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文章に「わかりやすさ」をどこまで求めるべきか

美しい文章と「わかりやすさ」は両立しない?

 編集者という職業柄、「わかりやすく」という方向で文章の修正をお願いすることが多いのですが、はたしてそれは良いことなのか、たまにわからなくなることがあります。
 わかりやすく、読みやすく、あっという間に読めた。でも読後に何も残っていないようなことが多くなっていないだろうか。
 そんなことを考えたのは、スポーツライターの藤島大さんのコラムを読んで、久々に人に薦めまくったから。

 8月発売の『Number』1103号の95ページに掲載されたコラム「BEYOND THE GAME」。これが名文なんです。今夏の甲子園、早稲田実業学校との3回戦、タイブレークの延長11回に送りバントを決めた大社の控え捕手の話なのですが、内容はもちろん文章も素晴らしいんです。藤島さんの言葉を借りれば、まさに「細部にまで神経が行き渡っている」。1文字たりとも無駄にすることなく、すべての表現が想像を掻き立てるように練り込まれている。そして美しい。カツゼツが悪すぎて音読が苦手な私ですが、思わず声に出して何度も読み返しました。

『Number1103号』

「ああ、いいもの読んだなぁ」と純粋に思えたのはいつ以来か。
 昨年、藤島さんの文章論をまとめた本(『事実を集めて「嘘」を書く』)の編集を担当しました。その本のなかで藤島さんは「きれいな文章は『わかりやすさ』とぶつかることがある」と書いています。
 確かに私のような読解力に乏しい人間には、藤島さんのコラムは一読しただけではみなまで理解できないようなものも少なくない。それでも二度、三度読んで、内容が腑に落ちたときの味わい深さは格別。ずっと心に残るんです。

 タイパやコスパが重んじられる時代ですが、すぐに消費されてしまうものよりもこういう文章のほうが実はコスパもタイパも最強なんじゃないかという気がしています。「わかりやすさ」と「伝わる」はまた別物だなとも感じます。

 とにもかくにも、わかりやすさを求められる記事においても、なんでも平易にならしてしまうのではなく、爪痕を残せるように創意工夫を……と書きながらブーメランが頭に突き刺さったのでこのへんで終わりにします。
 みなさん良い週末を。

藤島さんの文章論で私が一番感銘を受けたのは「見るのではなく、見つめる」という姿勢。著名な芸術家の「ありふれた物でも、誰も見たことがない視点で見つめることができれば、それがアートだ」といった考えを引用しながら、「なんとなく」見ることへの戒めを説いています。良い文章を書くための視点がたくさんある目からウロコの一冊です。
『事実を集めて「嘘」を書く』

文/アワジマン
迷える編集者。淡路島生まれ。陸(おか)サーファー歴23年のベテラン。先天性の五月病の完治を目指して奮闘中。

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