逆噴射小説大賞に参加したことでの気づき

逆噴射小説大賞に参加したことでの気づき

逆噴射小説大賞の振り返り、最終回。

1. 自分で書いた作品の中で気に入っているやつを自薦
2. 自分で書いた中で「これはあかん」というやつの反省会
3. 他の人が書いた作品で「これ好きだな」と思ったやつのまとめ
4. 逆噴射小説大賞に参加したことでの気づき

今回は第四回目、逆噴射小説大賞に参加したことでの気づきです。「気づき」とか偉そうなことを書いていますが、実はたいした内容ではありません。

目次

1) インプット大事、アウトプット大事。でもいずれも人間を経由するもの。
2) 自分の文章のテンポ、そして物語のテンポ。
3) 自分の手癖は直らない。
4) 書き手の持つ文脈、そして読み手の持つ文脈。
5) 熱量が大事。
6) 結局「パルプ」がわからない。

1) インプット大事、アウトプット大事。でもいずれも人間を経由するもの。

文章を書くためにはインプットが大事! みたいなことを良く聞きますね。実際、その人がそれまでに摂取してきたコンテンツがアウトプットの質や幅に大きく影響してくることは疑う余地が無さそうです。

また一方でアウトプットが大事! ということも良く聞きます。これは吐き出す数をこなさなければ、イメージを言語化する力も、他人に伝える力も身につかない…という当然の道理だと言えます。

でも今回、逆噴射小説大賞に参加していて思ったんですが、インプットもアウトプットも畢竟、僕という人間を通過していくんですよね。僕とは異なる誰かが僕とまったく同じインプットを摂取したとしても、おそらくアウトプットは別のものになっていく。

僕という人間が持っている人生、価値観、願望。そういったものが間違いなくインプットの選択にも、そしてアウトプットの質や幅にも決定的な個性を与えている。つまるところ、どんなに良い肥料を与えようが、どんなに良い種をまこうが、「僕」という畑を耕さない限り、豊穣は得られない。

だから文章を書くって全人的な営みなんだなって、そんな当たり前のことに気づかされたのでした。自分という人間が核心です。そして以降の気づきは、すべてこれを前提にしています。

2) 自分の文章のテンポ、そして物語のテンポ。

これについては凄く良い題材がありました。ダイハードテイルズのお二人の作品です。

何年も前からずっと思っていたんですが、傾向として本兌有さんの文章はリズミカルというか、グルーヴ感が凄い。一方で杉ライカさんの文章は物凄くじわじわと来る。(あくまでも僕が主観的に感じている傾向です!)

今回、逆噴射小説大賞に参加したことで、人それぞれが持っている文章のテンポやリズムというものは間違いなくあって、それを自覚することがとても大切なんだなってことに気づかされました。

一方で、人だけではなく「物語」もまた固有のテンポやリズムを持っている。それに気づいてあげることがその物語を豊かなものにしてあげる大切な鍵になるんだなって思いました。

3) 自分の手癖は直らない。

上述のテンポの話とも関係しますが、やっぱり人には手癖というものがありますね。そして器用な人はともかく、そうでない人(僕だ!)はそう簡単にその手癖は直せねーな、と気づかされたのでした。

そうであるなら、自分の手癖を自覚してそれをいかに昇華させるのか。それが上達への早道となりそうです。

4) 書き手の持つ文脈、そして読み手の持つ文脈。

前回書いたピックアップ記事で、j_ou noさんの「ダイブ・イントゥ・ザ・ダークネス 第一話 Dr. ヘーゲルと闇の世界精神」を取り上げました。

僕はこの作品、言葉一つ一つにイメージが惹起されて凄く興奮して読んだんですが、冷静になってみると「多くの人には伝わらない…?」とも思ったんですね。これを面白いと感じるには前提として元ネタの思想家や哲学的テーゼを「なんとなく」でも知っている必要があるわけです。

でもこれって、全てのコンテンツに言えることでもあるんですよね。書き手の持っている文脈(Context)と、読み手の持っている文脈がそれなりに重なり合わなければ、その面白さは伝わることがない。

たとえば特定のクラスタだけに受けているコンテンツであったり、内輪受けだけで閉じてしまうコンテンツ。そういったものも書き手と読み手の文脈がどこにあるのかに依存しているわけです。

だから自分自身の持つ文脈に自覚的であること。そして「誰に対してその物語を届けたいのか」に自覚的であること。それが重要なんだなと気づかされたのでした。

5) 熱量が大事。

これは言うまでもないことですね。書き手が内に秘めた熱量、それが物語の迫力を産み出すんだなって。たとえ暗くて冷たい物語であっても、そこには書き手の熱量があるわけです。

なんとなくで書いたものはやっぱり嘘っぱちなんですよね。たとえそれがウケたとしても、自分自身がしっくりこない。自分自身の中に熱量がなければ物語を走らせることは難しいんだろうなと感じました。

6) 結局「パルプ」がわからない。

いや真面目にわからないんですけど…。
ということで「パルプって何?」って命題に関して、わからないということだけがわかってしまいました。実際わからなさ過ぎるので、逆噴射先生に聞いてみることにしました。答えてくれるかなー…。


…ということで、以上で気づきは終わりです。

偉そうにいろいろと書きましたが、では次に何かを書いたとき、これらの気づきをしっかりと生かせるかというと絶対無理です。こればかりは数をこなして心と体に身につかせるしかないのだろうなぁと思っています。なので、ただひたすら功夫あるのみ、です。

【おしまい】

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