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【改めて自己紹介】挑戦者×表現者の男、近藤 俊

100記事以上すでに書いてますが、
ここまで書きながら学んできたこともたくさんあるので、それも生かして改めて自分の自己紹介記事を書いてみたいと思います。

改めまして、
近藤 俊(コンドウ シュン)と申します!

僕という人間は、一言で言うと
「挑戦者 × 表現者」
でありたいと思って生きています。

何歳になっても志を持っていろんなことに挑戦し、自分という人間をこの一度きりの人生かけて思いっきり表現していきたい。

そして僕はこのnoteを通じて、
自分が体験したことやビジョンだったり、日々の学びを分かち合い、読んでくれた方々にとっても何かしらのプラスの影響を与えられたら、と思って書いています。

この記事では、そんな僕が一体どんな人間なのか、初めましての方にも知っていただけるように、僕の過去、現在、未来について書いていきます!

※ちなみに、トップの絵は自分で描いた自画像です!

人見知り村出身

今これを書いているのは30代ですが、
さかのぼってみると、子供の時はそれはもう大の人見知りでした。

とにかく喋るのが苦手で、自分のことをうまく伝えられない。

幼稚園や小学校にいっても、なかなか周りの人と馴染むのも時間がかかって、何をするにもなぜだか恥ずかしくて、極力目立たないようにしていました。

友達も少なくて、教室の隅で1人ちょこんといることも多かったように思います。
でも本当は心の底では、クラスの中心にいる明るい人気者の子に憧れのような羨ましいような気持ちは持っていたと思います。

お絵かき少年

そんな引っ込み思案でいわゆる"陰キャ"の僕でしたが、人と喋るのが苦手だったので自分のことを表現するためにやっていたのが「絵を描くこと」でした。

父親も絵を描くのが好きな人で、物心ついた時から一緒に落書きをしたり、幼稚園や小学校の時も一人で絵を描いたり何かを作ったりすると、ずーっとやり続けて没頭していました。

学校で配られたプリントや教科書だったり、教室の自分の机だったり、何か余白を見つけると絵を描きたくなってしまうのでした。

なので、僕の当時の教科書には、いたる所に落書きがたくさん残っていました笑

絵を描いている時だけは誰の目も気にせずに、伸び伸びと自分の好きなものを表現して、とても自由でいられたのです。

ドイツとラオス

消極的で物静かだった近藤少年は、中学・高校でもその性格を引きずっていたように思います。

最初の転機は、大学時代。

ほぼはじめて、海外に行ったことでした。

とくに印象に残っているのが、ドイツラオス

ドイツは大学1年生の時に、海外へ行ってみたい!という思いがあったところから、1ヶ月の夏休みの短期留学という機会があったので、何も喋れないけど行ってみたのでした。

最初は不安とドキドキでいっぱいでしたが、この経験は僕にとっては大きな大きな衝撃でした。
このドイツがあったからこそ、僕が"挑戦者"であろう!と決めた1つのきっかけでした。

そして、海外へ行くことの素晴らしさを知った僕は、大学3年の時に今度は全然違う東南アジアの発展途上国、ラオスという国へ行きました。

何もない、でも知れば知るほど魅力で溢れている素晴らしい国、ラオス。
日本にいては決して感じることのできない、たくさんのことを学べました。
今ではとても大好きな国です。

大人の階段のぼる

海外に行って自分の中に大きな変化が起こった大学時代。
いざ社会に出るぞ!という時には、期待に胸を膨らませていました。

ただ、子供の頃からの人見知りくんはまだまだ治ってはおらず、その性格から、とくに女の子と話すのが大の苦手でした。

それは社会人になる時も変わりませんでした。
多感で甘酸っぱい中高の青春時代は、男女共学でバドミントン部とかに入っていたにもかかわらず、まったく女っ気がなかったのです。

そうして社会人になり、数年経った時に見かねて周りの背中押しもあって、
「このままでは男がすたる!」と、
ついにそう思い立って、"男になる"挑戦もしました。

これを語ったら、まるで情熱大陸のようなドキュメンタリーか、1本の超大作の映画になるような、壮大で感動の実話です。

人は決めたら変われる


そう気づかせてくれた、僕にとっては宝物のような大切な経験でした。

ご縁で生きる

振り返ってみると、僕は"ご縁"でここまで来たように思います。

人にはとても恵まれていました。

過去のそれぞれの時期に、その人たちに出会っていなければ、僕は全く別の道、別の人間になっていたように思います。

人生とは読めなくて面白いもんです!

その中でも、とくに自分にとって大事なご縁だったのが、1人の女性経営者の方と出会ったことでした。

初めて出会ったときの衝撃は今でも忘れられません。
そこから今でも、僕の人生に影響を与える人として間違いなくNo.1のご縁でした。

その人のようなかっこいい人でありたい!
人にプラスの影響を与える存在でありたい!
ずっとそう思わせていただいている大尊敬の方です。
その人と肩を並べて、さらに超えていくことが一番の恩返しと思っています!

坂本龍馬のような男になる

僕に影響を与えた人といえば、もう1人、それは歴史上の人物で、名前を知らない人はいないんじゃないかという有名人。
坂本龍馬です。

龍馬は今から150年も前の激動の幕末時代に、スケールのでっかいビジョンとハンパない行動力、そして死をも恐れないコミットメントを持って、その人間としての魅力で日本中を巻き込んで、ついには今のような平和な日本の土台を作ったとんでもない男です。

僕がなりたい人といえば、
一言で言えば坂本龍馬のような人!

僕がこれまで出会って一番影響を受けた、上に書いた人生の師匠と初めて会ったときに思ったのも、「この人は現代の龍馬だ!」でした。

僕は龍馬のように志に熱く、人が前に進むきっかけになるような男でありたい。

いつまでも子どものように純粋で素直で、どこまでも大きく自由でありたい。

死んだ後も、その人の生き様や想いは誰かの中に生き続けるような人でありたい。

日々そう思っています。

表現したい人が輝く場を作る

最後に、僕のビジョンについて。

僕はもともと人見知りで、絵を描くことが全てでした。

そんな僕が、たくさんの経験や忘れられない大切なご縁を通して、変化し成長し、ビジョンも広がっていきました。

今思うのは、"表現したい人が輝く場を作りたい"。
その具体的なことの1つが、自分のフェスを開くことです。

自分が絵を描いて表現するだけじゃなくて、
世のたくさんの表現したい人、本当はやりたいことがある人、もともとの僕のように思うように自分を出せないでいる人、そういう人たちがのびのびと個性を輝かせる場を自分が作りたい。

いろんな人と人とがコラボして、その掛け算で何倍も面白いものを創り出したい。

大人も子どもも、男も女も、日本も外国も、金持ちも貧乏も、なんにも関係なく、人はどこまでも自由に思い描いて、それを努力で実現できる!
そのことを人生というキャンバスに思いっきり描き続けたい。

そもそも人は誰でも、生まれながらに表現者。

自分と、出会う人全てが輝く場を作る、という"表現者"であること。

僕はこのビジョンを成し遂げるために、いま尊敬する人に学びながら具体的に行動し、チャレンジし、たくさんの経験をしながら"挑戦者 × 表現者"であり続けようと努力しています!

noteは生き様と成長の証

ここまで、僕の過去、現在、未来について書きました。

僕にとってnoteを書くということは、
その時の自分の挑戦したこと、その中で得たもの、想い、感じたものを残すということ。

カッコよく言ってしまうと、
僕の生き様と成長の証だと思っています!

ここまで読んでくださって、ありがとうございました!

これからもあなたにとって、少しでもプラスの影響を与える記事を書き続けます!

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