合気道の起源を考えてみる
色々な経験や勉強をしていく中で、色んな出会いと別れがありましたが、
ずっと残っているもの、それが「武術」。
合気道じゃないんかい!
まあベースは合気道なんですけど。
光輪洞合気道(大日本武徳会で作られた総合武道)
養神館合気道(警視庁時代に身につけた合気道)
離れていた時期もありましたが、合気道に出会って12年も経ちましたね。
合気道の印象って様々だと思います。
・相手の力を利用して投げるやつ
・護身術みたいな感じ
・争わない
・自分から攻めない
などなど。
私が大学時代に後輩から言われて印象的だったのが
「実戦じゃ使えない武道でしょ?」
まあこんな感じの印象なのではないでしょうか。
ただ私の中で最も強い引っ掛かりになったのが
「実戦では使えない」
と言われることでした。
元々は実戦で使われてきたものが「武術」
現代では実戦がないから「道」と変え、「探求する道」というイメチェンをすることでとっつきやすしたのではないでしょうか。
それにそうすることで戦後GHQからの迫害を逃れることができたのでしょう。
しかし実戦で生き残るために鍛錬を積み重ね、身につけた術が「武術」だとするのなら
「武道」は武術の道を歩み続けてきた者が到達した「精神性」に注目し、それを得るためのもの。
言い方は悪いですが、先人たちが必死に戦場を生き残る中で悟った「心得」を、ただ言葉として教わり、型を模倣するだけでは、その「心得」「精神性」は自分に刻まれないのではないでしょうか。
ということは一度「実戦で使うには?」「実戦だったら?」を追求することでしか「体験」として得られない世界があるということ。
だから学生時代も、警察官時代もひたすら「実戦で使うには?」をベースに考えて稽古をしていました。
そして実際にある程度「実戦で使えるようになった」段階で、合気道でよく言われるような
・調和
・争わない
・礼儀
という精神性も理解でき始めました。
今度はそれを実生活に落とし込んでいくことで日々の生活も変化していきます。
そういう意味で「合気道の実戦性」を追求していくことは意味があることだと思っています。
これがまた身体能力をフル活動するような格闘技、西洋武術だったら話は違ってきます。
日本は島国で他国との交流もなく、戦国時代のような内戦の多い国でした。
しかし外国なら徹底的に他民族を虐殺したり、奴隷にすることもありますが、日本でそれがなかったのは日本人の精神性があったからでしょう。
その日本人の精神性から生まれた「合気道」を体感ベースで学ぶことで、社会で生きていく上でとても役に立つことを身につけることができるのではないでしょうか。
それが堪らなく面白くて継続できているのでしょう。
最近は都内でも月に数回合気道を教えたりもしますが、教わることも多いし、未熟さを実感することもたくさんあります。
私が教えるだけではなく、みんなで教え合う、疑問をぶつけ合う、そんな場所を作っていこうと思うところ。
ではでは。
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