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地方創生Coach Note【復興へ向けての振り返り②「相互理解へ」】

前回は、復興はそこに暮らす人から。足元の自治体から主体的に。
というトップダウンさせないことに関して以下のように触れてきました。

こうした復興に続く道のりは、政治におけるとても重要な役割です。その意味でも、基本設計を霞が関に丸投げしないことは重要だと考えます。
 
東日本大震災においてもこうした議論は各地で山のようにありましたが、すべからく霞が関主導でとなり、テレビメディアでも「霞が関のエリートプランに逆らうわがままな被災地」的にプロパガンダのように扱われるようなケースもあり。結論ありきで住民は合意のアリバイ作りといわんばかりの対話集会があちこちで起こりました。
 
そして今は、そのエリートの机上の空論により失敗という結果だけが死屍累々と重なり、10年後レポートでも「想定外」というワードが並び、その責任を誰も取ってはくれません。 

先月には、こうした失敗を繰り返さないようにと岩手県の(株)雨風太陽の代表・高橋博之さんが宮城県石巻市(雄勝)から当事者を伴って輪島入り。東日本大震災の教訓からこれからをどうするかという熱の入った対話を繰り広げていらっしゃいました。

☆官民の温度差

この輪島における高橋さんの車座から僕がまず取り上げたいと感じたものは、

「行政の復興事業は完成した。しかし【復興】は失敗した」

というコピーです。そして、僕がこれと感じた最大の要因は、

「目的」の共有がなかったこと。
 
このケースでいえば「復興とは何か?」という最重要目的に対し、誰もが同じイメージを抱けるような言語化を怠った。つまりはコミュニケーションの課題があったと言えます。
 
民のプロジェクトではまず最初に行われる重要なステップでもあるのですが、行政サイドの悪い癖として「理解しない相手が悪い」というマインドセットがあります。自分たちの結論に対し、そこに暮らす人々の声が反映する機会が与えない。にもかかわらず、自分たちの「良かれ」という何かを察するべきだという態度やポジションを取ってしまう。もちろん、その為のイシュー(課題や論点を明確にすること)を一緒に行うようなこともありません。
 
東日本大震災当時の対話集会や復興、街の再生といった議論の場で、こうした指摘が住民側からなされると、行政サイドは「国の予定には逆らえない」から仕方ないといった言葉をよく使っていました。こう言われてしまうと、復興予算を握り、その使い方を計画する省庁とは交渉の余地がない・・と参加者達は受け取らざるえません。
 
実際にそんな圧力があったのか、忖度しただけなのか、自分を守るために、議事進行で主導権を作り上げたいがために、嘘でも国の威を借りようとしたのか。それは、その時、その場で発言した当事者のみぞ知るところです。

☆対話という人同士の根本

今回の輪島での対話でも「時間がないから仕方ない」という当時の言葉に対し「本当に?」と掘り下げるシーンもありました。住民側視点からすれば、半年もたたずに避難所の横に立派な役場が再建されています。しかし一方で自分たちの居住エリアはというと遅々として建設が進まない。進捗を少しでも早めようと土地の提供を申し出てくれる地主さんがいても「NO」と言われてしまう。
 
対話集会で「時間がない」「スピードの為に」と行政への一任を事実上追認させておきながら、復興住宅は適地があれば早くて2、3年、高台エリアで造成からすれば8年かかるという。明らかに矛盾しているわけです。
 
「役場はすぐ立てられるのに何で?」
「8年かかるのにどうして時間がないの?」
 
住民サイドがそんな疑念を持つことは当たり前で結果、

「役場の本音は、被災住民なんか本当はどうでもいいんだな」

といった受け取り方にもなります。

そしてこれは、受け取った側ではなく、伝えた側の言葉や態度に主たる責があることは明白です。人の心は義務や押し付けに対して誰しも反発します。ですから、結論ありきなら勝手にやってくれ・となり、それがトリガーとなって離れていった人も少なくなかった。行政自らが、その言動で人口減少を加速させたわけです。
 
今回の車座では4000人いた雄勝町から3000人が町を離れていき、高齢化や分断がより深刻化していった結果が示されていましたが、他エリアでも大なり小なり同様であったことは既知といえます。

これは平時から往々にして起こっている行政のコミュニケーション課題です。特にこの復興失敗という局面においては、解決や適応する為の能力、技術に欠けていてフリーズした。そう見えたシーンが多々ありました。当然、その根底に「弱み」を見せられない行政文化があることは言うまでもないでしょう。
 
僕自身の経験でも、逆指名?をしてくれた避難所リーダーの方がこう語ってくれたことを覚えています。
 
「応援で来てる担当職員。基本全部ファックス送り付けてくるだけ。で、たまに来たかと思えば、入り口に回覧みたいに資料とかをおくだけで、説明どころか挨拶もしないで帰っちゃうんだよ。人としてどうかと思ってね。それで、なんかボラで回って聴いてくれてる人がいるって聞いたから、うちも齋藤さんにお願いしたいと思ってね」
 
と。後日ですが、状況報告後にしばらくたってから、その職員の方がとても怖れていたと聞きました。中に入って対話になれば、避難者から何時間も責められるのではないかと怖くて、そういう行動をとってしまっていたと。
 
こうした大規模災害からの復興は、誰にとっても初めてで未知の挑戦になります。当然、失敗だって山ほどしていきますし、公務員だからその状況をクリアできるマニュアルがあるわけでもないのです。
 
だからこそ、出発点として出来るフリややれるフリをしてはいけないんです。出来るような虚勢を張るから、県や大きな省庁に頼らざるを得なくなり、そこから来たものに「各自治体で最適化してね!」と書いてあってもその部分を見ないことにして、横並びで同じことをしようとする。
 
こうした心理的安全性に欠ける状況、環境をまず打破していかなければいけないわけです。
 
では具体的にどうすれば・・で次回に続きます!

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