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価値観が変わってきた話

 ある本を読んでいて、「自分の心の健康を作ろう」という趣旨の本なのだけど、その中で【自分の価値観を知る】という章がある。人生は限られていて、限りある自分の時間とエネルギーをどうやったら有意義に使えるか? みたいな哲学的な質問を投げかけられるのだが、その本は「生きがいのある人生とは、価値観を軸にして生きる人生」だという。
 自分の価値観に合う生き方ができれば、心がいっそう健康になる。価値観は人生の指針になる。
 そういう言葉を聞いたときに、自分の人生が仕事に支配され続けていることをとても疑問に思った。私にとって大切なものってなんだろう? そう思ったとき、今までの働き方や選択ではだめなのかもしれないと思った。

 心と身体を健康に生きたい。3年前に境界性パーソナリティ障害と診断されてからはそう強く思うようになった。完璧主義でミスを犯せない。誰彼にもいい顔をしてしまい、疲弊し、それでも笑い、感情のコップがいっぱいになると泣いて殴って暴れる。そういうわたしを支えていたのは、"フリーランスのライター・編集者として仕事をしている"というプライドだった。
 好きなことをしている姿はかっこいい。そういう価値観でいっぱいだったのは、たぶん20代前半で、今もそう思えるかと言われれば違うのかもしれないと思い始めている。
 去年ある媒体の編集長にならないかと声を掛けられたが断った。「30歳までに編集長になる」というのは、22歳で出版社に入ってからの長年の夢で、漫画『働きマン』の主人公・松方弘子みたいな働き方をし続けるのが理想だったはずなのに、そこには編集長になりたい気持ちの私はいなくなっていた。

 「編集者」をずっと続けなければ価値にならないと思ってる自分がいるのは、長く続けなければ、マスコミで働くオットの隣に入れない。対等でいられないという思いがあるからだろうか。
 でも最近の私は、人に原稿を評価される仕事、というか人とのやり取りや接触があってそれにビクビクする仕事は、自分らしくないと思い始めている。冒頭の本のワークで知った私の価値は、【安心して毎日を過ごすこと】【思いやりをもって誰かとのつながりを丁寧に大切にすること】【プロでいること】【文章を書いていること】である。これらに、今の働き方は当てはまらない。

 文章は本当に好きな仕事。本に関わることは自分のプライド。自分の文章でご飯食べるのはとてもいいこと。でも、気を遣いすぎて、"気づいて動ける"の優秀な編集でずっといるのは、私の命をすり減らすことと同等だと思う。人の顔色をうかがってメールの文面考えている私の心は健康ではないかも。苦しいだけかも。

 価値観が変わったのかもしれない。その変化を受け入れる時なのかもしれない。



今度一人暮らしするタイミングがあったら猫を飼いますね!!