なぜ至って普通に見える僕がカウンセリングの予約をしたのか。

 こんにちは。こんばんは。おはようございます。生姜です。これを読み終わったあとで、僕の精神性や素性が気になったら過去のノートを読んであげてください。自己紹介とします。

 さあ、なぜ僕がカウンセリングの予約をしたかなんですが、過去のノートを見ても分かる通り、やっぱり普通の精神では無いからです。つつがなく生きるのがうますぎた上、タフだった。この苦しみは尋常ではないことに気づくのがあまりに遅かったのが問題でした。
 少しずつ話していこうと思います。中学校は本当に辛かった。思春期が始まってから辛くなかったことなど無いのですが。ずっと辛い状態を無視するのが結構うまいみたいです。

 中学校時代、何度もこう思いました。
 「これ、俺が俺じゃなかったら学校辞めてる
だろうな」と。
 どういうことかと言いますと、精神状態があまりに苦しかったので、これと同等の苦しみを他の人が経験したら、大体の人は学校辞めてしまうだろうなと、そんな想像をしてました。
 学校は見えない敵による恐怖がつきまとう場所、みたいなイメージでした。常に比較して生きていたので、その恐怖はどこからでも現れました。音楽の時間、一人で歌うとかは地獄の苦しみでした。思春期なら大体みんな嫌だと思います。僕はまさにこれが理由で乗り越えてきました。みんなやってるし、って。
 人にテストの点数や、学年順位を聞かれるのも最悪の時間だった。僕の最初の方の投稿で同じような内容のものがありますが、このときは適当に人類のせいにしてました。
 毎日豪雨に晒される感覚でした。人と話してる間は心を見ずに済むので、話す分には普通でした。ですが見る人が見ればおかしいとはなったでしょうが。
 本当はここに書ききれないぐらい毎日苦しい瞬間があったのですが、キリが無いので次にいきます。これを書きながら、誰かに泣きつきたい気分です。
 高専編です。そもそも高専を選んだのも家族で唯一行ったオープンキャンパスがそこで、とにかく悩むことをしたくなかった私は即決しました。悩むと心を見る羽目になるからです。誰かと比較するし、友達が何処に行くかも参考にしなければならないからです。
 高専に来た私は、最初の系選択で悩みました。高専は1年生ですべての系について学び、2年生から好きな系へいくシステムになっています。全5系で、
 「機械系」
 「都市・環境系」
 「応用化学系」
 「情報系」
 「電気電子系」
 のうち好きな系を選びます。各高専によって系があったり無かったりするかもしれませんが。
 そして私は電気電子系を選びました。理由はいくつかありますが、まず人気が無いこと。人気が無いと、集まる人も勉強のできない人が多くなるので、その中でなら比較しても対して苦しくない、と考えていたからです。相変わらず苦しかったですがね。5系で一番志望者が少なかったはずです。レポートが大変な系だと有名だからですね。
 
 思えば、人生における岐路のたびに、苦しみから逃れられそうな択を選んでいた。そんな択は無かったわけですが。

 学校の先生には本当に申し訳ないことをしてきました。この精神性ですから、心が苦しくてたまらなかったんです。時々爆発しては、主に先生に迷惑をかけてきました。それも20分くらい話すだけで終わるというような感じでした。本人がその爆発について理由が分かっておらず、先生も「話せば普通の学生だな、反省してるし。」となりました。
 エピソードがいくつかあります。

 国語のテストを早めに終わらせて、余った時間で徒然なるままに自分の死生観を書いたりしてました。結構危ないですよね。本人はそれが楽しくてやっていたわけなんですが。休みの日、担任の先生から電話があって、まさかの生死の確認を取る電話でした。
 聞くと、国語の先生の採点中、私の徒然なる作文を見て危ういと思い、担任に連絡したらしいです。実際危ういのであっているのですが、僕はそのことを後日呼び出されて直接話されたときも、「先生大丈夫?死ぬわけ無いじゃんw電話とか真面目に受け取り過ぎだよーww」みたいなノリ全開で対応しました。呆れてるみたいな顔で。こういうのが本当にうまいんですよね、僕。

