけで僕も何かつくりたい気持ちになる。何をつくりたいのかはわからないのだけど、自分のなかで眠っている、手を動かして形にする喜びのようなものが揺り動かされて、むっくり起き上がりはじめようとする予感の音が聞こえてくる。ちなみにニチカさんの作品の撮影は、シオリさん(vol.9)がやっていたりする。どちらも小さなお子さんがいるので、一緒に子どもを保育園に送って、帰りにそのまま家に寄って撮影をすることもあるらしい。暮らしと仕事の間に境界線がなくて、それが楽しい。と二チカさんは言っていた。

 またいつでもおいでね、と言われてケニーの店を出る。ピザを食べに来ただけなのに、町の20年後からフリーダイビングまで、いろいろな話が聴けた。この町では何か1つの目的のために家を出ると、必ずと言っていいほど目的以外のおまけの出来事がついてくる。人と出会ったり、知らない景色が見えてきたりする。そして家に帰ってくると、自分が何のために家を出たのかちょっとわからなくなる。それは目当ての本を買いに本屋へ行った人が、その書棚に辿りつく前に他の本に興味をそそられて立ち読みし続けてしまう、というような脱線の魅力がある。

 イギリスには「幸運な偶然を手に入れる力」を意味する、〈セレンディピティ(Serendipity)〉という言葉がある。幸運な偶然は国道1号線には落ちていない。決まった道を行って帰ってくるよりも、脇道にそれていくほうが面白い。というか、大学を休学して真鶴にやってきたこと自体がもう、祝祭的なより道みたいなものだ。僕の人生のほとんどはこれまでもこれからもそのようにして決まっていく。初めてプレイするゲームだって、そういう遊び方のほうがよほど楽しいでしょう。


vol.14につづく









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