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私に、正々堂々。目抜き通りを生きていく。〜組織マネジメント&メンタルヘルス 北島美樹さん〜

〜紡がれた命には、進むべき目抜き通りがある〜

目抜き通りとは、いわばセンターストリート。
ど真ん中メインの道のことをいう言葉です。

【目抜き】
元は目貫(めぬき)=目釘(めくぎ)で、
刀が柄(つか)から抜けないように、柄と茎(なかご)に開けた穴を通して刀を形作っていた、とても重要で大切な部品のこと。
刀の装飾品として進化し、華やかで目立つ部分でもあります。
それが江戸時代には「目立つもの」の意で「目貫」が使われるようになり、やがて大正時代〜明治時代になり、華やかで目立つ大通りのことを漢字を変えて「目抜き通り」と呼ぶようになったそうです。

この命は、自分という自力一つでここにあるものではなく。
「紡がれた命」である。

一人の命ながら、一人の命以上の
人から人へと、祈りや愛と共に、何年も、何十年も
何百年何千年もの時を超え
連綿と命の襷を渡され受け取りながら、至ったものならば。

この命の価値は、どれほどの奇跡とともにあるのだろう。

たった一つの、
時を超え紡がれた奇跡の命として
あなたがあなたを生き切るならば

あなたはどんな命をまっとうしたいですか。

どんな人生を生ききったら
あなた自身と
あなたへと命を紡いでくれた人たちに
正々堂々とできるでしょうか。



きっと私たちは
自分が自分らしくある時
誰かや何かに遠慮したり
物陰に隠れるように生きるのではなく、

自分の心根のど真ん中・・・・
本音本心で生き、
人と、喜びとともに関わり合って幸せを分かち合えた時、
「わたしと言う命の目抜き通り」を歩いている、と感じるだろうし、

その道を堂々と歩いて生きた時


自分を生きている!と思うし
そんな自分を誇らしく思えるのではないでしょうか。


今回のshutterでご紹介するのは

〜紡がれた命には、進むべき目抜き通りがある〜

この信念のもと
紡がれた命を、
与えられた経験も
注がれた愛情もすべてを糧にして
まさに、自分に誇れる自分として
人生の目抜き通りを進まれ、そしてこれから、フリーランサーとしてさらに華やかなる道を進まれるだろうお方・・・・

看護師として20年の勤務ののち、
現在は組織マネジメント&メンタルヘルスサポートを行う、
通称、「大人社会の男前保健室の先生」 北島美樹さんをご紹介いたします。



わたしの文章力を買ってくださり、突然いただいた今回のご依頼。
お打ち合わせのズーム越しで初めてお会いした美樹さんは、さっぱりとしたショートカットにパリッとした笑顔、ハキハキとしたお話の仕方。

あぁ、もう、光ってる。

最初のその瞬間から
なんとさっぱりした快活な方なのだろうと、見惚れてしまったのです。

歳を重ねれば重ねるほど、生き方はその顔つき、表情に現れるとよく言います。
話し方にも聞き方にも、穿った感じがまったくなく、ストーン、スコーンと、真っ直ぐなエネルギーがストレートに届く、実に気持ちの良いトークラリー。竹を割ったような人、というのは、まさに美樹さんのためにある言葉かもしれない。

できることはできる
できないことはできない

自力で尽くせることと
他力を頼ること

そこにあるのはいつでも自他への信頼と誠意であることが
あらゆる言葉から伝わってくるのです。

頼まれごとに対するリプライをすれば、すぐさま
「ありがとうございます!」という言葉の後に、照れ臭くなるくらいのお褒めの言葉がやってくるし(そこに嘘がないことは、言葉からちゃんと伝わってくる)
ちょっとしたことにも、感激してくれて、その感想と感謝を必ず伝えてくださる。

だからと言ってそれは媚びへつらうものでは全くなくて
こうして欲しい、というリクエストに対しては
真っ直ぐに、「ここはこうして欲しいです。」と伝えてくださる。
遠慮はないのに配慮はあって、真っ直ぐなのに、押し付けがなくて凛がある。

