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夏以降の仕事は未定

 現在今年の見込み年収は103万とかなり危険。今やっている仕事は、書籍が一冊とファッションのムック本が一冊。これらはだいたい5月くらいで終わる。それ以降の収入の見込みが立っていない。でも、仕事すると同時に起こるもろもろのストレスに対する耐性に自信がなく、今後仕事がない自分に少し安心している面もある。

 しかし、ひとは金がないと生きられない。夏以降は家賃も払えなくなりそうなのである。

 書籍のライティングや編集業務一式のギャランティは、だいたい一冊につき25〜45万くらいで受ける。金額は内容によりけり。この話をすると友達に「え、めっちゃもらってるじゃん」みたいなことを言われるけど、本は特殊な場合を除いて一ヶ月ではできない。だいたい一冊を短くとも三ヶ月かけて作るので、ギャランティ÷3くらいと思ってほしい。そうすると、もらえる金は、ふつうの会社員とあまり変わらない。むしろ場合によっては製作期間がめちゃくちゃ長引くときがあり、どれだけ長引いてもほとんどの場合、ギャラの金額は変わらないので、一般的よりもらえる金は少なくなる。
 以前、(結果的にだが)二年かけて一冊(たった128ページの書籍)をつくったことがあるが、なんだかんだでギャラは60万程度だった。もちろん二年間毎日稼働していたわけではないけれども、単純計算で一ヶ月あたりのギャラは毎月2.5万だったと換算してしまうと悲しくなる。

 編集者もライターも、"クリエイティブ"みたいなところに片足突っ込んでいる職業であるせいか、《時間がかかってもいい作品(本)を作りたい》みたいなアーティスティックな面がある。だから、二年間で60万のギャラだったときもクライアントにギャラ交渉なんてできなかった。
 この前、庵野秀明のプロフェッショナルを見たけれど、シン・エヴァは少なくとも脚本の描き直しが二回あったみたいだからアニメーターの人たちもその分製作期間が伸びたってことだろうか。自分に置き換えて考えると、ぞっとする。でも、あの場には「一生に残る良い作品を作りたい」といった信念があって、そのクリエイティビティを元に皆動いていて、お金の流れとかしらんけど、庵野さんと仕事できるってことが価値なんだろう。仕事=金がすべてじゃないってことは私も重々わかっている。

 フリーランスで働いてるなんてすごいね!稼いでいるんでしょう!と言われることが多いが、正直(私的には)コスパが悪いのは事実である。これが、好きじゃないと働けないねという所以。じゃあどうやってお金を稼いでいるのかというと、年に何冊も何冊も本を作るのである。だいたい二ヶ月に一冊刊行のペースで仕事を請け負えば、だいたい年収400〜500万くらいはいく。もっと頑張って働いていたときは700万くらいとかまでいけたが、土日も働いて、夜遅くファミレス行って、溜まったストレスの分タバコを吸って……という破滅的な生活だった。だからもうそこまでしない。

「僕たちがフリーランスで働いている理由ってさ。ほら、ここの健康を保つためってのがでかいじゃない」昨日、現場で会ったフリーランスのカメラマンが胸をこぶしで叩きながら言った。そのときは、苦手な版元クライアントとの付き合い方についてのアドバイスでこう言ってくれたのだけど(このことはまた今度書く)そのカメラマンがどのくらい稼いでいるのかわからないけど、私も自分の心の健康を保つ程度に働きたいと思った。

 大切な事実。保険、年金など生きるためには金がかかる。たとえばそれらを払えるラインをデッドにして、ちょうどいい働き方ができればいいのだろうか。仕事が舞い込まなくなった今、自分で営業をしなければならないけどその精神力がない。じゃあ編集・ライター以外の仕事をすれば?と言われるが、それ以外やったことなくここまで来てしまったので怖い。わがまま?そうですね。仕事なんて我慢するもの、つらいもの、お金を稼ぐ手段だと割り切れるようになるまでまだ時間がかかる気がする。

 根性なし。ああ、仕事がない。でも営業するのが怖い。「お仕事ください」と出版社へ一本メールさえできない。久々に誰かとしゃべるときに使うエネルギーでまた死んでしまいそうになる。もう腕を切りたくない。自分の心の健康が崩れるのが怖いから他の仕事にも手を出せない。目の前のことで精一杯。頑張ると、一昨年みたく、死ぬ死ぬ詐欺をして家族を困らせてしまう自分が見える。精神状態が悪くなると一回1万円のカウンセリングに通って助けてもらわねばならなくなり、家計が御破算。職種を変えての仕事もできない、怖い。人と関わって疲れていく自分がいともかんたんに想像できる。頑張るのが怖くなってしまったのはいつからだろう。

 「生きる=生きるための手段の"いろいろ"を考えないといけない状態」という図式で最近よく考えている。私みたいな精神状態のひとに「生きてるだけでよかった」と言うが(私も誰かにそう声をかけたことある)、でもその言葉はあまりにも綺麗事すぎてじつは効力がないのではと思っていて。
 すごく身近なひとに、「君は存在してるだけでいいよ」「生きてさえくれればいい」と言われると嬉しいし、その場をしのげるけれど、結局大人は生きているだけでいろいろと金がかかり、その手段を考えるのがしんどいから生きるのが面倒になっているにすぎない。ので、「ああ、その言葉を言うあなたはとても無責任だな」とも思う。つまるところ、こう考えてしまう自分は目標を見失っているのだと思う。

 とりあえず、今もらってる仕事をこなします。

今度一人暮らしするタイミングがあったら猫を飼いますね!!