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海のまちに暮らす vol.16|ねこ先輩のこと

〈前回までのあらすじ〉福浦の海まで歩いた日。僕は静かで守られた場所を目撃し、日のあたる高台の住宅地を抜けて、風通しのいい家まで帰った。

 ねこ先輩に会ったのは春の午後だった。真鶴出版の2階で布団を干していたら、隣家の屋根の上に小さな獣が寝そべっているのがみえた。はたしてそれがねこ先輩だった。

 ねこ先輩はトタン屋根の上に全身を伸ばして横たわっていた。体の表面積をなるべく広くして、少しでも多く太陽の光を受け止めようとしているみたいに平べったく溶けかかっていた。ふくよかな白饅頭を空から屋根の上へ勢いよく叩きつけたら、あんな感じになりそうだなと思う。ガラガラと音を立てて2階の障子窓を開ける。ねこ先輩は顔だけをこちらに向けて、「ふ」と言った。どうして「ふ」とだけ言ったのか僕にはわからない。ただそれだけを言って、まるで何かを試すみたいに僕のことをじっと見据えている。そのうちに僕も何か言い返したほうがいいような気がしてくる。だけど僕はねこ先輩になんと返事をすればよいのだろう。「む」と言えばいいだろうか、それとも「や」とでも言えばいいのだろうか。

 僕が黙っているあいだに定められた時間が経過したのか、ねこ先輩はくるりと向きを変え、自分の尻尾で遊びはじめた。その心の奪われ具合にはある種の狂気のようなものが感じられる。まるで尻尾がそこにあるのをついさっき知ったばかりだという風なのだ。そんなことはじめからわかっていたでしょう、と僕は声を出さずにつぶやく。腰の付け根にふさふさした羽ぼうきのようなものがついている気分はどのようなものなのだろう。それが身体の一部であるという状態は、一体どのくらい心地よく、喜ばしいのだろう。どのくらい鬱陶しいのだろう。

 ねこ先輩とはその後もたびたび会うことになった。石垣の上からこちらを見下ろしていたこともあったし、真鶴出版の机でパソコンを使っていると目の前の窓の外をぬるりと通過していくこともあった。大抵は興味もなさそうに、ちらと一瞥をくれて行ってしまうのだけれど、実際のところ僕のことが気になっているのかもしれない。茂みの中からこちらを覗いていて「そろそろあいつの前に行ってやるか」くらいに思っているのかもしれない。でもおそらく僕のことなどどうでもいいのだろう。通常、ねこ先輩は愛想がいいわけでもなく、僕に対して特別親切なわけでもない。

 ネコという生き物は、居心地のいい場所を必ず知っている。ネコは世界のなかでうまい具合に自分の居場所をみつけていく。僕の知る限りネコとはそういう生き物であり、人間はその毛と尻尾の生えた温かい生き物から学ぶべきことが数多くあるように思える。どうやらねこ先輩はずっと前からこの辺りに住んでいるらしい。たぶん地理とかにも詳しいのだと思う。綺麗な花が咲いている場所や、気持ちのよい風が通り抜ける場所なんかも知っているのだろう。そういう場所に人間を案内してくれる親切なネコもいるにはいるかもしれないが、ねこ先輩はそんなことはしない(そして本来ネコにはそんなことをする必要もない)。

 代わりに、ねこ先輩は毎度気まぐれに僕の前に現れては、きまって何かしら示唆的なものを置いていく。ある時は思わせぶりな表情をして、またある時は突然現れて、右から左へと姿を消してしまう。それっきりで、次にいつ出会うかは僕にはわからない。その決定権は基本的にねこ先輩が握っている。そういう存在なのだ。過分も不足もない。僕はねこ先輩のことを特に尊敬も軽蔑もしていない(それは向こうもおそらくそうである)。ただそのあたりにいるな、というくらいの認識で生活を送っている。そういう距離感はわりに居心地がいい。このくらいの距離感で人同士でも関われたらと思う。だけどそれはちょっと難しいかもしれない。とにかく、ねこ先輩と僕とはそういう関係だ。できればこの原稿をねこ先輩にも確認してもらいたいのだけど、あいにく今週はまだ会えていないし、ねこ先輩が人間の言葉で書かれたテキストを読みたいかどうかはわからない(読みたくないんじゃないかな、たぶん)。

 追伸:どうやらこのあたり(真鶴出版の周辺)には、ねこ先輩以外にも数名のネコが生活しているらしい。ねこ先輩かなと思って茂みを覗くと見知らぬネコでした、ということが何度かあった。僕は出会ったネコをなるべく(彼または彼女が明確に拒むことのない限りは)写真にのこすようにしている。どんなにぼおっと生きていたとしても、ネコとの遭遇は突然やってくる。また気が向けば、ネコ先輩以外の野生の出会いなんかも書くかもしれない。


vol.17につづく

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