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令和の尾崎豊論

尾崎豊。人はしばしば彼のことを「10代の代弁者」、「反逆のカリスマ」などと呼んだ。それは彼の代表作である『15の夜』や『卒業』の「盗んだバイクで走り出す」、「夜の校舎 窓ガラス壊してまわった」などといった刺激的な歌詞から由来するものだろう。しかし、平成中期生まれ、令和を若者として生きる私は感じる。「今の時代そんな奴いるか?」と。もちろん多少はいるのかもしれないが、尾崎豊が若者として生きた時代と比較するといわゆる不良と呼ばれる人々がマイノリティになっていることは明白である。ではなぜ尾崎豊は今もなお時代を超えて私の心を掴んで離さないのだろうか。

彼が26歳という若さでこの世を去るまでに遺した71曲、6枚のアルバムから紐解いていきたいと思う。

デビューアルバムは『十七歳の地図』(1983)。彼が高校生の時にリリースされたアルバムである。収録曲には、『I LOVE YOU』、『15の夜』、『僕が僕であるために』などがあり、若すぎる恋や大人たち、または社会からの重圧に対する苦悩が、今もなお歌い継がれるメロディーに乗って語られている。

セカンドアルバムは『回帰線』(1985)。ここでは『卒業』、『坂の下に見えたあの街に』、『シェリー』などによって学校、親、街からの離脱が表されている。

10代最後のアルバムは『壊れた扉から』(1985)。生きることへの希望や野心、純愛の儚さについて歌っていることが『失くした1/2』、『Driving AllNight』、『Forget-me-not』から読み取れる。


ここまでが彼が10代までにリリースしたアルバムである。世間一般に知られる尾崎豊像はここまでの楽曲から作り上げられたと言っても過言ではないだろう。逆に言えば、10代特有の危なっかしく、脆い側面によってのみ、先に述べたような「10代の代弁者」、「若者の教祖」といった強烈なイメージがついてしまったのだ。10代とは誰しもにとって不安定で様々なことについて悩む時であろう。尾崎豊はそんな昭和でも令和でも変わらない、普遍的な心を純度100パーセントで曲に表し、力強く世の中に訴えたのである。そして、良くも悪くも彼自身のイメージが固定されてしまった。彼は10代の最後、インタビューでこう語っている。

「3枚目のアルバムで、20歳になるという意味合いをこめて、何もかもゼロに戻して考え直してみたいと思った。たぶん10代を過ぎたら、僕は新しい意識に目覚めて生活していかなくちゃいけないだろうし、そういった歌を歌わなくちゃいけないと思ってた。学生じゃない、大人としての自分を見つけなきゃいけないと考え始めて、つまり扉を開けて一歩踏み出さなきゃって思い始めたんです。で、いまになってみると自分はすでにその扉を開いていた、一歩を踏み出していたということに気づいたんです。それで振り返ってその扉を見ると、それはもう壊れて街の中に埋もれてくる、そういうイメージがあったんです。手にしたと思うともうそれは失われていて、というか。次の扉を見つけなくちゃいけない、あるいは作らなくちゃいけない、そういう気持ちですね。」

地球音楽ライブラリー 尾崎豊


では彼の心情は20代になってどのように変化していったのだろう。


『街路樹』
(1988)。『時』では大人になってしまった自身へのアンチテーゼの対してもがきながらも歩み寄ろうとする切ない意思が感じ取れる。

この頃の尾崎豊は制作活動を一時休止し、渡米し、より哲学的な思想を会得したり、覚醒剤使用の罪で逮捕されるなどとても苦しんでいた。昭和。日本が好景気に湧き、街全体が浮かれていたような時になぜ彼はこんなにも苦悩しなければならなかったのだろうか。10代で社会に反逆することで名声を手にした彼は20代になってしまった自分のアイデンティとは何か、街(社会)とは何かを探し求め続けていた。極端に純粋だったのだ。純粋で優しすぎるが故、自身と自身の精神世界や外部の街との間に生じる摩擦に耐えきれなくなっていたのである。この点においては令和に生きる我々にこそ共感できるところがあるのではないだろうか。自分とネット上のアバターとしての自分。プライベートな自分と社会、会社の中の自分。日本にいる自分と国際社会に生きる自分。

『誕生』(1990)では結婚、息子の誕生を経験した尾崎豊の人に対する諦めのない期待、愛、どこか人生を俯瞰した視点での希望が歌われている。『COOKIE』、『きっと忘れない』、『MARRIAGE』、『誕生』からは尾崎豊の愛する人に対する底知れない感情、街への希望が感じ取れる。

このアルバムのツアーが終わった6ヶ月後、彼はこの世を去った。

『放熱への証』(1992)。彼が急逝した直後にリリースされた最後のアルバムである。彼はこのアルバムのコンセプトに関してこんな言葉を残してる。

「今回のアルバムは「生きること。それは日々を告白することである」と言うテーマで産み出された。人は結局、人と関わることでしか生きてゆけない、たとえそれが喜びであれ、痛みだとしても。その日々を彩るありとあらゆる希望と対極にあるどうしようも無い絶望と、今は未だそのどちらとも決められず、自分自身の中に閉じ込めて置くしかない現実。それら全てを自分の生きている証として受け入れる為に告白する。奇跡とは人を癒やすことでも、空中に浮くことでも無い。例えて見ればそれは道標の一つ一つである。」

尾崎豊 約束の日

彼は亡くなる直前、こんなことを言っていたという。

「勝てるかな。」

最期まで何かと戦っていたのだ。苦悩し、もがき、全力で生きていたのだ。彼が彼であるために。


尾崎豊。人はしばしば彼のことを「10代の代弁者」、「反逆のカリスマ」などと呼んだ。

しかし、私は彼ほど純粋で優しくて、かっこよくて、普遍的なアーティストを知らない。尾崎豊と彼の遺した楽曲は時の試練なんてもろともせずに令和の今も生き続け、心の底から我々を愛し、応援してくれている。愛すべきもの全てに歌ってくれた尾崎豊を私はこれからも愛していきたい。


以下に私が最も好きな曲の最も好きなフレーズを紹介したい。

「あきらめてしまわないでね。ひとりぼっち感じても。さあ心を開く鍵で自由描いておくれ。安らかな君の愛に真実はやがて訪れる。信じてごらん笑顔からすべてが始まるから。」(『失くした1/2』)


”優しい尾崎豊”みなさんは知っていただろうか。


[著者メンバー紹介]
溝上峻平


著者


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