見出し画像

僕がCallaway Golfで学んだこと<Take a Risk編>

"Take a Risk"この言葉をシンプルに捉えるなら<リスクをとる、挑戦する>という意味です。リスクは危害や損害にあう高い可能性ですからリスクをとる、ということは損害が発生する可能性が高いことを受け入れる、ということになります。なかなかできることではありません。
イリー・キャロウェイ(以後イリー)はただ単にリスクを恐れずチャレンジすることが大切だ、と言っているわけではなく、伝えたい考え方はこうだったのです。

”経験していない分野こそ、
時代を切り開く創造性・新規性・価値などが潜んでいる。
だからそれらを得るためにチャレンジする。
しかし、やるからには十分準備した上で行動する”

やる価値があるから挑戦するのですが、注目すべきことは十分準備してから行動するのであって、準備をすることで損害の発生をかなり軽減できるのです。そこで進むべきかどうかを判断してGO!となるのです。
「やるっきゃない!」とただリスクを背負ったまま猪突猛進的に突き進んで失敗するケースが結構ありますね。身近なところで…

時代を切り開くような新規性・創造性があれば大きな価値は当然あるわけですが、なぜ、今まで誰もやらなかったのだろうか?
仮にやったとしてうまくいかなかった理由はなんだったのだろうか?
ここが準備としての調べるべき部分です。そして、それらを分析した上で、誰もやったことのない「価値のあるもの」をどうすれば得ることができるだろうか、と考えるのがイリーのやり方なのです。

ここからは未知のワインビジネス、ゴルフビジネスにおいて新しい時代を切り開くためにイリーがどう対処したのか、リスクを取って次なる行動に出たのかを説明したいと思います。

ワインビジネスにおける"Take a Risk"
まず、なぜイリーはワインビジネスに興味を持ったのだろうか、という点が重要な所です。
イリーはワインについて専門家やソムリエのようにワインに詳しいわけではなく、一人の愛飲家といったものでした。出張でヨーロッパに行った時、美味しいワインに出会ったら、時間を見つけてそのワイナリーに足を運んでどのように作られているのか、ビジネスとしてはどうなのかを見聞していたのでした。彼は常に興味のあるものに対して今、その市場がどうなのか、伸びているのか、新規参入者でも成功できるスペースはあるのかを見極めていたのでした。

そのようにして得たワインビジネスの情報は、良いワインを醸造し高い評価を得ることができればビジネス的には十分利益が見込める魅力あるビジネスである、というものでした。
ただし、ワインは年によって天候に左右される要素が大きく、天国のように素晴らしい年もあれば、反対に厳しい年もある、リスクのあるビジネスでもあることは理解していました。

アメリカのワイン市場
市場を調べてみると次の3つの事実が分かったのです。
*アメリカのワインはカリフォルニアのナパという地域で品質の良いワイン
 が醸造家の努力によってできるようになっていた。
*アメリカのワイン市場は愛飲家が増え拡大傾向にあり、アメリカで消費さ
 れる40%が南カリフォルニア(サンフランシスコより南の地域)である
 こと。
*アメリカで良いワインが造られているにもかかわらず、一流のホテル、レ
 ストラン、エアラインではヨーロッパのブランドものが人気でアメリカワ
 インの評価はまだ低いものでした。

この現状を知った時、イリーはこのように考え始めたのです。
*ワイン市場は拡大基調なので新規参入者でもやり方次第で成功できる。
*南カリフォルニアがワインの消費量が40%もあるならば、その地域でワ
 イナリーを作れば、小さなワイナリーでも地場でやっていけるのではない
 か。
*ナパでワイナリーを始め成功したとしても「新参者がそこそこ上手くやっ
 た」ぐらいの評価しか得られない。
*南カリフォルニアはナパの気候に比べて気温が高すぎてワイン用ブドウの
 生育には向いていない、とみられているならそこで最高品質のワインを
 作ることができれば<創造性・新規性・価値>がある。
*ワインは産地が重要なファクターであるがその概念を打ち破ることで新た
 な価値が生まれる。

