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"持ってる"側の人、持たざる人。フォロワー数バブルで作られる本

 この前記事に書いたのですが、今あんまり仕事がない。ライターとしても編集者としても営業怠っているし、正直働く元気がない。そんななか、ありがたいことに先日仕事の依頼が来たのだけど、すごく安いギャラを提示されて、その上それで知らないタレントの本を作ってくれという。書籍に限らず、いろんな企画は所詮ビジネスだ。「役に立つ本」ではなく、「売れる本」が優先される時代で、いちばんいいのは「役に立つ本で、売れる本」なのだけど、そんなものそうそう作れない。というかそんなカリスマ性のある著者を見つけるのは大変だ。だから、今、書籍は「今一時的に売れる本」というだけで企画が通るようになった。タレント、YouTuberのビジュアル本。「Twitterのフォロワー数累計○万人!」と宣伝ができるから、出版社も強気。ファンが買ってくれることが何割かは見込めるから下手な博打にはならない。むしろめっちゃ売れる。発売前重版かかってもおかしくないくらい。需要はすごくあるからね。でも売れるのは初速の一時的なもので、ある程度ファンに捌けたら終わり。ブックオフにある。今まで私も何度かそういう本を作ったのだけど、もともと「誰かの役に立つ本を作りたい、誰かが死ぬまで大切にしてくれる本を作りたい」が編集者になったモットーだったから、一時的なフォロワー数バブルの本を作ることに疲れてしまった。私はどんな本が作りたかったんだろう。同業者の夫にこの仕事を断ろうかと思ってると話したら、「いいね、魂は売りたくないってかんじで」と言ってくれた。結局仕事は断った。


 よく聞くんだ。金が儲かればいい。多少誰かが怒ったりしても、一定層に反響や動きがあればいい。持っているひとたちだけに向けたメディアの金儲け的な動きには個人的には疲れている。私もメディアの人間なんだけどさ。持たざるひとはいつも無視されるのがもうしんどい。私は語彙力がないから、ああこんな世の中なら死にたいなってくらいしか感想が出せないのだけど。

 タレント本やタレントさんがが悪いわけではないのだけど、いつもいつも”持ってる人”にだけスポットライトが当たる今の世の中が生きづらいんだ。
 『大豆田十和子と三人の元夫』というドラマ、いろんなところで評判だし、私は昔から坂元裕二の大ファンで『カルテット』も『最高の離婚』も大好きなのだけど、今回の『大豆田十和子〜』はいまいちハマらなかったのは、主人公全員が〈持ってる側の人〉だったから。主人公は不動産の社長で、三度離婚しても、十分娘を育てていける経済力も余裕もある美人の大豆田十和子。でかくておしゃれな家。元夫もカメラマン、弁護士、レストラン経営と全員が持っている人で、日陰にいるひとたちにはまったく光が当たらなそうだと思った。まだ第二話は見ていないけれども、なんだかつらくなった。
 私は、ひとりひとりに影のある『カルテット』が好きだったし、アルバイトしながら、正社員じゃないけど、家庭に事情を抱えながら、なんとか楽器を弾いてるカルテットのメンバーが好きだった。「足りないこと」「欠陥があっても生きてること」を『カルテット』を観ていたら肯定されている気になれた。

 あとちょっとでしんどいのが終わるんですよ。仕事から若干開放されて好きな文章を書く時間が取れるかも。先日「君はストレスの解消法が下手だなあ」と夫に言われ、銭湯に行った。「生きててよかった」と思える瞬間がたまに訪れるけれど、銭湯で水風呂に入ったときもそのひとつ。小さな幸せの具現化。


今度一人暮らしするタイミングがあったら猫を飼いますね!!