わからない時は真っ直ぐに
「わからないし苦手だから、助けてください!」ってSOSメッセージがくるし(それがまた、かわいい。)

ここは自分ではできないから、あの人に頼んじゃおう!と、人に甘え頼ることにも、迷いがなく。(そして、ちゃんと助けてもらえる。)

そう、本当に、真っ直ぐで。


あんまりいつでも真っ直ぐに目を見て、正々堂々まっすぐ話してくださるので、わたしは美樹さんのその真っ直ぐさに、どこか小恥ずかしくなって、目線をほんのちょっと、ずらしたくなる。


こんな風に真っ直ぐに人を見れてるかなぁ、わたしは。
こんな風に正直に話せているかなぁ。


美樹さんと話してると、私は何度も自分に問いかける。


見れてないなぁ。つい、目線を外してることが、多いかもしれない。
つい、大丈夫かな、って本音をちょっと引っ込めてる時も、あるなぁ。
そんな自分が、ちょっと恥ずかしくなって、小さくなりそうになる。

会うたびに感じる、真っ直ぐさ、どストレートさ、その、どんと凛とした、直線の美しさ。
嘘も飾りもない言葉たち。
真っ直ぐにそらすことなく話す直線が、すっと届く。

心に美樹さんの言葉が入ってくる。

言葉も行動も、いつでも「心根」から出ているんだろうなぁ、きっと。
それが、会うたび、やりとりするたび、伝わってくる。

どこからどう見ても360度美しいなと感じた美樹さんは、どうしてこんなに真っ直ぐなんだろう。

美樹さんの「わたしという命の目抜き通り」の歩き方、その原点について、今回はお伝えさせていただきます。

ふとした目線が、とっても優しげで、そこもまた素敵なところ。


初回の対談は、都内有名ホテルのラウンジで。

とっておきの時間だからと、ますますの美しさでいらしてくださった美樹さん。

そのスタイルや、身のこなし、アクセサリー使いを見て、洗練された方だなぁ、きっと、都会育ちなのだろう、そんなことを想像するのは容易い。

ところがびっくり、美樹さんは20代をすぎるまで、ずっと地元の佐賀県にお住いだったそうです。(なんて書くのは、佐賀県に失礼かもしれない、悪しからず。それほどの洗練を感じたのです。)

佐賀の広大な田舎で育ったの、と言う目の前の美樹さんの存在感の美しさに、一体どう生きたらこうなれるのだろうと、興味の泉が湧き出します。

北島 美樹 (きたじま みき)

佐賀県生まれ。
建設関係で事業を興されたお父親と看護師のお母様。
9歳の時にご両親が離婚。
以来父親と、父親の母、弟とともに佐賀で過ごす。
人体の神秘に興味を持って、看護師の専門学校へ。
卒業後は専門学校に行き、保健師・養護教諭・衛生管理者の資格を取得、半年ほど福岡の病院勤務を経て、26歳まで佐賀県の病院で外科系ナースとして勤務。
家業が傾き、実家が抵当に入ったのをきっかけに、別居していた母親の住む横浜へ。
横浜ではオペ室ナースとして厳しい環境の中務める。数年の勤務を経て、人とより深く関わり合える看護がいいと、病棟看護師に異動、32歳まで勤務。
さらに自分に合った仕事がしたいと、保健師と看護師、両方を活かした仕事ができる病院で、日勤の看護師として勤務。
35歳で出産。娘が4歳になるまで主婦として過ごす。
その後は非常勤看護師として勤務、コロナ禍をきっかけに、独立を決意。
ビジネスを学びフリーランスの道へ。
この時宿曜占星術に出会い、宿曜をツールとして活かすようになる。
現在は宿曜で時流を読み一人一人のバイオリズムにあった生き方の提案も併せながら、
20年に及ぶ看護経験による、チーム医療を経験したスキルと看護アセスメント(患者の看護計画を立て、遂行するための主観・客観的情報収集、それに伴う観察分析診断のこと)をベースにした、組織マネジメント&メンタルヘルスの専門家として、個人事業主のみならず、経営者や企業案件も取り扱う、「大人社会の保健室の先生」として、ご活躍中。
メンタルヘルスの専門家として、起業塾などでのサポート担当をされるほか、時には銀座デルソーレのママとしても、カウンターに立つ。
人が好き。ご縁を大切に、感謝を忘れることなく、お力をいただきながら、誰かのお力添えになる生き方を大切に進む。