リスクを軽減するために
イリーはこの考えが正しいかどうかを確認するためにしっかりと調査をすることにしたのです。
土壌や地質の専門家、気象の専門家そしてワイン醸造のトップレベルの専門家を集めて、南カリフォルニア地域でワイン用のブドウの育成に適した土地があるかどうかの調査依頼をしたのです。
その結果は期待以上のものでした。
報告書は「サンディエゴの北東にテメキュラという町があります。その町にある高台の一部の土地はナパと同じような土壌があり気候もブドウの育成には最適な環境です。現在は牧草地ですが最適な土地であるにもかかわらずまだ誰もワイナリーを始めていない所です。もし南カリフォルニアでワイナリーを開設するのであればここしかありません」と書かれてあったのです。

その年、イースターの休暇を利用してイリーはテメキュラの土地を見るためにニューヨークから現地に飛んだのです。
そこには正に運命的な出会いが待っていました。

テメキュラの牧草地は土地開発会社の手に渡っていて、本来は大きなショッピングモールやビジネスセンターが開発される予定でしたが、その計画が頓挫してワイナリーにでもしたらどうかということになっていたのです。
その話を聞いたあるワインメーカーが格安の価格でその土地を購入しロサンゼルス郊外で小さなワイナリーを営んでいるジョン・モラマルコに、その土地がワイナリーとして適切かどうかの調査と管理を依頼したのでした。
彼自身も南カリフォルニアのこの土地では難しいと思っていたのですが、実際に来て気候や土壌を調べてみると、高台にある一部の土地は自分でも信じられないくらいワイン用のブドウの生育には最適な土地であることが経験からも分かったのです。この未知の土地で美味しいワインを作りたいと考え始めていた矢先に不動産屋に案内されてきたイリーが目の前に現れたのでした。

画像2

モラマルコは報告書が提案するワイナリー最適地と言われる場所にイリーを案内し、なぜこの土地がふさわしいかをこのように説明したのです。
「一般的にサンディエゴエリアはメキシコに近く乾燥して気温が高い土地ですが、少し内陸に入ったテメキュラは海からの風と馬の背になったような地形の影響で特殊な気候が存在しています。毎日午後になると海からの風はテメキュラ地区の高台に雲を発生させ、気温を下げ、ナパと同じようにブドウの生育に適した環境になるのです。そして、ブドウの生育には欠かせない川も近くに存在します。ちなみにテメキュラという名前はネイティブアメリカンの言葉で雲の中を光が通るところ、という意味で、海からの湿った冷たい風が吹き始め雲がではじめる状態を<レインボウギャップ>と呼んでいます」と。

広大な牧草地のわずか一部の150エーカーの土地がワイナリーには最適でまだ誰も手をつけていないので、本気でワイナリーを作るつもりならすぐに手を打つべきと助言したのです。
イリーは2週間以内に連絡するので待っていて欲しいとモラマルコに伝えニューヨークに飛び帰ったのでした。

テメキュラの土地はやはり報告書と同じワイナリーには最適地であり、1エーカーあたり$1,500と破格の価格で手に入れることができる。アメリカワイン市場は拡大傾向なので新規参入のチャンスである。あとはどうやってこの土地で最高品質のワインを作り、それが最高の品質だと評価され、上手に販売できるかがビジネスの成功の次のポイントだと考えたのです。

約束の2週間も経たない間にイリーはモラマルコに連絡を入れ土地購入の手配をするように依頼したのです。契約の会場はテメキュラ・クリークカントリークラブというゴルフ場でゴルフが念頭にあったことがここでも伺えます。あくまでこの時点ではプレイヤーとしてです。
そして、105エーカーの土地購入のサインを済ませワインビジネスの最初の一歩を踏み出したのです。

画像2

ゴルフビジネスにおける"Take a Risk"
では、ゴルフではどのようにしてビジネスチャンスを見出し成功の階段を上って行ったのでしょうか。
ワインビジネスは当初15年の間に想定していた結果を出し、しかるべきところに売却する、と決めてスタートしたのですが実際には9年でその状況に達したことから予定より早く売却する決断をし、実行に移したのです。
全てを清算したあとて元に残った現金は900万ドルという大きな金額でした。そして、ビジネスチャンスがありそうなものを再度探し始めたのです。

