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僕にとっての音楽

人は音楽を聴いて、興奮したり落ち着いたりする。

音楽はダイレクトに心に影響を与える。そんな音楽を作るという行為は、ある意味感情のデザインとも言える。

ミュージシャンは感情のデザイナー。


昔よく聴いてた曲を聴くと、当時の感情がフラッシュバックする。昔感じていた気持ちが、その曲に保存されていたのだ。

音楽は感情のハードディスクなのかもしれない。


絵も料理も音楽を聴きながら作れるが、当の音楽は音楽を聴きながら作ることができない。


音楽仲間が、僕の声を勝手にサンプリングして作った曲を発表した。自分の声が自分の知らない場所で編集されていたのだ。

それは、声の主導権が奪われたかのような何とも言えない感覚で、とても神秘的な体験だった。


音楽の固定観念を壊すと言いながら、作る曲の尺を3~4分で構成したり、アルバムとしてまとめてしまっている。

無意識のうちに既存のフレームを採用してしまっていたのだ。というか、フレームの存在にすら気づいてなかった。しかし、フレームがあるからこそ、その外側に行くこともできる。


とある恋愛アニメを観ていた時のこと。デートシーンのBGMに、心臓の鼓動のようなビートが使われていて、一瞬自分の心臓の音だと勘違いした。

とあるアンビエントミュージックを聴いていた時のこと。窓の外から聞こえる飛行機の音が、今聴いている音楽の一部だと勘違いした。

聴いている曲が外部の音と同期する現象、面白い。


無機質な曲を切ないアニメのBGMとして使った場合、その曲に切ないという印象を外付けすることはできるのか。

できるのだとしたら、音楽は印象を宿す器にもなる。


クジラが超音波を聴けるように、まだ人間が聴いたことがない音がこの世界には沢山ある。

耳や身体が進化し、人間も超音波を聴けるようになれば、音楽の表現ももっと進化していくのだろう。


何にも接続してないイヤホンを耳につけ、無音を聴く。無音は聴くことができるのか。

リラックスできる曲を探しているうちに、結局無音の方がいいという気持ちになることがある。そのとき僕は、一瞬無音を聴いている感覚に陥る。


マッサージ屋にはマッサージ屋っぽいBGMが流れている。100円ショップにも100円ショップっぽいBGMが流れている。BGMは空間にマッチするように設計されている。

BGMは音のインテリア。


曲作りは、目には見えない周波数や波動をデザインする行為とも言える。

ミュージシャンは周波数デザイナーであり、波動デザイナーでもある。


カセットテープにハマった時のこと。まるでいい香りのアロマを焚いているかのように、部屋中にカセットテープごしの優しい音が浸透していく感覚がとても心地よかった。

プレーヤーを再生した時のメディア特有の音が、アロマディフューザーからアロマが拡散されてる時の記憶とリンクして、香りのように音が空間に広がっている感じがした。


「これはサンプル音源です」という歌詞で構成された曲は、サンプル音源なのか。それとも、そういう歌詞の曲というだけで、サンプル音源ではないのか。


自分の曲をこの世界で一番聴いているのはたぶん自分自身で、音楽配信の地産地消みたいな体系が構築されてることに気がついた。僕のリスナーのほとんどは、未来の自分なのだ。

自分以外にも、もっとたくさんの人に僕の曲を聴いて欲しい。


よく聴いているケン・イシイさんのExtraを聴いたら、普段は聴こえていなかった音が聴こえてきた。

同じ曲でも、意識のピントが合っていないと聴こえないメロディがある。


偶然つけたテレビで知っている曲の途中部分が流れていた。それが何の曲か分かるまで、いつもとは全然違う聴こえ方がしていて驚いた。

知っているあの曲というフィルターを通さずに、いつも聴いている曲を聴いた感じ。その曲を初めて聴いたときの感覚とも近いのかもしれない。


夏に恐怖をテーマにした曲を集めた「肝試しアルバム」を作ろうと思った。

いきなり大きい音が鳴る絶叫曲や、心霊動画の怪奇音だけをサンプリングした聴くと呪われそうな曲。ベーシックに超不気味なメロディで構成された曲など、色々集まったら楽しそうだと思った。