最大の原点:祖母が与えてくれた、大きな大きな愛情


わたしの人生に、ばーちゃんは欠かせない大切な人。

そう何度も教えてくださった美樹さん。
美樹さんに多大なる影響を与え、原点にもなっているという、ばーちゃん、とは。


9歳の時にご両親は離婚。
離婚が決まったお母様に、ある日聞かれたそうです。自分についてくるのか、ここ(お父様方)に残るのか、と。

あれが、生まれて初めての「自分で人生を決めて選んだ瞬間だった」そう教えてくれた美樹さん。

子どもながらに、いや、子どもだからこそ気づいた、自分の親の事情と決断。だからこそ、いろんなことを感じ取って、自らの意思で「ここに残る」と決めたこと。

記憶に残る最古の「選択」はあの時だったし、あの時からずっと「人生は自分の選択が決めるんだって、思って生きてきた」と教えてくれました。

自分で選ぶ。
だったら、選んだことを、正解にするか、幸せにするかも、自分の心が決めるし、その選択の連続が、自分の人生を、目指す方へと誘う。

以来、お父様と、お父様のお母様=ばーちゃんと過ごした子ども時代。

父子家庭だったことが、寂しくなかったと言ったら嘘になるし、いつかお母さんが帰ってくるんじゃないかって、玄関先で遊んでるふりして待ってたことも、ある。
お父様が再婚されてからは、順調なことばかりではなかったけれど、とにかくばーちゃんがありったけの愛情を大きく大きく、どこまでも見守り注いでくれたそうです。

だから、自分はとにかく愛され大事にされて育った、と。

子どものことを「お宝さん」といつも呼んではお母さまに代わって家事子育てすべてをしてくれた、ばーちゃん。

口癖は「あー、しあわせしあわせ。」

60代を過ぎてから母親に代わっての暮らしは、決して楽な時ばかりではなかったろうに、でも、ばーちゃんが大変そうにしているところは、見たことがなく、否定されたり、怒られたことも、一度もなかったそうです。

本来なら孫である美樹さんのことを「あなた(の代)までが私の子ども」と言い、いつでも、ばーちゃんの大きな愛情を身と心に、まさに母親の愛のように肌に感じながら育った、と。

夏の日の昼寝時には、うちわをゆっくりとあおいで寝かしてくれたこと。
そんな時にも、子どもがいて幸せだ、あなたは宝だということを、言葉にしてくれた、ばーちゃん。

食べるものは、食事からおやつまですべて手作りで、野菜は食べる直前まで畑にあったもの。もちろん、ばーちゃんが育てたもの。

電子レンジや便利な家電がなかったわけじゃない。

でもいつでもばーちゃんは、ひとつひとつ、時間も手間も惜しむことなく、山から切った薪で火をおこしかまどで煮炊きをして、カステラをはじめとするおやつや、いろいろなものをいつも作ってくれたそうで、その美味しさは、ずっと覚えているそうです。

自分を大切に思ってくれる人が、大切に、手間暇かけて育てたものを、手間暇かけて作ってくれたものをいただき、
目の前に広がる広大な自然の中で自由に駆け回って遊んだ日々。


大いなる寛容と愛情に包まれた日々。


お母さんが帰ってくるかもしれないと、元気に走り回りながらも、時には玄関の前で戻ってくる母の姿を想像して、周りには気づかれないように、遊んでいるふりをしながらそっと待つ

