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異世界転生が流行する理由

ここ数年で急に「異世界転生」を題材にしたものが増えていますよね。

現世だと落ちこぼれだったり、平凡だった主人公が、異世界に転生することで勝ち組になっていく話が大半です。

変わり種として蜘蛛になったり、スライムになったり、地獄のような試練を耐え抜き圧倒的な強さを得たり。

そういう私も異世界転生のストーリーは好きでよく読んでいます。

では何故異世界転生がこんなに流行っているんでしょうか。

それは現代人が「現状への圧倒的な不満」を抱え、「そこから抜け出し、輝かしい成功の道へ行く」ことへの憧れをより強く持っているからでしょう。

最近は「努力をせずに転生した瞬間から成功者」というストーリーから、主人公を一旦地獄へ落とし、

そこから生還することで圧倒的な強さを得るというものへ変化してきています。

ご都合主義の話から「試練」を乗り越えることで成長するという話ですね。

民族的な試練にも似たようなものがあります。

一人で狩りをすること。
炎の中を潜り抜けること。
真冬の海の中を神輿を担いで渡ること。
少年の時に一定期間お寺に預けられること。

人は「試練」を超えることで、大きく成長したり、新しい自分になるということは世界中で古くから言われていることなのです。

しかし、それを「自分がする」となると話は変わってきます。

試練というものは当然ですが「とても辛い」ものですので。

だからこそ、それを代わりに行ってくれる「異世界転生」のストーリーに自分を投影しているため人気が出ているのではないでしょうか。

それで自分も「変わったつもり」になるのです。

いやはや分析すると中々手痛い感じになりましたね。


だけど私たちは生きていれば必ず「試練」は訪れるでしょう。

異世界転生や民族的な儀式のような「分かりやすい試練」ではないかもしれません。

しかしその「試練」を乗り越えないと似たような問題がまたやってきますし、

その「試練」を乗り越えたとして、またその先に次の「試練」がやってきます。

ここで人が取る選択肢は大きく2つあるでしょう。

試練と向き合い続けるのか、試練から目を背けるのか。

ワンピースのルフィでいえば、試練と向き合い続けることで新しい世界が広がり、新しい仲間ができていきますが、

島に残ることを選択すれば海賊王に憧れるただの少年として平凡な生涯を送って一生を終えていたことでしょう。

どちらの道を選んだとしてもどちらも不幸な人生とは言えないと思います。

例え道半ばで倒れたとしても少なくても「自分の選択の結果」として受け止めて逝けるのではないでしょうか。

では私たちはルフィの立場だったとしてどちらの道を選ぶのかを考えると面白いですね。

重要なのは、どちらの道を選んでも間違いはないので、自分が納得するかが最も重要なことです。

しかし私たちはワンピースや鬼滅みたいに苦悩し、挑戦しながら足掻き、強くなって成長する姿に心を動かされるところを見ると、そういう生き方への憧れを潜在的に持っているのではないでしょうか。

なら私たちは顕在化、潜在化を問わずに「成長したい」「人のためになりたい」「喜んでもらいたい」という想いを持っていると思うのです。

それと向き合わずに選択したことで起きた結果は本当に自分で選択したことではないため、最後に後悔が残るのでしょう。

ではそれを乗り越えるためには、どうやって試練に立ち向かえばいいのでしょうか。

それこそ「一歩足を踏み出す」こと。

何故ならどんなに素晴らしい考え方を持っていようがいまいが、行動に移さなければ現実は何一つ変化することがないからです。

だから最初は「一歩」、いや「0.3歩」ぐらいから始めることがいいのではないかと考えています。

「異世界転生」、中々奥が深いものです。

ではでは。

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