 エピソード2つ目。私は先生に自分の噂をされるのが本当に嫌だったので、友達に自分の噂をしているという先生の情報を聞きつけ、それを先生に直談判しにいきました。極めて精神はおかしいですが、不思議と人にはバレないものですね。それに、相手も人を見るプロではないので。その先生は系内で一番人気の、生徒想いな先生でした。進撃の巨人で言うならキース・シャーディス教官のような人です。身長は教官ほどは無いですが。
 その先生と仲良く話したい人生でした。印象は最悪でしょう。結局、変な生徒ということで僕の高専人生は終わります。まだまだやばいことはたくさんありましたが、キリが無いので次に行きます。

 僕の人生史上一番の苦しみが就職でした。なぜ苦しみという極めて比較しにくいものを扱っているのに一番がわかったのかと言うと、人生で唯一母親に悩みを打ち明けたことだったからです。それ以外の心の膿は未だにすべて抱えて生きています。就職の悩みは、母親に相談しなかったら自殺していてもおかしくないです。中学校の苦しみと同等かそれ以上でしたから。
 私は就職先を決める際、本当に苦しみました。相変わらず尋常ではないのに、なぜカウンセリングという択が無かったのか不思議です。僕の中でカウンセリングは病名のつく心の病(自殺願望とか、adhdとか、自閉症、鬱など)の人が行く場所だと思っていました。学校内に必ず一人はカウンセラーがいる時代ですが、正直行くと友達間の噂になりそうで怖かったのもあります。
 
 結局就職は、系を選んだのと同じ理由で、給料の低い工場にしました。なんでうちに来たの?って聞かれました。何度も。そのたびに全くうまく答えることができずに躱してきました。
 
 此処から先は、こういう人間が日常を過ごすとどのように変なのか書いていこうと思います。まず集中ができないです。正確には、集中はできるが断続的になります。妄想癖がついているため、本を読んだり勉強したりするときも気づいたら友達との会話を脳内でシミュレートしたりしています。これをQuoraという質問サイトで質問したところ、極めて危険な状態です、と回答を貰ったことがあります。
 当然言われるまで自分が危険だとは知らなかったので、「あ、俺のこれって危険なんだ、へぇ〜」って感じで流していました。
 
あれ、書けば書くほど自分は一刻も早くカウンセリングを受けたほうがいい人間だなと感じてきました。今回カウンセリングを受けようと思ったのも、もう限界だから受けようとなったわけではありません。僕の主観から言えば偶然ですが、いつかは起こる必然だったのかもしれません。
 予約ボタンを押したその時から、ホメオスタシスが変化し、「カウンセリングを受ける自分」に変化したことで人生を見直して、結果いかに尋常ならざるものだったかを思い出しました。

 現在僕の2人いる妹のうち末っ子は不登校状態にあります。上の長女はアイドルを推す推し活で精神を安定させていると勝手に推測しています。その愛はやはりちょっと度が行き過ぎているような気もするし、こんなもんかという感じもします。末っ子が不登校ということは、これは根本の原因は母親の教育にあるのではないかと推測しています。
 これによって母親を嫌いになることは無いと思いますが、問題を提起し家族での解決が必要だと思っています。

 人生でこんなに長文を執筆したのは初めてです。というのもうちから出てくる言葉が止まらないもので、つい。
 正直これはほんの氷山の一角です。ですが、人生の中でも特にインパクトの大きい問題をピックアップして書きました。ここまで読んでくれてありがとうございます。
 これをそのまま原稿にカウンセリングに挑もうと思います。よかったら僕の氷山の一角が現れている過去のノートもご覧になってください。この背景を知ったあとだと、過去のノートもまた違った視点から見られるはずです。僕は読みたくありませんが。
 正直これから僕がどうなるのか全く予想もつきません。カウンセリングが終わったらまたノート書こうと思います。そうすることで、人生の最悪の苦しみからその更生まで、一つのアカウントで見られるからです。
 改めて、読んでいただきありがとうございました。カウンセリングは来週の土曜です。

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