そんな様子や心情でさえも、きっと遠くから気づいて見守ってくれただろうことが今ならわかる、ばーちゃんの大きな愛情と存在感。


ずっとずっと、わたしを見守って愛してくれた、ばーちゃん


美樹さんの心には、いつでも、ばーちゃんの存在と、その愛があって、
自分は愛され大切にされた大事な存在だからこそ

だから、自分も、自分に対しても人に対してもそうありたいし、ばーちゃんから授かったあり方を貫きたい、という思いが揺らぐことなく、ある。

大正生まれで、戦争も経験した厳しい時代の中で、幼い我が子を失ったこと、旦那様を先に見送ったこともありながら、授かった命をつなぎ、家族を守り養ってきたばーちゃん。

私たちすべての存在は、さまざまな時代を経て、激動の中で命が紡がれ今に至る。

そこで守り育ててくれた人がいるからこそ、命は途絶えることつながり続け、こうして今を生きるわたしになる。

歴史を重ね、先祖代々命がつながり、そして、ばーちゃんがいてくれたから、今ここにいるわたし。

自分のことより他人のこと、
誰かの幸せを願いながら生きて
いつでも幸せそうだった、ばーちゃん。

いつでも、「おかげさま」と言いながら、
周りに感謝して、周りを大切にして、
周りに愛情の光を降り注いで包んでしまうような人。

だから、いつでもばーちゃんの周りには人がいて
ばーちゃんを頼っては相談に来る人がいて、
人と人が繋がりあって、助け合ってめぐる小さな社会があった。

そこには

「やってあげてるのに」なんて犠牲感は、一切感じられなかったからこそ

人のために生きることにこそ
人の幸せがあるということを

きっとずっと美樹さんは
ばーちゃんという存在、そのあり方を通して
肌で感じ続けていたのだろうなぁと

ばーちゃんの話をする美樹さんから溢れてくる
喜びと幸せの表情を見ては思わずにいられません。

大好きな人のことを話すときの人は、とても嬉しそうで幸せそう。


今があるのも
自分があるのも

自力だけでは決してなくて
誰かの想いと行動の末にある

それは

おかげさまの命でありわたし。

だから、
そのおかげさまへの感謝を、
また誰かに送るかのように、生きよう

愛されることより
愛することを

もらうことより
与えることを

やるべきことを
義務の苦痛としてではなく
紡がれていく喜びとして行い

生きることは
決して苦痛ではなく
恵みと喜びの連続であると

日々の暮らし、その営みこそが
最も大切であること

誰かのためになれる自分こそに
喜びがあることを

いつでも、希望と感謝を、忘れない


朝は希望と共に目覚め
夜は感謝と共に眠るの
おかげさまだなぁって、手を合わせて。
それができればもう十分。幸せ。
対談中の美樹さんの言葉より。


なんと言ったら良いのか・・・

見返りのない、純度100の
愛情と奉仕の世界を知っている人なのだろうなと思う。


ご自身が
見返りのない、
ただただ愛され、大切にされたという経験があったなら

それを心から感じ信じることができたなら

人は自然と
同じように、誰かに接するのでしょう。

美樹さんを見ていると、その純度が

あまりにも高い

そう思えてならないのです。



だから、わたしはちょっと恥ずかしくなる。


だってわたしは、愛されたいって、思っちゃうから。苦笑
愛されていたのかなぁ、と感じていた時が長かったから。

今でも、愛されてるかなぁって思ってしまう時が、ある。
いい歳をして。

頑張ることは犠牲で
誰かのために尽くすことは
自分を枯渇させてしまうことと、思ったことが
何度も、あったから。

愛することよりも愛されている証を探して
そうして
もう枯渇したくないって
どこかで自分を守り出し惜しみしているわたしがいることを、知っているから。


だけど、目の前の美樹さんには、それがない。


なんか、すごいなぁって

ライターの語彙としては、非常に安易かつ幼稚なのだけど、わたしはいつも美樹さんと話すときに、そう感じてしまう。


どうしてそんなに真っ直ぐで正直なの?と。


美樹さんはこの写真は好きじゃないっていうかもしれないけど、わたしは好き。


