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海の話(お伽草子三部作)

亀の話

きのうの夜に私が海から顔を出して見たら沖の方に鳥賊いか釣りの漁船がたくさん出ていましてね、一列に並んだ照明灯の灯で海面を光がゆらゆら揺れているのです。それはそれは美しくて、その下で次々に捕えられて暗い場所に投げ込まれる者たちの事を、……いや、同じ海に住む者としてまことに恥ずべきことですが、うっかり忘れるところでしたよ。

いつか浜辺で陸亀と酒を酌みかわした時、その陸亀が自慢気に、京の高瀬川の灯籠とうろう流しの話を、澄んだ流れの上を静かに下るその火影ほかげのしんみりとした美しさを語りましたが、海の烏賊釣りはそれをはるかに凌ぐことでしょう。

そんなことを思いふけっている私の所にかつおが電報を持って来ました。鳥賊の母親からでした。鳥賊が鳥賊釣りの船に捕まって死んだというのです。

鳥賊は私の昔の教え子の一人で、こう言ってはなんですが、あまり出来の良くない、しかも目立たない生徒でした。
いや、正直言って私はその生徒の顔をほとんど憶えてすらいなかったのです。

それでも私は一応、泣こうとしました。


鳥賊いかの話

ああ、この世には神も仏もないものでしょうか。不幸は全ての者に平等に訪れるのではなく、一人のいけにえを選んで徹底的に打ちのめすものなのでしょうか。

嫁いで子供を産んですぐ夫に死に別れてからというもの、辛いことばかり。それでもかわいいひとり息子の成長を頼りに後家を立ててここまでやって来たのに、そのたったひとりの息子さえも私から奪うなんて……。

こんな事言うと親馬鹿に聞こえるかもしれませんが、あの子は本当に母親思いのいい子でしてねえ、私が夜なべして内職仕事をしていると、肩を叩いてくれたり、……うっ、うっ、ううううっ、……ほ、本当に優しい子だったのに、みんなに好かれる良い子だったのに、ああ……あなた、これもみんなあなたが亡くなったのがいけないんですよ。

私はとうとう、ひとりぼっちになってしまったじゃありませんか。


たこの話

えっ、鳥賊のやつが死んだって。……ふうん、烏賊釣りの船にねえ……。そりゃあ、気の毒なこったなあ。

しかし、ま、こんなこと言うのは良くないかもしれねえが、鳥賊が死んで心の中でホッとしているやつは多いんじゃねえかな。烏賊のお袋さんだってそうだろ、あのごくつぶしをかなりもて余していたようだったぜ。家からだまって金を持ち出すわ、夜遊びはするわ、留守に栄螺さざえを連れ込むわ、だったからなあ。

それはそうと、その栄螺も密かに喜んでいる者の一人だろう。栄螺は強引な烏賊のやつに口説き落とされたんだが、近頃はほとほと嫌気がさしていたらしかったからなあ。
へへっ、栄螺もこれで俺の所に戻って来るかもしれねえな。いや、なにね、あの娘はもともと俺の恋人だったのさ。それを鳥賍が、……ひきょうじゃねえか、奪いやがったんた。
そうさ、おおせの通りだ。俺も烏賊が死んで喜んでいる一人さ。

いけないかい?


栄螺さざえの話

あたくし昨夜は悲しくて悲しくてとうとう朝まで泣き続けていました。ほら、目が赤いでしょう? そうでもないって? 嘘おっしゃい。

あんなにあたしを愛してくれた鳥賊さんが亡くなっただなんて、昨日元気な姿を見たはかりなのに、今でも信じられませんわ。こんなことならデートの後、家に帰すんじゃなかった。悔やんでももうかえらないけど。あたしも昨夜はずっと一緒にいたかったわ。でもほら、あたくしたち、清い交際だったでしょ。烏賊さんたら、あたしの殻をやさしく抱きしめると、じゃあもう今日は帰るよ、きみも気をつけてね、愛しているよ、って。……あらいやだ、あたしったら、恥ずかしい。

でも、もうその烏賊さんもいないのね。いつもさみしそうだった鳥賊さんの横顔……ここだけの話ですけど、烏賊さんの家庭は随分複雑だったそうよ。なんでもお母さんに愛人がいるとかで……。

だから、あたしだけが心の支えだって、よく言ってたわ。


鯛の話

やあ、君も来ていたのかい。しかし、それにしても今度のことは驚いたねえ。ひどい事をするじゃないか。俺はあの若さで死んでいった烏賊の無念さを思うと胸が痛んで痛んで……。

僕とあいつは親友だったからね、しんゆう・・・・。小さい頃から家が近くでねえ、よく二人で遊んだものさ。君は確かつい最近付き合い始めたんだろ? 僕はそうじゃないからなあ。僕とあいつの仲はそんなもんじゃないぜ。今日この葬式に来てる顔ぶれを見ても、まあ、僕ほどあいつとうちとけて話し合った事のある者はいないね。あいつは僕に心の中を全て打ちあけてくれたし、僕も誰にも言えない秘密をこっそり話した。ほら、肝胆相照らす、って言うだろ、そういう仲だったんだ。そんな無二の親友を亡くした僕の気持ち、わからないだろうな君たちには。今こうしていても、あとからあとから涙が出て来て……ううっ、つらいんだ。

えっ、なに? 栄螺? ははっ、あいつは女じゃないか。馬鹿だなあ。言ってたぜ、遊びだって。
それからねえ、僕はすごい秘密も知っているんだ。えっ? いや、だめだよ。こればっかりは言えない。死んだ鳥賊と約東したんだからな。

言ったらみんな、驚くだろうけど。


かにの話

わしは昨夜、酔って浜辺をふらふら歩いておった。空は星が鈴なりだった。昔はもっともっと星があったものだ、と独り言を言いながらも、昔の夜空がどうしても想い出せずに、立ち止まって潮風に吹かれ酔いを覚まそうとした。
漁を営む人間たちも早い朝にそなえてみんな寝静まった夜の浜 ── いいねえ、星のことはもう忘れて歌うたいながらまたそぞろに歩き出すと、石垣の上に組んだ木枠に板が一枚渡してあるのが見える。登ってひょいと見ると、……これが鳥賊を干しているところなんだな。はらわた取られて広げられて、……哀れなものよ。わしもしばらく黙祷を捧げた。

形の良い物はもう昼間に取り寄せて……そうさ、今じゃもうトラックに載ってどこかの町へ向かっているかもしれん。夜になってもこんな風にまばらに残っているのは、日の干しが足りないか形が悪いかどちらかなんだ。とうに死んでひからびている鳥賊の姿は、同じ海の仲間のわしなんかにも、どちらかと言えば、《食い物》に見えた。

中に 1……枚って言っていいんだろうな、知っている鳥賊がいた。その頃にはもう、酒の酔いも覚めちまっているわな。わしがよく通う女のところの一人息子なんだ。女に会いに行く度にわしに金をせびる、まだ若い癖に骨まで腐った奴だ。

いい気味だ、── そう言って、もう変色しかけたそのからだをはさみでつっついた。そのまま帰ろうと思ったが、やっぱりどうも後味あとあじ が悪くてな、頭のところをつまんで海まで引きずって来てやった。すぐに波にさらわれてどこかへ流れて行ったさ。

まあ、あんなことしたって、また元の体に戻るなんてわしも信じているわけじゃないが、供養にはなるだろう。 
まあいいさ、……よし、今夜もあの女の所に行って慰めてやるとするかな。

へっへっへ。

<海の話・了>

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