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山の話(お伽草子三部作)

狐の話

 狐はその夜、酒に酔っていた。
 村人に化け、庄屋の娘が嫁入りする宴の席で飲めや歌えの大騒ぎをして帰るところだった。 
 明るい月の下で尾花が風に揺れていたが、ほてった顔をその風に吹かせて千鳥に歩く狐には、月が六つにも七つにも見えた。
「ウィーツ、酔った酔った。それにしても、庄屋の娘はいい女だねえ。あんないい女を嫁にもらう男は幸せもんだ」

 狐は独身だった。
 若くてちょいと二枚目の狐のところには、言いよってくる女狐の一匹や二匹、いないではなかったが、気位の高い狐はそばに寄せつけなかった。
「俺の理想は高いのだ」


狸の話

 狸には、ものごころついた時から親がなかった。
 苦労して育ったわりには軽薄で、あちこちでこの話を悲劇風に味つけして、お涙ちょうだいの一席をぶった。
 それにしてはまた陽気な狸だった。仲間が集まるといつもまっ先に踊り出すのは、この狸だった。
 腹鼓のかろやかな音が谷間に、何重奏にもこだました。

 仲間が帰ってしまったあとで、狸はひとり、木の洞の中で本を読んだ。恋愛小説だった。
 腕組みしてうなずいた。
「うん、俺は孤独だ」


猿の話

 猿は金に困っていた。月夜の晩に行なわれた丁半ばくちですったのだ。
 いかさまじゃないか、と文句をつけた猿は、逆に袋だたきにあって身ぐるみはがされた。
 猿には女房子供がいた。金をどうして工面しよう。
 怒りっぼい女房とうるさい子供なら、まだ良い。猿の帰りを待っているのは、病床の妻と目の悪い女の子だった。

 猿は道に枝を伸ばしている、赤松の木をながめた。
 いい知恵は浮かばなかった。
「仕方がない、このまま帰ろう」


猪の話

 猪は臆病なくせに喧嘩は強かった。
 若い頃の怪我がもとで、冬が来ると腰やひざが痛んだ。
 山奥の湯治場へ出かける途中、道に迷ってしまった。いつのまにかしんしん冷える夜が来て、寒さと恐しさに猪は震えた。月も森も草も山もみんな化け物に見えた。
 じっとしてると周りのものがだんだん迫ってくるような気がして、猪突猛進、めくらめっぽう走り回った。小さな木をなぎ倒し、大きな木にぶつかってよろめいた。
 どこをどう走ったのか、いつか猪は山奥の湯治場に来ていた。

 こんこんと湧き出るあつい湯に身を浸すと、あちこちの傷に湯がしみて痛んだ。顔をしかめながら、それでも猪はつぶやいた。
「ああ、いい湯だ」


兎の話

 兎はその日、嫁ぎ先から実家へ帰る途中だった。正式に夫婦別れが決まったのだ。
 一人きりの山道は淋しかった。結婚前の楽しかったことがいくつも浮かんでは消えた。
 この山は娘時代によく歩いた山だった。大きな月がにじんで見えたけれど、それはいつもの月よりも、かえって美しいような気がした。
 雁が渡って行くのか見えた。えんじ色の蔦が太いブナの木にからみついていた。
 兎は久しぶりに、思いきり大きく跳ねてみた。ブナの幹も蔦の葉も上下に揺れた。

 道の傍らの大きな石に腰をおろし、ホッと息をついた。
「私もまだ、若いんだし」


熊の話

 熊は耳が遠かった。
 みんなが話していると自分の悪口を言っているような気がしたし、笑っていると自分をあざけっているような気がして、いつもいらだっていた。
 この熊が若い女房をもらった。
 働き者で優しく、よく気のつく女房だったが、熊はどうしても気を許すことはできなかった。
 結婚して初めての冬ごもりも、別々の洞穴で眠った。

 春が来て熊が目覚めると、女房は玉のような男の子を産んでいた。熊は有頂天になって子熊をなめまわした。
 そしてそっとその、まだ何もわからない幼い耳にささやいた。
「お父さんはね、お前だけが頼りだよ」


むじなの話

 むじなは物知りだった。
 毎日近所の子供たちがやって来て、この老人にいろいろ質問を浴びせた。
「楓は秋になると、どうして赤くなるの?」 
「海って、一体どんなものなの?」 
 時々はむじなも知らない事があったが、うまくごまかすことができた。子供たちは満足して家に帰って行った。
 むじなは子供たちから《物知り爺さん》と陰で呼ばれていることを知っていた。本当は《先生》と呼んで欲しかったのだが、自分からそう言い出すのも恥ずかしく、この名に甘んじていた。 

 子供たちが帰ったあと、むじなは老妻と二人、ささやかなタ食をとった。
「ねえおまえ、わしらは子供なんかいなくて、よかったかもしれないね」

<山の話・了>

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