あなたの周りに、こんな素敵な人っていますか?
わたしは、初めて出会いました。

今回美樹さんのお話を聞きながらわたしが発見した
「美樹さんの魅力のもと」を、ここからは述べさせていただきます。

これを読んでくださっているあなたが、今日からもっと素敵なあなたになるためのヒントにもなるかもしれません。

あるもの、与えられたものを見つける

幸せになるために必要な視点として、よく言われる「あるものを見ましょう」と言うこと。
美樹さんはまさにそれを実践されている方。

今回の対談では、美樹さんの生い立ちをたくさん教えていただきました。

見ようと思えば、いくらでも、見つけられるのです。
両親が離婚したから、
お母さんがいないから、
家業が傾いたから
家が抵当に入ったから、、、、、

言い訳にすることは、いくらでも、あるのです。きっと。

でも美樹さんは、そこにはフォーカスしない。

美樹さんの口から出るのはいつでも
それがあったから、なのです。

離婚してお母さんがいなくても「ばーちゃんがいてくれたから」
家が抵当に入ってしまっても「お母さんが横浜に呼んでくれたから」
そうやっていつでも、あるものを見ているからこそ

自分が何かを失った、なんて思うことがなく、すべての体験から「得たこと」を話せる。

だから美樹さんは、幸せや喜び、そこにある恵みやギフトを見つけるのが、とても上手。
そして、見つけた恵みやギフトに、いつも感謝している。
それがあったから、今こうなっている、と。

すべては自分の選択だからこそ、自己責任で自分を幸せにすると引き受ける

美樹さんといえばまずこれではないかと思う。

ご自身でもおっしゃったように、9歳の時に、お母様についていくのではなく、お父様とばーちゃんと残ることを、自分で決めた美樹さん。

最古の選択、その時から、自分の人生は自分の選択が決めることを、期せずして彼女は深く体感してしまった。

だからこそ、いつでも「自分で決める」ことを大事に・・・忠誠レベルで貫いている。誰のせいにもしない。すべては、わたしが選んで決めたこと。
だからこそ、自分で決めたなら、自分が望む未来へと進むだけだという底力も、持ち合わせている。

すべては自分の選択次第。その連続。

ばーちゃんに愛された佐賀での26年間。
看護師になってからは、「大人になって稼げるようになったら、すべては自分の選択でさらに自由!」と、ばーちゃんと佐賀にたっぷり満たされた美樹さんで、自分が作る世界へと、飛び出してゆかれます。

看護師になったら、自分が目指すもの、自分がなりたい姿、それはなんなのか、体験を通して、自らをより幸せにするための選択を重ねられて。

外科ナースから、オペ室ナースを経験されて。あまりに辛くてやめようと思ったけれど、どうせ辞めるなら、極めてからやめようと思ったこと。ならばと、その道を貫いたこと。
だけど、その先で、やっぱり自分は自分にしかできない関わり、コミュニケーションで人と関わっていきたい、と気付いたからこそ、花形でもあろうオペ室ナースから、病棟看護師へ異動。
その後も、保健師と看護師の資格を活かして働きたいんだと気付いて、日勤の看護師へと転職。
コロナ禍の世界になって、ご自分が重ねてきたリソースで勝負して行きたいと思ったからこその、独立。
全部全部、自分で選んで、自分で決めて。自分で決めたんだから、進むだけ。

自己責任で生きる、という最高シンプルを貫いてらっしゃる。
誰かのせいで、なんて言葉は美樹さんには、ない。


自分に尽くすから、人にも尽くせる

自己責任で引き受けたからこそ、自分で引き受けたことを正解にするために進まれた美樹さんは、ある意味で「自分に尽くしてる人」とも言える。

自分で自分を幸せにする。

自分を見損なったり、卑下したりしない。
だって自分は、大切な存在だから。

それはきっと、ばーちゃんから、授かったこと。
「たからもの」として育ててくれたからこそ、
まずご自身が自分を宝物のように大切にすることが、
きっと体感レベルで染み付いてらっしゃるのではないかと、
これまでの美樹さんの話を聞いていて、思う。

