落とし所を探す癖が染み付いていないか?
こんばんは。社会起業家/中小企業診断士の浜俊壱(shun1.hama)です。
このnoteでは、
「社会起業家/中小企業診断士っていいですね。」
「どうやったら独立できるんですか?」
「どうやったら経営は上手くできるんですか?」
「何をどういう風に考えているんですか?」
と、よく聞かれることを
自分の人生の棚卸しや日々考えていることの言語化を通してお伝えしていきます。
ほぼ毎日noteを書き続けて、今日で961日目。3,000日チャレンジ達成まで残り2,039日。
ここ一週間くらい珍しく体調を崩し、熱はないものの絶不調でした。ようやく、回復してきたので再開です!
はじめましての方はこちらもご覧ください↓↓
さて、本日のテーマは「落とし所を探す癖が染み付いていないか?」です。早速書いていきたいと思います。
落とし所を見つけるのはなぜか?
もしかしたら、あなたもこのように考えていませんか?
確かに、このことは一理あります。
なぜなら、この着地点により両者が満足してくれるのであれば、問題なく物事が進むからです。
そうではなく、例えば、自分の意見をぶつけたとしたらどうでしょうか。
もしかしたら、一方は満足してももう一方は満足しないかもしれません。
これだと収拾がつかないということもありますよね。
したがって、落とし所を見つけるのは、物事を円滑に進めていくために身に着けた大人の所作ではないかと思うんです。
落とし所を見つけることは素晴らしい?
先ほどお伝えした通り、落とし所を見つけることはある意味調整としては素晴らしいということなのかもしれません。
両者の言わんとする所を解釈し、両者が納得できる説明を考え、周りの人たちにも意見を求め、場合によっては根回しを行い、万全の状態で双方に納得してもらう。
これだけの地道で崇高な調整もなかなかないかもしれません。
このおかげで組織全体としてトラブルもなく同じ方向に進んでいけるとしたら、素晴らしいと言えるのではないでしょうか。
その一方で、これはあくまでも、「全体として」素晴らしい。
のであって、個人としてこれを長年続けていることがプラスになるのか?というと少々疑問に思います。
落とし所ではなく、自分の価値観で判断する。
私は人からよく相談を受けます。
相談してくれる方に、「なぜ、私にお話をしてくれるのですか?」と尋ねると、その際、言われることの一つに、
「意見を否定しないし、安易な答えを言わないじゃないですか」
ということがあります。
言われるまで気づかなかったですが、先ほどから書いている「落とし所を見つける」という考えは私の中で優先されることがほとんどありません。
どうやったら、その人の言っていることが達成できるか、他も両立した上で。
ということを考えながら話を聞いているからかもしれません。
サラリーマン時代から忖度や落とし所をつけるということも、ほとんどやった記憶がありません。
つまり、そういったことが、そもそもただ苦手なだけのかもしれません。
ですが、もしかしたら、今までの経験から落とし所を見つけることがいつの間にか無意識になっている方もいらっしゃるのではないでしょうか?
落とし所を見つけること自体は先ほどからお伝えしている通り、皆さんの意見を汲み取ることができる崇高なものだと思います。
ただ、それが数十年続いて身についた「いつの間にか落とし所を常に探りながら考えてしまう」という癖が無意識的に身についているとしたら、自分の価値観に基づく判断や意見ということを出しづらくなっている状態にあるのかもしれません。
「自分だったらこう考える。なぜなら、・・・」
という点から物事を考えることも、たまには考えてみるのも悪くはないかもしれませんよ。
あなたはどう思いますか?
・・ということで、今日はここまでです!
最後まで読んで下さりありがとうございました(^^)
明日も皆さんにとって、良い一日となりますように!!
まとめ
・落とし所を見つけるのは、物事を円滑に進めていくために身に着けた大人の所作。
・組織全体としてトラブルもなく同じ方向に進んでいけるのは、落とし所を作ったおかげ。
・無意識的に、最初から落とし所を見つけるようになっていないか?
・自分だったらこう考える。なぜなら、、といった、自分の価値観を出発点として考えることも自分の人生にとっては大事。
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