いのちの電話がつながらなくても

 先日有名女優がなくなった。すごくきれいな人女性だった。7月に有名俳優が亡くなったときも、今日女性ギタリストが亡くなったときもそうだ。メディアでは自殺の要因の憶測が飛び、そろいもそろっていぶかる。「亡くなったのは◯◯が要因だ」「◯◯に悩んでいたに違いない」などと平気で憶測を言う。母から電話がきたりして「彼らが死を選んだ理由」をあれこれ話してくる。

 「死にたい」という選択肢がない人は、「死にたい」気持ちが身近にない。だから、「つらすぎるから死にたい」と言う人の気持がわからないのかもしれない。どんなにつらくても「死ぬ」という選択肢は脳裏には浮かばないという。別にそれを責めているわけでもないし、「死ぬ」を選択肢に加えろというわけじゃないけれど、できるだけ想像はしてほしい、とは思う。

 今日、有名女性ギタリストが亡くなったとき、私の幼なじみからラインがきた。「元気?」「生きてる?」と一言送られてきたので、そのとき報道を見ていなかった私は「あれ、私なんか心配されるようなことしたっけな?」と考えてしまったのだけども。そのあとすぐニュース見て、状況を把握して、こうやって私の安否を心配している友達がいる間は、私は死ねないなと思った。

 私は「つらすぎるから死にたい」という選択肢を持つ人間だったけれども、あくまでもその選択肢を選ばない生き方をしていきたいと思ったよ。友達から「あなたは生きてね」「何かあったら何時でもいいから連絡して」と言われた言葉がどれだけ心強かったか。

 有名人の自殺報道をする際は、後追い自殺等をなくすために、つらいときの支援先や相談窓口を一緒に報道することがガイドラインで決まっているそうだ。

 でも、いのちの電話はつながらないことのほうが多い。ほんとに残念な機能だなと思う。「誰かに話したい!」と思ったタイミングが受付時間外だったり、かけても「ただいま大変混み合っています…」のコールが延々流れるだけだったり。

 以前私は1時間以上つながらなかったことがある。そのときは、夫も外にでかけていて、真っ昼間だったので友達もみんな仕事していて、両親にも助けを求められない状況だった。死にたいって思う時間は夜が多いとかイメージ強いかもしれないけど、ぜんぜん朝から死にたいことだってあるんだよ。朝、起きて「ああ、また今日が始まる…」という絶望だって人によってはあるんです。

 その日の私は、東京、関東近郊の窓口にもかけたけど、当たり前に誰も出なかった。いつも使っているLINEの「相談ほっとLINE」もそんときは時間外だった。ああ、どうしようってこのままじゃほんとに私は何をするかわからない、と果てには全国各地のいのちの電話の窓口にかけた。北海道〜石川〜静岡〜岐阜〜福岡と適当にタップしてかけるけど、ほんとに全国津々浦々まじでどこもつながんない。

 そうした中、鹿児島県のいのちの電話につながって「はぁい」というやさしいシワシワのおばあちゃんの声に救われたことがある。

わたし「もし、もし…?」
おばあちゃん「はぁい」
わたし「あ、あの……」
おばあちゃん「はぁい、今日は暑いですねぇ(そのとき8月だった)」
わたし「(号泣)」

 おばあちゃんは、教員をやっていて定年退職後にいのちの電話を10年くらいボランティアでやっているらしかった。じつは、たしか中部地方かどこかのいのちの電話につながった瞬間はあったんだけど、すっごい野太い声で「もしもし?」と威嚇的に言われて怖くなって切ってしまっていて、だからこそ、このおばあちゃんの「今日は暑いですねぇ」みたいなどうでもいい世間話からスタートした会話が泣くほど嬉しかった。すぐ「どうされましたか?」って聞かれると事故ですか?事件ですか?みたいに急かされるようになって当事者はつらい。

 結局、おばあちゃんにそのとき悩んでいたストレッサー(性格がきつすぎる50歳女性の仕事相手)のことを軽く相談したら、「50歳?まだまだそんなのまだまだあまちゃんよ〜!!」と明るく言ってもらえてちょっとラクになったんだ。たしかに70歳の人からみた50歳なんて赤ちゃんみたいなもんだ。

おばあちゃん「あなたは何歳?」
わたし「28歳です」
おばあちゃん「そう、なら死ぬなんてこと言わないの」

と、70歳のおばあちゃんに言われたらめちゃくちゃ納得した。死んじゃダメだ。死んじゃダメなんだ。

 

今度一人暮らしするタイミングがあったら猫を飼いますね!!