つくり手がものづくりを続けるために必要なこと
フリーランスになる前から、色々な日本のものづくりの現場を取材したり、お話を伺う機会がありました。その中で、「つくり手がつくることを辞めてしまう」本当の理由について、感じていたことを書きたいと思います。
-----
海外生産に押されて国内生産の需要が減り、将来性を見い出せずに後継者が減り、衰退が加速する…という構図は、ジャンル問わずつくり手を追い込む大きな課題です。
環境や金銭面、ライフスタイルなどを理由につくり手を辞めてしまったり、廃業するところが多いのは事実なのですが、そのすべてが「赤字によるもの」ではないそうです。
「なんとか黒字は出ている。でも工場をたたむ」
その根底にあるのは、つくり手がものづくりを通してモチベーションを失い続ける関係性にあるようです。
つくればつくるほど失われるもの
依頼数が減る。単価が安い。納期が短い。その過酷さをライフワークバランス的に「数字」で知り、「確かにそれは大変だ」とわたしたちは捉えがちです。しかし、それによって削がれ失われるものが「時間」と「お金」だけではないことが意外にも見落とされがちです。
その数字や態度が「職人としての自己肯定感」までも削り取っているということです。
素人にはとても理解できない専門知識を持ち、熟練された技術は何年、何十年という時間の中で培われ研ぎ澄まされた、紛れもない価値のあるもの。
ですが、それを安く買い叩くことに疑問を感じたり、成果物を見せて報告し、感謝を述べ「共につくることを喜び合う」ような依頼者は決して多くはないようです。
職人さんの中には、寡黙でコミュニケーションが苦手な方も少なくありませんが、自分の仕事に誇りを持ち、「なんとかいいものをつくってやろう」という気概に溢れる方がやはり多いと思います。
しかし、その長年ひとつのことに打ち込み続ける忍耐も熱意も、無限に湧き出るものではない。正当な価格は当たり前の大前提として、価値を本当に認める依頼者の存在が不可欠なのだと思います。
価値を認める人を選ぶ
わたし自身、フリーランスになってはじめて自分の仕事に対する「価値」に向き合いました…というか向き合わざるを得なくなりました。
何かをつくってほしい人に、それをつくって、対価を得る。そこには同じ素材を使っても、同じ時間を費やしても、天と地ほどの価格差が生まれることがあります。しかも、良いものの方が高価とも限らない。
わたしの場合は、理不尽なデザイン修正を何度も重ねた挙げ句、追加料金の請求をしたら音信不通になるようなとんでもないクライアントもいれば、自分にとっては何のことはない仕事を「素晴らしい!ありがとう!」と言って高い報酬をくださる方もいる。
重要なのは、「価値を認めない人からは離れ、認めてくれる人と付き合う」という選択なのだと思います。
それは、生温い環境に甘んじることは似て非なる重要な選択です。また、認めてくれない人が悪人という話でもありません。それぞれ優先する事が違うだけなので。
「疲弊していくだけの環境」から抜け出して「自分を肯定してくれる人だらけの環境」で、さらなる成長を遂げたり、新しい価値を生み出したりすることの方がずっと「つくり手」も「つかい手」も幸せになれる。
つくることを辞めてしまう前に、その選択ができたら。そのきっかけをつくる人と出会うことができたら。わたしに何かできないか…と、お話を伺う度に思うのです。
つくり手もやはり、人なのですから。
-----
そうは言っても、それが中々簡単にはいかないから難しいのであって、わたしも「これで解決!」と妙案があるわけでもありません(すみません…)
ただ、つくり手さんと関わる方の中に少しでも「需要が増えれば」「高く買えば」以前の問題もあるという気付きが増えたらなあ、と思うのです。
前に取材した方の中には、産地を巡り、メーカーさんと職人さんを繋ぐ仕事をされている方もいて、そういう流れがもっと強まれば、良いマッチングが増えて素晴らしいことになるなあ…と思うので、また別の切口でものづくりのこと書けたらなと思います。
自分のカトラリーブランドを持つ&日替わり古民家bar運営の夢を持つ、駆け出しのフリーランスにご加護を!