だから、いつでも美樹さんは、自分に問う

「私はどうしたいのか」と。

そして、それを叶えてあげるのもまた、自分の選択。

いつでも、自分に尽くす。
だから、人にも、尽くせる。

自分を幸せにすることへの忠誠は
そのまま
他者への信頼と忠誠になる。

そこには犠牲は、ない。
だから、枯渇しない。
だから、満たされてゆく。

自分も、誰かも。
圧倒的win-winのシステムが、美樹さんには、備わっている。

宝物の自分を犠牲にして命を削ぐようなことは、しないのだ、きっと。


点ではなく線、そこに何が紡がれているかを、いつでも見る

ばーちゃんとの暮らしは、便利さとは対局の場所にあったもの。
そこから得たものこそが、美樹さんの最大の素晴らしさであり、魅力ではないかと、私は思う。

それは、

物事はすべて点ではなく、線であるということ。
すべてに「紡がれたもの」があるということを、知っているからこそ

美樹さんはいつでも「自分の今を大切にしながら、中長期視点で物事を見つめること」ができる。


ばーちゃんがかまどで作ってくれた、おやつたち。

山から木を切ってきて、それを薪にする。
(薪だって、一朝一夕でできるものでは、ない)
その薪に火をつけて、ふーふーして、かまどに火を起こし

そして、材料一つ一つを混ぜ
(時にはその材料さえ、畑で一から育てたものだったことでしょう。)

そして、かまどの火加減を見守りながら
炊いたり、蒸したり。

そうしてできた、アツアツを
ハフハフしながら、いただく。

自分の口に入るまでに
実に何十という手間暇がそこにある。

それが、格別に美味しい。口福であり幸福。

この美味しさは、たくさんの手間暇がかけられているからこそのものなんだ、

物事はすべて、誰かの幸せを願った誰かの、手間と暇、ひとつひとつの点が連なり紡がれて出来上がるということ、それに対する感動と敬意と感謝を、すべてのことに美樹さんは、感じている。

便利な現代は「お金を出せば買えるもの」ばかりで、
そこには手間暇のリアルは見えないし、背景の想像力は働きづらい。
簡単に手にすること、口にすることができるからこそ、
簡単に味わったり、捨てたり、できてしまうのかもしれない。
だからきっと、簡単に心のうわべを通り過ぎて、忘れ去っていく。

違う、違うんだ。

すべてのものには、今ここに至るまでに、びっくりするくらいの手間暇、ストーリーがあるんだ。

その視点を持てるか、否か。
それが、物事に感じる「価値」を変える。

打ち合わせで、ホテルのラウンジでお話しした時も、美樹さんは消しゴム一つを手に取って、

ここにだってさ、材料を収穫するところからの、すんごいストーリーが、あるわけよ!と、本当に真剣な眼差しで話してくれました。

そうやって、視界に入るすべてのものにある歴史を、いつでもフルスロットルでイメージして、時には調べているそうです。(情報が押し寄せて追いつかないこともあるのだとか!驚愕!)

そうやって捉えてみると、大切じゃないものなんて、何にもない、
だからいつでも美樹さんは、世界にあるものを、新鮮な感激と感動とともに、見つめている。

今ここに自分が至る、その歴史・・・
世界や日本の歴史にも、興味を持つし
お仕事のツールでもある宿曜についても、古くは空海が日本に届けたところからの歴史をご存知で、嬉々として語れる。

そして今は、戸籍を辿って、ご自身の・・・ばーちゃんの家系の歴史を、調べている。親族の方とともに。

すべての出来事、すべての命、すべての存在に、紡がれた歴史があり、価値がある。

だからこそ、目の前のあなたという存在だって、連綿と紡がれたものがあってこそのあなただし、そのあなたの価値がどれほどのものなのかということを、誰より美樹さんが、心底、信じている。

私は自分自身の存在、その価値を信じで生き切るし
あなただってそうあるべきなんだ、と。


「おかげさま」と「お力添え」

私が美樹さんと対談して感動したことは、この二つの言葉。

自分を信じて、自分の選択で人生は進めていくけれど、でもそこにあるのは「独力」ではない。
自分で選んだその先にあるのは「誰かとの出会いと関係性、そこからもたらされる経験たち」
自分で選ぶ人生だけど、自分だけでコントロールしている人生ではない。

