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日々の雑感 day32【2020年が私達に見せた「自分の人生を生きる」ということ】

先週は予想外に忙しかったのと、年末らしい疲労感も出て note のルーティーンをここまでスライド。予想以上に背中が鉄板のようにパキパキになり、肉らしい柔らかみが出るまでデジタルを休んで緩めていました。

☆「責任(responsibility)という能力」

今年の日本という国が見せた特徴の一つは「丸投げ」という責任放棄体質であったといえるのではないでしょうか。

「日本モデルは!」とか誇らしげに我が国の政治家たちは語っていましたが、調査によってこの成果は国民の自主的な成果に過ぎず

「再現性はない」

と断じられているわけです。
そして実際、国民の我慢や経済的な活動の休止は限界線を迎え、秋に国民に丸投げをしても「そうはいっても」という状況で経済活動は止まらず、ストレスの限界を迎えた高齢者層のGOTOが止まる様相はありません。

当たり前ですが、施策としては「補償と一体」でなくて活動が止まるわけがありません。しかも、活動自粛を呼び掛ける一方で、こうした民間の自主的な努力を期待した緊縮予算にしたりと矛盾行動を重ねていきます。
さらには、この3月に失敗した水際対策にまたも失敗し、10月の国際航空路線再開に対し然るべき準備もないまま見切り発車。変異型をまたしても招き入れ、慌ただしく停止措置を取るという有様です。

こうした失敗を認めないマインドセットが失敗を繰り返させるという最悪のループ。その行政が有事に見せる脆弱さ、公助への認識の甘さは先進国としていかがなものかと目を覆うばかりでした。

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☆選択のプロセス

かくして「よきにはからへ」と王朝貴族ばりに国民へ丸投げした対応の中で、今年の過ごし方は個々の判断、個々の選択が問われた側面がより強かったようにも感じるわけです。

僕の周囲では自分も含めて「戦略再考」の時間と認識した方々が多かったように思います。

変化を受け入れ、その現在地を客観視し、未来への一歩を決めていく

「元通りに」という思い込みで元通りにならなかった時、そこで失われる時間やエネルギー、備えはどのくらいのロスになってしまうでしょうか?

10兆円もの予備費がありながら、冬場に増加する、再発すると予測されていた事象への備えしなかった方々をよき反面教師とすべきでしょう。

逐次投入という戦略初歩の過ちを繰り返す方々は、エリートでもなければ、国のかじ取りを担うべき人でもありません。ただ「保身」という自分を守るだけで精一杯な弱き人。そういう風には見えないでしょうか?

こうありたいという私。
こんな状況は避けたいという私。

二人の私が合意する何か。
その何かが、私達の向かう未来を教えてくれるはずです。

☆ WHO?の次は?

個人的にも9月の北海道、この12月前半に駆け抜けた中国地方での対話。
人のつながりを改めて感じ、改めて未来へと紡がれる現在地を確認した時、生存確率の高い街、高いエリア、高い地域における「人」という存在をより深く認識することが出来たように思います。

これはその手のメディアや行政関係が口にする実感のない、薄っぺらい「関係人口」という言葉とは似て非なるもといえるでしょう。

実際問題として「公助」が有事に十分な機能をしないという現実。
その中で「自助」+「共助」がきちんと機能するところで生きていく事。
その生命線が、より重要さを増してきているように感じられたわけです。

これまでもフロンティア的な存在でもあった例えば岡山・西粟倉村のケースでも、誰かが見つけたマイプロジェクトを全力で支援し、誰かの幸せな「LIFE」をきちんと成立させることでした。

この誰が(WHO)の自助とそれを支援する共助の関係はとても重要で、そこにこそ要諦があります(けれど、実際には何を【WHAT・カフェ、リノベ等】やるのかや、どこで【WHERE・市街地、山間地、離島等】やるのかという事例コピーが多く、そのような視察の手土産が上手くいく確率は極めて低かったわけです)。

そのうえで、次の段階。
こうした自立した誰かと誰かの掛け合わせが、オンラインという世界も含めた距離感で編みだされつつあるなと今年はより強く感じました。

この段階の視点からは、これまで先進的、フロンティアとされてきた地域、エリアでも比較的クローズドな空気感、傑出した「個」に依存してきたところが行き詰まっている。壁に当たっているようにも見えたのです(つまり、これらを先進事例としてコピーさせると、よりひどく行き詰まります)。

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☆自分を信じ、自分を俯瞰し、心の示す先へ

・自己認識
・自己開示
・自己表現

この先にある自己実現や自己効力感の以前に、この3つを私達はどのレベルで出来ているでしょうか?

その質を日々向上させ、磨いていくことが出来ているでしょうか?

そして、この3つに不可欠なものをあなたは「持っている」と言えるでしょうか?

そう。

私達は、自分以外の「誰か」の存在なくしてこの3つを実行する事は出来ないのです。

自己認識は、自分が思っている「自分視点の自分」と自分以外の誰かから見えている「他者視点の自分」をすり合わせることで成立し、自身の統合へとつながっていきます。

これはもちろんどちらが正しいということではなく、自分が見ている自分と他者から見えている自分が両方同じ自分であり、そのうえで「自分らしさ」に気づき、自分らしいあり方に近づいていくという事です。

もし、自分を俯瞰して、自分の周りにいるなんでも話せる誰か。
その誰かにまだ伝えられていないならば、自分の事を「どう見えるか?」と聞いて、語り合ってみてはいかがでしょうか?

その誰かがいない人は、その誰かになりそうな人を思い描いてみてはいかがでしょうか?

次の段階を迎えている人々、街、エリア。
それはこの3つを高いレベルで所有し、新たな世界へと旅立とうとしている人々のように見えました。僕は、その世界に希望の光を感じたのです。

あなたは2021年。
どんな人々とどんな旅をしていくのでしょうか?

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*参考


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