なんでもオタク就活生が今更『推し、燃ゆ』を読んで、「これになりたい」って思った話
ES(エントリーシート)の提出を5つ諦めて、2つ提出してきた就活生です。
「アイドル」という職業が好きな、オタクです。
けど、何でも好きです。推しが多いタイプのオタク。
今更ながら宇佐見りん先生の『推し、燃ゆ』を読みました。呆然とした気持ちのままnoteに登録して、今書いてます。つまり、note童貞を今卒業するところなのです。書き方がわからない。
なんでこんな突発的に文章にしたくなったか。タイトルの通り、私は読了後「これになりたかったんだ」と思ったからです。
読んだ方は分かると思いますが、簡単に言うと、一人の推しを推す女の子の生き方のお話です。他の方の感想などは拝見していない(敢えて読まないようにしていた)ので、どういう感想を抱かれているのかはわかりませんが、一般的には「社会不適合者」と呼ばれやすくなってしまう話だと思います。
じゃあ、なんで私はこれになりたいの?っていうことを駄弁ります。
只の駄弁りなので、作品内容は端折ります。
是非作品を読んでくださいまし。
1.私と主人公のリンクする点
主人公のあかりちゃんと私はとてつもなく似ている部分がありました。
①有象無象のなかの一人になりたい
結構冒頭の点で書いてありましたが、「推しとの距離感」がとても似ていました。オタク的に言うと「認知されたくない」という感じ。
私はライブに行くときにうちわは持っていきません。というのも、「推しくん、君を応援している人間がここに一人はいるんやよ。いつもありがとう。」という気持ちで推しの残滓を受け取るためにライブ参戦しているので、つまりは、私を見てほしくないのです。
この推しに対しての距離感は友人の描写で顕著に出てましたね。「いい匂いだね」「つながった」っていうのはこの嗜好性の反対を行ってて、「おるよな~」という気持ちになりました。
ちなみに私は地下アイドルに関しては、ファンサを貰った瞬間に下りました、、、。目が合って、「あ、こんなあっけないんだ」って思ったんです。彼女のことは好きだったけど、耐えきれなくて通うのを辞めました。苦しい。
②推しを「解釈」したい
「アイドル」って、その生きざまを晒す職業だと思うのです。私は、その背景だったり、そこから推しがどういう思いで動いているのかを考えることが好き。つまり、推しを「解釈」したい人間という意味であかりちゃんと一致しました。
勝手に妄想していることかと非オタだったり、ドルオタじゃない人は言うかもしれないけれど、割とこれがリアル。本人との「解釈一致」はあります。
私は嵐の櫻井翔さんが好きで、ずっと見続けてきました。
そんな中で、「櫻井翔が病気になって、嵐として活動できなくなった話」に出会ったのですが、これまたすごい。まぁよくある「推し(担当)の病みもの」なのですが、その中で「4人で活動することは考えられない、翔君が活動できないのなら、解散だ」という意見になるんですね。
活動休止発表で呆然としているときに「あぁ、そういや解釈一致だな」って思ったわけです。いやな話だけど。
つまり、彼・彼女ら「推し」がどんな「思考」でどんな「背景」を持ち、どんな「理由」で発言・行動するのかを考え続けたいタイプなんですよね。あるある。
③生きづらさに名前がある
作中で「診断」の話がありました。心に来ました。
私も「なんで生きづらいと感じるか」の名前がついていたりするからです。
名前がついて一瞬ほっとする気持ち、だけれど、この生きづらさが解消されるわけでもなくて、なんだかみじめになる。そんな気持ち。
これがどれだけの人間が体感するかわからない真の虚無感だな、って思いましたし、似てるとかはあれだけど、わかる、って思った一つでした。
2.決定的に違う点
じゃあ、なんで「こうなりたい」って思ったのか、あかりちゃんと私で違うところは何なのか。
①推しが一人
あかりちゃんにとっての「推し」は作中一人であり、それ以前の推しに関しての記述はないです。推し活は一年半でただひたすら彼のことを見つめ続ける日々。
一方私は、「1グループ・1コンテンツに推し1人」タイプの、典型的な「なんでもオタク思考」人間です。
もはや、どんなコンテンツにも「推し」を見つけて、それを解釈するっていうのがルーティンになっていたりもします。そして、これが就活での私の強みだったりもする。恥ずかしい。
言ってしまえば、あかりちゃんは「彼がいるからオタク」であり、彼女の200%を推し一人に注いでいるのに対して、私は「私がオタクだから彼・彼女が推し」(最初は違ったと思うけど、それすらも覚えていな)で、それぞれに100%を注いでいるという感じなのです。因果関係が逆転してます。
