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森のおじさん

「早く寝ないと、森のおじさんが来て連れて行かれちゃうよ」

私が子供の頃、夜遅くまで起きていると親からよくこの言葉を言われた。森のおじさんは子供を早く寝かせるために誰かによって創作された架空の存在であり、名前以外の情報は何も無く、幼かった私は正体不明のその存在を心から恐れていた。四つ上の兄も同様にその存在を恐れており、私たち兄弟はこの言葉を言われると、眠くなくとも床に就かざるを得なかったのだ。

長い年月が過ぎ、私も大人になったある時、ふとしたことから兄と森のおじさんの話になった。しかし話していく中で、あることに気がついた。それは私と兄とで、当時想像していた森のおじさんの姿が全く違っていたのだ。

私の森のおじさんのイメージは、登山家の格好をして杖をつき、帽子のつばで目元が見えない不気味な中年男性のようなものだった。一方の兄は、巨大な樹木におじさんの顔がついている妖怪のようなものを想像していたのだと言う。「森のおじさん」という絶妙に具体性に欠けるネーミングによって、私たちはそれぞれの頭の中で、自分にとって一番怖い「森のおじさん像」を作り上げていたのだ。

人間には想像する力がとても強く備わっており、分からないことや知らないこと、見えないところなどを勝手に想像して補ってしまうことが多々ある。そして、ときに想像上のものは現実とは違った妙なリアリティや存在感を獲得することがある。幽霊が恐怖の象徴として古来より恐れられているのも、実際に姿形がある存在よりも、想像することしかできないものの方が却ってその存在をありありと感じられてしまうからなのだと思う。

しかし、分からないことを想像するのは楽しいことでもある。例えば映画でも、映像やセリフで物語や状況の全てを説明してしまうよりも、スクリーンに映っているものを観た観客の頭の中で「もしかして、、そういうことか!」という想像を伴った体験が得られるものの方が、私は鑑賞者として純粋に楽しいと感じる。

私たちは想像する楽しさを十分に享受する代償に、想像したくないことまで想像してしまう怖さとも上手く付き合っていくしかないのである。

遠藤紘也
ゲーム会社でUIやインタラクションのデザインをしながら、個人でメディアの特性や身体感覚、人間の知覚メカニズムなどに基づいた制作をしています。好きなセンサーは圧力センサーです。
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