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地方創生Coach Note【復興へ向けての振り返り④「ファシリテーションの力」】

前回はこちら。
東日本大震災における失敗。
復興という目的を忘れ、いやそもそも定義することを怠り、そしてハード面の事業達成という目標がそのまま目的化していったこと。結果、住民達が幸せとは言えない未来を押し付けられてしまったこと。
 
そんな失敗を繰り返さないためにどうすべきか。
というテーマをスタートさせたわけです。

☆善意の対立を回避する為に

当時は僕自身も都度都度、避難所にいる住民達からのニーズやメッセージとして「コミュニケーションとりましょう」「安心感を与えていきましょう」と行政側には伝えていました。「このままでは、帰ってこない二次避難者も多数出てしまいますよ」とストレートに伝えもしました。
 
しかし、やはり「出来ない」「やれない」「仕方ない」といった理由を探してしまう職員の方々が多かったのは実感であり、今も残念に思うところの一つです。
 
もちろん言うまでもないことですが、公務員の皆さんが悪意に満ちていた・なんてことはありません。むしろ逆に自分たちに中にある疑いのない善意に確信すらあったでしょう。
 
ただ、ここで「愛は、伝えなければ伝わらない」という言葉を思い出してほしいわけです。言葉にして、行動にして見える形にならなければ、相手に心は伝わりません。自分の業務やFAX等による定時の情報連絡だけで、相手に自分の感情、想い、本心、真意 etc といったものが伝わることはないのです。この状態は、一昔前の「俺は仕事してるんだ!」といって、心が離れていく家族に対して文句ばかり言ってる飲み屋のおっさんと同じこと・ということにまず気づくことです。

で、今回ですが、やはり公務員がよくハマるこの落とし穴というものは、やはり避けて通れないものだと思います。

なので、当時の失敗を繰り返さない方法の一つは、地域コーディネーターや十分な技術を持つファシリテーターを入れることです。
 
政官民が同じテーブルに着き、同じ未来目的を描く。その時間と仕組みを持つことが挙げられると思います。また、こうしたコーディネーターやファシリテーターには、利害のバイアスがかからないように、自治体の部署ではなく、首長自身や議会といった民意とつながる方々が契約をして、報酬を支払うことが望ましいと考えます。
 
その理由は今回の輪島での対話会からも明らかで、

我々は行政の復興をお手伝いしているので、あなた方の住民の会には出ません

という東日本大震災当時の学識者が吐いたセリフに集約されています。
つまり報酬を貰う以上は、住民ではない行政の都合にあわせる専門家ばかりが選ばれてしまった。その結果が住民不在の復興を加速化させ、死屍累々の失敗を築いた要因にもなってしまったからです。
 
その意味でも首長なり、議会なりがコーディネイター、ファシリテーターと契約をして、行政機関の担当者を業務として住民と同じテーブルに座らせることが必要なのです。皆さんもご存じの通り、行政の対話集会では上座に行政や専門家が座り、学校の教師のように生徒席に座らせた住民達へ、教え、指示をして、従わせようとします。その考え方や席の配置がまず間違っている。ここ、とても重要です。

☆変容するファシリテーション

そして、こうしたバイアスのない好事例をあげるとするならば、やはり僕がロールモデルともしている一人。アダム・カヘンさんらが南アフリカのモン・フルール・カンファレンスセンターで行ったワークショップが良きお手本としてあげられるでしょう。

1991年。いわゆる世界史に必ず出てくるアパルトヘイト(人種隔離政策)体制からの脱却を進めていた南アフリカにおいて、人種、性別、宗教、対立する政党、経済界、大学、行政の関係者等、南アフリカの縮図といえる28名がこのワークショップに参加しました。

参加者達は今後起こりうる状態として30ものシナリオを描き、それを9つに集約。それをさらに社会、政治、経済、国際というテーマ毎に討議し、最終的に4つのシナリオ(3つのシナリオは避けるべき未来、そして残る1つが皆が望む、創り出したい未来)を国民に示すことになったわけです。
 
その後、メディアや参加者達による100回以上のワークショップで国民の共有する議論となっていき、望むべき政権移行や政策実現に結びついていった・ということです*。詳しくは下記リンクから第6章をご参照ください(次回以降でまた取り上げるかもですが)。

無論、私たちはアダム・カヘンではありません。しかし、自分たちの地域の未来を描き、共有し、共に前進していく為の、自分たちの力を信じてよいでしょう。
 
カヘンさんも技術、手法より熱(意志)を大切に。ファシリテーターは在り方(Being)とも言っていましたし、この対話には挑戦する価値がある。やらずに同じ失敗をするよりは、やって異なる失敗をする方にこそ、価値というものがあります。 

高橋博之さんが車座というスタイルを愛されているのは、まさに同じ目線で全員の顔が見える環境づくりがあるからこそだと思います。上下のマウント合戦ではない、同じテーブルに着くという努力。ここにエネルギーやリソースをさくことを望めればと思います。

もちろん僕自身でも、もし、微力ながらお手伝い出きることがあるようでしたら、参じる意志もあって書いています。無責任な言うだけ番長はやりません。
 
と、長くなりましたのでここまでに。
次回は、こうしたファシリテーションの要点についても、挑戦する人の参考にと触れておきたく思います。続きます!


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