こんなんだから、ライブの申し込み忘れたり、推しコンテンツの供給過多でつぶれたりもします。けど、あかりちゃんは絶対にそんなことはしない。なぜなら、推しの一滴もの逃さずに摂取するタイプだからね。
②推しについてを自分から発信する
あかりちゃんは推しについてのブログを更新しています。
そして、ファンの中でも「ガチ勢」という認識をされている「っょっょオタク」なんです(これ古い?)。
彼女が思う、推しについてを彼女は自身の言葉で表現できます。それがたとえただの感想であっても、彼女の観察と記録と文章から、自身の言葉で、彼がどう見えたかの分析結果を示しています。そしてそれが支持されている。推しのオタクであるあかりちゃんは、オタク内での居場所を作り上げているのです。
一方私はと言うと、基本的に何も残しません。絵も描けず、文章も書けず、ただひたすら推しを摂取して、「つまりこういうことよな」って自分の中で解釈して終わりなんですよね。なんでこうなったかは次。
③ファンコミュニティ
②でも話しましたが、あかりちゃんは推しを通して、彼女の居場所を作り(というよりかは、作られに近いかも)、あかりちゃん自身、あかりちゃんの考え方のファンもいるのです。つまり、大きいコミュニティがあったら、その中での市民権を得ている感じ。
一方で私は、リアル知り合い以外にオタクの友達がいないです。正確には作らないようにしてきたのです。
というのも、私がオタクとして行動し始めたのは中学生の頃。
当時推している界隈は結構なお姉さんがたくさんいらっしゃいました。そんな中に経済力もないクソガキがおったところでマウント取られて、即終了というわけです。というわけで、結構オタクコミュニティがトラウマで、高校生の頃には受験もあったし、こうしたオタクだけの繋がりを一切持たなくなりました。最近はこれが寂しいけれども。
④「普通の生活」を送る
あかりちゃんは、高校中退、就活もなにしていいか、バイトもやめるという、文章にすると渋いねっていう状況に置かれます。
一方の私は、生活能力もなく、バイトも欠勤して辞めたり、大学の授業も受けるのがしんどい時期があったりしたものの、一応就活もして、大学も留年することなく進級しています。
あかりちゃんのように出席日数とかやばくなることも高校時代とかあったし、大学も大学で結構ヤバかったけれども、周りの助けもあり、なんとか生きているのです。部活もしてるし。さぼり魔だけど。
こういう意味で、私の中でのウエイトは全振りで推しに振れないわけです。単位がやばい授業と推しの現場だったら、授業を選ぶし、嵐の活動休止発表の日がサークルの公演の日であったら、裏で泣いても表では笑顔を振りまいてました。
そりゃ、普通でしょって言われるかもしれないけれど、推しを推すことと自分の存在証明とがイコールであることが理想だと感じました。
3.私はオタクを「頑張りたかった」
あかりちゃんはお姉さんに「大学受験とオタク活動を同列の頑張ったで語らないでほしい(意訳」と言われます。
これが自分の中でかなりキました。同じようなことを言われたから。
というのも、自分も就活生である手前、「自分が学生時代に熱中したこと」を考えねばならないわけです。
そのとき私は「オタク活動かな~」なんて軽く父に言ってみました。
そして、父には「そんなものは頑張ったことにならない」「本当に書くんじゃないだろうな」とまぁいわれたんですよね。ここでバチバチに言い争い、私は泣きました。
けれど、本当に私が熱中したことは「オタク活動」だったのでしょうか?
私は、推しを「摂取すること」は好きで、多くの時間をかけてきたと思いますが、何かを還元したわけでもありませんでした。私が推しで得たものは私の中で消化され、分解されて、吸収されるのみ。蓄えるだけだったのです。
だから、私がやってきたことは結局、「自己愛」に過ぎない、ただの自慰みたいなコンテンツ搾取だったんだ。とさっき考えが至りました。
なんて、気持ちが悪いんだろう。
推しの推すことをファッションにしている人を白い目で見ていた自分よ。
だから、私はあかりちゃんみたいに、推しにたいして「頑張って」いきたかったんだと、強く思いました。
「これになりたい」と思いました。
けど、なれないんだろうな、なんて思いながら、初めてnoteを開いたわけです。
まずは、只のオナニーから、推しを慈しむことへと昇華したいです。
そのために、推しの「過去」である、さっき届いた嵐の会報誌を読みたいと思います。
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