孤島・離島・遠島に、なぜ魅かれる?
『今年やりたい10のこと』の筆頭に、
① ひとり旅
と書いてしまったので、
まずは(経済的/時間的/肉体的に実行可能かは別として)『行きたい』場所を列挙してみました。
いずれも以前から興味があるけれど、同居人の賛成は得られない地域です。
海外では:
・タスマニア
・アイルランド
・マダガスカル
国内では:
・小笠原諸島
・五島列島
・隠岐
こうやって見ると、島(というには大きすぎる対象も含まれるけれど)ばかり。
そういえば、コロナ禍にあっても、
・利尻島・礼文島(2021年)
・屋久島(2022年)
で山歩きをしたし、
・しまなみ海道の島々(2021年)
は自転車で縦走しました。
うーむ。泳ぎは50 m程度でギブアップするくせに、なぜ島に魅かれるのだろうか?
そういえば、高校時代から30歳まで、ペンネームには『俊寛禅師』を使っていた。あの『鹿ケ谷の陰謀』が露見して平清盛に鬼界ヶ島に流された俊寛僧都にちなんだものです。
陰謀に関与した他のふたりが赦免された後も俊寛ひとりは島に取り残され、
[A] 怨念に悶えながら絶望の中で狂死した(倉田百三)。
[B] 島生活に順応し、島の娘と幸福に暮らした(菊池寛)。
の2説がある。
私なら当然、生き方[B]を選びたい。
遠島に流罪となった歴史上の人物で、もうひとり好きなのが、源為朝です。弓の名手ながら保元の乱に敗れ、伊豆大島に流された。
けれどそこで反乱を起こし、伊豆七島を支配してしまう。うん、これも痛快です。
関ケ原で敗れて八丈島を流刑地とした五大老のひとり、宇喜多秀家も面白い。島での生活は不自由だったようで、嵐で島に退避した船から酒を恵んでもらった記録が残っているそうです。島産のサトウキビでラム酒でも造れなかったものか。
それでも彼は、1655年、84歳まで生きた。関ヶ原に参戦した大名としては最も長く生きたのだとか。『勝ち組』大名だってその後の人生はストレス山盛りだったろうから、どちらが幸せかわからないね。
西郷さんも島津久光の逆鱗に触れ、徳之島、さらに沖永良部島に配流された時代がありました。
── つまり、どうやら私は、『流刑地』としての遠島にまでロマンを感じているらしい。
『島』生活に対する憧れのルーツを考えてみると、小学生時代の読書に行き当たります。
noteの『プロフィール』に、子供の頃からなりたい職業?として、① 小説家、② 発明家、③ 探検家を挙げていますが、③を志望した動機のひとつが、小学生時代に読んだ冒険物語、特に、以下の2冊にのめり込んだことでした。
『十五少年漂流記』は、『SFの父』ジュール・ヴェルヌが1888年に発表した冒険小説、『無人島の三少年』はそれより前にバランタインが書いた少年向けの小説です。
両方とも少年たちが無人島に流れ着いた後、力を合わせながら島中を探検したり、次々に襲いかかるピンチを切り抜けたりしながら生き抜いていく物語です。
同時代に堀江謙一さんのヨットによる太平洋単独無寄港横断のニュースもあり、よし、じゃあ俺は筏で横断しようじゃないか、とバカなことを考えたりしていました。
さらに幼い頃の愛読書にガネット作『エルマーのぼうけん』(原題:My Father's Dragon)があります:
動物ばかりが住む孤島で、少年が囚われている龍の子供を救い出す冒険譚です。
この話も忘れられないほど大好きで、大人になってからも、英語版の朗読で聞いたりしたくらいです。
── こうした幼い頃の《刷り込み》ってあるのでしょうね。
でも、こうした自然な《刷り込み》ではなく、親が事業(特に政治家業)を継がせようと、企図して《刷り込み》をする場合もあるのでしょうね ── 成功するとは限らないけれど。
いや、まんまと親の意図どうりに刷り込まれてしまう子供ってのも……どうなんだろうか?
「作戦成功!」
と喜んでいいのだろうか?