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広島カープが強い今だからこそ、読み返しておきたい物語。あの年、「広島」でいったい何が起こっていたのか?【重松清『赤ヘル1975』講談社】

広島カープが強い。気がついたら今年のペナントレースでもマジックを点灯させている。このままいけば2016年から3連覇、ということになる。

そもそもカープがはじめて優勝したのは1975年のことだった。帽子の色を赤に変えたその年、決して下馬評が高くない中で、序盤にルーツが監督を退任するアクシデントがありながらも後任の古葉竹識監督が立て直し、山本浩二、衣笠、大下、外木場らが活躍して栄冠をもたらす。それは奇しくも広島に原爆が投下されて30年目のことだった。

その1975年の「広島」の情景を、3人の少年を軸にまさかと思われたカープの快進撃を織り交ぜて描かれたのがこの『赤ヘル1975』である。

怪しい商売に手を染めて住処を転々とする父について、東京から広島へやってきたマナブ。「相生団地」に引っ越したその日、酒屋を探す道端でヤスとユキオの2人に遭遇するところから、マナブの広島での暮らしがどんどん色濃いものになっていく。

原爆が投下されて30年しか経ていない広島の街で「よそモン」であるマナブが何を感じ、何を学んだのか。そして日を追うに連れ現実味を帯びてくるカープの初優勝。徐々に熱狂していく1975年の広島の街がありありと目に浮かぶ。そんな雰囲気の中、戦争を通して浮かび上がる「生死」と、団地の中で揺れる人間模様に心動かされるマナブの姿に、同じ「よそモン」である僕はいたく共感した。

物語もさることながら、付随するように展開していく1975年のカープの戦いぶりの細かすぎる描写も忘れてはならない。10月15日、ホプキンスのとどめの3ランが飛び出し、後楽園球場で初優勝を飾ったその瞬間、彼らはいったい何をしていたのか。そしてユキオの作る「赤ヘルニュース」の優勝記念号で、ある報告が公表される・・・。シーズンが佳境に入るにつれやってくる様々な「別れ」がいちいちグッとくる。僕がマナブだったらきっとそのたびに涙していただろう。

物語の最後、宮崎・日南キャンプに出向いたヤスは、「年上を呼び捨てにするな」と咎められてもなお、翌年入ってきたルーキー・北別府の名を力の限り叫び続ける。その真意に気がついたとき、胸が締め付けられるような思いがした。

物語に出てくる3人の少年も、今となっては50半ばのおじさんになっているだろう。菊池や丸、鈴木誠也といったメンバーが引っ張り、下手すりゃこの時代よりももっともっと強いカープに、きっと彼らは日本、いや広島の片隅で、今でも酔いしれているに違いない。


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