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日々の雑感 day49【探求学習。それは心で学ぶこと( 全国高校生マイプロジェクト)】

先週末はラジオモードで全国高校生マイプロジェクト2020(オンライン)を流し続けながらパチパチと作業をしていました。

☆情熱のリアル

「生まれた時からスマホ世代」

そんなコピーの子供達が高校生となり、そんな彼らはインターネットが当たり前にある世界に生きてきています。

けれど、だからこそ、彼らは、彼女らは問いかけるわけです。

発展途上国にネットでポンと送金できる。

「でも、それって支援が目指している本当の形なのだろうか?」

「そもそもボランティアっていったい何だろうか?」

いつの世も妙にすれた大人はいるもので、ここに出てくる子達は「特別」なんだとか、陰で導いている大人がいるに違いないとか。

長野 summit を駆け抜けた女の子はプレゼン冒頭でこんな風に言いました。

「このプログラムに書いてあるタイトルは、今日本当に伝えたいことではありませんでした。ですから、今から本当のタイトルで本当に伝えたいことをお話します」

実はその前日。

大人の意志が混在した自分のプレゼン資料に惑いがある彼女を、たった一人の大学生が伝え続けていきました。

その違和感は何だろう? あなたが本当に伝えたい事は?

そんな問いかけに「だって先生が」「だって」と彼女は最初、そう反応していたそうです。

けれど、本当のあなたを知りたい、聴きたいという大学生への信頼から、彼女はたった一晩でその内容を大きく変える事になったのです。

まさに、心理的安全性が起こすリアルだったと思います。

そう。私達は、むしろこうした混在する大人の「良かれ」という意図や意志を外し、より純粋に高校生自身が自分の心と向き合い、自分をそのまま表現する。

そのことにこそ、大きな力を割いているといっても過言ではないでしょう。

☆Iメッセージと「とんがり」と

今回の全国大会のプレゼント結果は聴いていてほぼ予想通りに収まった印象でした。文部科学大臣賞が2つに出来なかったからとアワードを一つ増やした運営の判断も素晴らしかったと思います。

今ふと印象に残ってまず思い出したのは、チャットで「一人一人が【私は】こう思うって言えててステキ」という感じにフィードバックを書き込んでいた高校生の言葉。

大人の世界でも結構この【私は】を言えない人が多くて、まちづくりといえばの木下斉さんがよく使うフレーズでも「みんなという人はいない」といったものがあったりします。

自分の思ったことを思った通りに表現する。

同調圧力の強いこの国の文化では、これが意外とハードルが高くて、会社や組織という世界の大人でも出来ていない人の方が多いかもしれません。

それだけ心理的安全性が低い社会なんですよね。

そして、もうひとつらしいなぁと思ったのが、

「ネットはとんがり。違いを伸ばしてる人程、輝く世界」

という言葉が高校生から出てきた時。

YouTube に代表されるいろんなネットコンテンツも、とんがりのあるマーケティング王道のものを選んで楽しむ。

そんな世代らしい認識で、ネットの世界にこそ多様性の受容を見出しているんだなと思いました。

つまり、今の学校はそうじゃないってこと。

均質化して、多様性を失い、とんがることを拒絶する文化。

それを大人が既得権のように守り続けているギャップがあることを示してくれてもいたんじゃないかなと感じました(ま、制服着せて、髪型や髪の色までルール作ってる段階で、学校として多様性を否定してますってメッセージ出してるようなものなんですが)。

☆心で学ぶ

頭で学ぶと心で学ぶ。

IQ (Intelligence Quotient・知能指数)だけではなく EQ (Emotional Intelligence Quotient・感情知性)という存在がこの世の中の当たり前になっていこうとしている。

これはとても喜んでいいことだと思っています。

ダニエル・ゴールマンによるこの EQ という概念は1996年に書籍化され、1998年に日本版が登場し、そこでゴールマンは

「日本的なものの真髄に通じる部分がある」

と語ってくれていました。
思いやり、自制、協力、調和を重んじる日本の文化が日本の成功を支えてきたのではないか・・と触れてくれているのです。

しかし、その後の約30年の歳月の中。
日本のリーダーシップや日本の文化はこうした「日本らしさ」をむしろ忌避したり、否定したり。むしろ傲慢で独善、利己的な人々を生み出し、均質で画一な大勢をつくることに政策の力を割いてきたともいえます。

ゴールマンの研究でEQの高い経営者のいる部門はそうではない部門に比べて20%以上の利益差がつくこともあったというものがありますから、日本の生産性の低さや経済の停滞にはこうしたEQの側面も後に指摘されるかもしれません。

その好例としても、親が子供に望む職業で「公務員」がトップランカーとなってきている最近には驚きます。

けれど、一方で東大卒で公務員になる人がドンドンと減っていくというリアルな現象も発生していて、幸福の価値観や社会の見え方、未来に対する考え方が親子世代でまるで違っていることがわかります。

ですので、Z世代とも言われる彼ら、彼女らには、幸いにしてこうした大人を反面教師とするかのような本来の「日本人の真髄」を備えている子らを多く見ることが出来ます。

そして、彼ら、彼女らが次の時代にその日本的真髄を自在に使えるような状況を作れるかどうか。

それはまさに、大人の変化にこそかかっているとまた深く感じるわけです。

☆願うなら

僕はよく思うんです。

もし、学校に心理的安全性がもたらされて、彼ら、彼女らが summit に純粋でそのままな自分を持ってきてくれたらと。

そしてそんな時、もし自分が彼ら、彼女らがその奥に隠し持っているもう一段階先のギアを引き出すことが出来たら、そこにどんな風景が広がっているのかと。

なので、学校や子供達に関わる人に願うのです。

主役である子供達を信頼してほしいと。

彼ら、彼女らに主役の座を受け渡してほしいと。

上から義務として教えるのではなく、同じ位置から同じものを見て、彼らが主体的に進む力になってほしいと。

彼ら、彼女らの発表をみてドヤ顔してる先生や周囲の大人のみなさん。

それ、あなたの功績ではなく、子供達の功績であり、成果でっせ。

私達大人が受け取るのは、彼らの輝く笑顔や成長の目撃者になれたこと。

それだけで十分ではありませんか?

*参考


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