そのような時、パームスプリングにあるインデアンヒルズというゴルフ場のプロショップで目に留まった1本のウェッジがあったのです。このクラブはシャフトが木製で一見クラッシッククラブのようでしたが、店員の説明は「このクラブは古いクラブに見えますが航空機産業の技術を応用して、木のシャフトの部分をくり抜いてそこにチタン製のパイプを挿入し、ヘッドは精密に機械加工されたものが装着されたもので最新の技術を駆使したユニークなクラブです」というものでした。
昔、使っていたクラブのようで妙に懐かしい感じとその作り方に興味があったので1本購入して家に帰ったところ、このクラブを製作している人物から電話があり、会社に投資をしないかの打診をされたのです。
彼らはイリーのことを知っていて、ワイナリーを売却した資金の一部を融資して欲しかったのです。
しかし、見も知らないところに投資をすることは全く考えていなかったのですが、あまり熱心に連絡をしてくることから、一度製作現場を見る、という姿勢を見せて断れば相手も納得するだろう、と考え後日工場に行って開発者や製作現場を見せてもらったのです。
彼らの話を聞くうちにだんだんと考え方が変わっていったのです。「これはもしかすると将来的には価値がでる、ゴルフビジネスにも時代を切り開く創造性・新規性が見えてきた。偶然だが良いチャンスかもしれない」と閃いた瞬間でした。

スライド1

それは彼らが説明した会社の未来の形とイリーが考える未来のゴルフメーカーは全く違うものだったのですが、そのことは言わずに株式の51%を投資をする決断をしてクラブメーカーのオーナーになったのです。
そのクラブメーカーの名前は<Hickoly Stick USA>というものでイリーは<Callaway Hickoly Stick USA>という社名に変更しただけで最初はオーナーとして会社の運営には直接タッチはしなかったのです。

イリーがなぜ、急に考えを変えたのかといえば、今までの経験からくる直感で、今こそゴルフビジネスを起業するチャンスかもしてないと閃いたからです。その直感は次の理由からです。

1982年頃のゴルフ市場
*ゴルフクラブの市場はプロトーナメントの発展や新規メーカーの進出など
 拡大基調にあったこと。
*ゴルフクラブの製造方法が手工業から量産が可能な工業製品へと変化して
 新しいメーカーが出現し業績を大きく伸ばしていた。
*プレミアムなゴルフクラブは上級者向けがほとんどでアベレージ用のクラ
 ブが存在していなかった。
*プレミアムゴルフクラブの価格はおよそ価格帯が決まっていて利幅が限ら
 れていた。それに販売方法が自前のセールスではなく地域ごとに存在する
 代理店に販売依頼するところがほとんどで、新規参入が難しい状況であっ
 た。
*上級者はゴルフ人口のわずか10%以下であり、アベレージゴルファーと
 呼ばれるゴルファーは全体の90%近くも存在する。彼らの多くは道具で
 ゴルフが楽しめるなら、そのようなもを必要としていた。
*投資先の彼らの持っている技術はおそらく自分が求めているゴルフクラブ
 を作ることができるレベルである。

少年時代からゴルフを始めジョージアでもニューヨークでもトップレベルのプレイヤーだったからこそゴルフクラブには常に関心があり、市場のこともプロのビジネスマンとして注意してみていたはずです。
ゴルフはゲームを楽しむまで多くの時間がかかり、なかなか上手になれないプレイヤーのためにやさしく使えるゴルフクラブを開発すれば新規参入者でも大きなビジネスチャンスがある。
しかし、なぜ今までゴルフビジネスを始めなかったのかといえば明らかに参入するチャンスを待っていたのだと思います。
市場を見て、時代を切り開くようなゴルフクラブができる状況と機会を。
そして、すぐにことを起こすことをせず、1年ほど投資した会社の動きを観察しながら適切な準備期間に当てていたのです。

ワインビジネスにおいてもゴルフビジネスにおいてもイリーの特筆すべき点はビジネスチャンスがありそうな市場を常に凝視して起業するタイミングをうかがっていたのだと、行動を見ているとそう見えるのです。

ビジネスはマーケティングが全てだと言われているが、
私はそうは思わない。
私は人々が幸せを感じるものを作り出すクリエーターであり、
どうすればそれができるかを理解している。
つまり、まず良いものありきだ

この信念を持って起業したのですが,想定されたリスクと想定外のものが思わぬところから発生してくるのです。

どうそれらを乗り切っていったのか、”Enjoy your Game"の始まりです。


もし、私の書いたものに興味がありサポートししてみたいと感じていただけるならとても嬉しく思います。次の投稿に際しても大きなモチベーションになるからです。