ほとんど人が集まらず、結局作れなかった。


朝、目覚める寸前の夢の中に、スマートフォンの目覚ましアラーム音が侵入してきていることに気がついた。

現実世界の音は、夢の中にも入ってくるのだ。


ドレミのドの音だけで曲を作ろうと思った。色んなミュージシャンに協力してもらい、ドの音だけで作られた音楽集が完成した。


フエラムネは世紀の大発明だと思う。「食べられる楽器」というアイデアを思いついた人も凄いし、その企画を実現した会社も凄い。

味も大好きだし、心から尊敬しているお菓子。


昔聴いていた曲を聴くと、当時の感情が蘇ってくるという話。実際に曲を聴かなくても、その曲を頭の中で流すだけで、鮮明に昔の感情がフラッシュバックする。

興味深いのは、一度音楽の記憶を頭の中で流し、それを聴くことで懐かしさを感じるっていう二重構造の回想が発生しているというところ。


あいみょんが自分の耳で聴いてる(骨伝導ごしに聴こえる)歌声は、みんなが聴いてる録音された歌声とは違うはずで、色んな歌手が自分ごしに聴いている歌声を再現したMixがあったら聴いてみたい。


自分が作った曲、思い入れとかコンプレックスみたいな色んな意識のフィルターを通して聴くことになるので、自分以外の人が聴いたときとは絶対違う聴こえ方してるはず。


ライブをしたいのに楽器が弾けないというジレンマ。でもゴールデンボンバーは楽器が弾けないのにライブを成立させている。

固定観念に囚われなければ夢は叶う。


音楽を聴くとメロディによって悲しいとか楽しいとか色んな感情が引き起こされる。ということは、人類がまだ感じたことのない未知の感情も、メロディで設計することができるのではないか。


飲食店でご飯を食べていた時、ふと店内で音楽が流れていたことに気づき、「ずっと聞いていた音が聴こえ始める」という不思議な聴覚体験をした。

意識して聴いていない音=聴こえていない音なのだが、無音ではない。商業施設ではよく、「聴こえる無音」が流れている。


身の回りで鳴っている音は全て、地球によって無料配信された音であり、地球は究極の音楽配信サービスとも言える。

そして、そんな音楽配信サービス地球のコンテンツの1つに、自分が生きている間に発する全ての声や音、様々なノイズも入っている。


3分の曲を聴くには、人生の3分間をその曲に捧げなくてはいけない。しかし、それでも構わないと思えるほど素敵な曲と出会えたなら、それはとても幸せなことだ。


呼び込み君がキーボード担当として置かれているバンド。

呼び込み君のメロディを人間がキーボードで弾くバンドより、呼び込み君自体がキーボードとして置かれている方が面白い。なぜなら、呼び込み君がミュージシャンになっているから。


台所から聞こえてきた家族の鼻歌をリミックスして曲を作る。


めっっっっっちゃいい。の「っっっっっ」の部分だけで作った歌。


Daft Punkのライブ映像を無音で観ながら自分の作った曲を聴くことで、Daft Punkが自分の曲を演奏してくれてるイメージを脳に刷り込む。


音楽は空気振動のオブジェ。


同じ曲でも音量によっては印象が変わるので、ボリュームボタンがある時点で制作者が完全に意図する曲を聴いてもらうことはできなくなる。

音量を調節するという行為も作曲になるのか。


どんぐりころころの歌を思い出すことで、頭の中でどんぐりころころが流れ始める。どんぐりころころの脳内再生。


宇宙空間で録音した曲は無音になるのか。


超音波で作った曲。今の人類にはまだ無音。


楽器が武器化された音量戦争によって荒廃した地球。大気は大音量ノイズで汚染され、人々はノイズキャンセリングヘッドホンを装着しなければ生活できずにいた。

そんな世界で暮らす主人公のボリュムは、戦争の残骸である楽器を発見し、ボリュームバトルを繰り広げることとなる。様々な楽器所有者たちと戦っていく中、ボリュムは楽器が武器ではなかった時代の記録を発見する。

楽器は何のために作られたのか?戦争前の人類が残した謎の書物「楽譜」の意味とは何なのか?

という物語を考えた。


そもそも僕自体が12音階以外の音も出せる人間楽器だったのだ。


ジャパネットたかたの電話番号を急に思い出すのは難しいが、ジャパネットたかたの歌はメロディで覚えているので「ふりーだいやる♪ ぜろいちにーぜろ♪ よんよん♪ いちの♪ にーにーにー♪」って簡単に歌える。

そして自分の脳に電話番号情報がすでに刷り込まれていたことに気がつく。


右耳だけで聴いた曲と左耳だけで聴いた曲は、印象が違う。左脳と右脳で処理の仕方が違うから印象が変わるのだ。


いつも聴いてたアニメのOPソングのFull ver.がようやく公開されて、初めてCメロ部分を聴いたときの「ああこの曲にはこういうメロディの続きがあったんだ」という、あの興奮を作りたい。


曲って1日寝かせてから聴くと印象が変わる。2日目のカレーみたい。


ミヤタ-------
プランナーをしながら、日々新しい気づきや固定観念が壊れる瞬間の事例を収集しています。



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