いろんな人に恵まれ助けられ、その「おかげさま」で今私がここにいる。
そこには感謝しかない。

だから、美樹さんはいつでも「おかげさまで。」と言う。

自分が自分が!と言う感じが、一切、ない。

毎晩、寝る時には感謝と共に手を合わせて眠るそう。

「今日もおかげさまで無事1日が終わりました。感謝します。」と。

自力の選択決断と
他力のおかげさま。

そして美樹さんはそこで終わらない。

誰かのおかげさまで生かされているからこそ

「自分にできることは、精一杯のお力添えをする」


そう、心から思っている。
美樹さんに、謙遜なんてなくって
自分を信じて、自己責任で選んできたご自身の道を
誰より信じているからこそ

自分ができることが誰かの力になることを心から信じているし
そのために出し惜しみなんてしない

だからと言って、それを押し付けるつもりもない

ただただ、

私にできるお力添えを、精一杯させていただきます

なのだ。

お力添え。

この言葉はきっと
自分を信じ、他者を信じていなければ
そこに、対等な敬意と信頼がなければ
なかなか言えない言葉ではないかと、思う。

お仕事への思いを教えてくださった時に
美樹さんはごく自然にこの言葉を、おっしゃった。

「私に依頼をくださった方にできるお力添えを、精一杯させていただくのみです。」と。

あぁ、なんて美しくて正々堂々とした言葉だろう。

こんな風に、真っ直ぐ目をみて言われたら、
この人になら、頼んで大丈夫、そう思わないわけがない。

だけどこの言葉は、
自分を信じてなかったら、言うことさえ憚られるに違いない。

だから、私は憧れてしまったし
私も、そう堂々と言える自分になろう、と

美樹さんを通して、自分の生き方、
その選択を今し始めている。

できるかどうか、とか
できそうなことをできるだけ、ではない

私にできることで、堂々とお力添えをさせていただく私になることを。


他にも細かな魅力をあげたらキリがないけれど

美樹さんの魅力の源は、総じて言うなら

私は愛されている存在である、という
疑うことのない、自分自身への信頼そのものであり、

それがあるからこそ、世界に寄せる信頼もまた絶大なもので

だからこそ、
疑うこと、うがることなく
ご自分の力を、自分のためにも他者のためにも
真っ直ぐそのままに差し出せること、なのだろうなと思う。

それを与えてくれたのが、

お宝さん、と美樹さんを愛し育ててくれたばーちゃんであり
ばーちゃんから紡がれた、
佐賀の暮らしそのもの、だったのでしょう。


愛された分だけ
自分を信じた分だけ

人は自分に堂々とできる

だから、堂々と、
自分の本音本心で、生きることができる。

いつでも、堂々と
私という存在、その目抜き通りを歩くことが、できる。


今、世の中には、あらゆるサービス、あらゆる商品が、溢れています。
でも、私たちは、いくら物を買っても、いくらサービスばかりを買っても
もう心は満たされないことを、知っています。

それはなぜかというと

ものやノウハウだけが人を幸せに導くものではないことに
もう気づいてしまっているから。

私たちは、心あってこそ、
心が満たされてこそ、幸せになる。

だからこそ
これからの時代は、より一層

心やマインド、
あり方という
「人」が大切になり重視されるだろうし

買うのは「もの」より「人の魅力」にますますとなっていくことでしょう。
何を買うかより、誰から買うか。

あなたは、どんな人から
大切なものやサービスを、買いたいですか?

私は、美樹さんみたいな方から買いたいと思うし
私もまた、そう言う人でありたいなと思うのです。

自分に正々堂々。
だからこそ
誰かとも、正々堂々。

いつでも、真っ直ぐ、真っ直ぐ
私は私の、道をゆく。

そんな人から溢れる輝きが
誰かを照らさないわけが、ないのです。


美樹さんの魅力はまだまだありますし
これからお付き合いが続いていく中で
きっともっと、増えていくことでしょう。

その時はまた、こうして熱烈に、感じたままに綴らせていただけたら、
私は、幸せです。

美樹さん、この度はありがとうございました。


紡がれた命には、進むべき目抜き通りがある。
あなたがあなたとして、
そして
組織が一人一人の命を生かしながら
組織の命・・・使命とともに
この時代を生き抜くために。

美樹さんの組織マネジメント&ヘルスケアサポートについては
こちらをご覧ください。





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