ぶらっくラー麵しょうや~26歳で創業~爆速経営キロク③(SYOYA=age26~32)
さあ開業!何から始める?味だ!age26~27
前回のnoteで、手作りのDIY、おかんの手伝いを経ていよいよSHOYA創業の日を迎えた僕ですが、勢いで開業してしまったので、いわゆる「事業計画書」とか、「PL」とか何もわからない状態で、さあ何から始める?!状態でした。
まずはラーメン屋を始めるとなれば、「味」を決めなければいけません。
「俺はあの有名店2店舗で修行したラーメン通!自分の舌には自信があるぜ!」
そんなことをほざきながら、試しに作った試作ラーメンを親戚全員を集めて、ふるまってみることから始めました。
「居酒屋で食うラーメンレベルだな…」
(すみません、居酒屋でも美味しいところありますが、比喩です!)
当時、器の狭い僕は「この味の良さがわからないなんて!お前らの舌が悪い!」と言わんばかり不貞腐れ、「二度とださねーよ!」と心の中で思ってました…。
(本当にごめんなさい)
とはいえ、数日経ってお店をやるとなると、どうにか味を進化させないと不味いな…と思い、何度も僕のいたラーメン屋に通いつめ、味を自分の舌に改めて落とし込んでいきました。修行仲間にも沢山アドバイスをもらいながら、少しずつ今のしょうやの味に近づけていきました。
絶対見返してやる
そうしてオープン当初の味は、正直今のしょうやの味とは程遠いものでしたが
なんとか開店にこぎつけました。
集客ってなんだろう?リピーターってなんだろう?age27~29
よく、ラーメン開店の時はチラシ配りしたり、SNSで告知したり、ホットペッパーや食べログとかの有料の媒体に広告を出したり、飲食店の最初の集客方法って様々あるかと思います。
僕はそういう知識でさえ全く皆無で、お店の看板を出せばお客さんは勝手に来ると思い込んでいました。
実際、1号店の駅家は場所にも恵まれていたのか、最初だけ物珍しがって
お客さんが結構来てくれました。
「チョロいじゃん」
従業員は自分と、おかん(笑)
おかんは仕事もしながら、18時~24時までずっとホールや洗い物や
僕の開店直後のサポートをしてくれていました。今考えると、結構いい歳したおかん、、、身体を酷使してめちゃくちゃ働いてくれたと思います。
数カ月は、いい感じでお客も入って、これはいける!と思っていましたが
8カ月目に入ったころ、お客さんが激減します。
よく考えたら「リピーター」ってやつも全然いない。
物珍しがって来てくれる人もいなくなりました。
当時の僕は、自己評価が高く、お客さんがこない、という他人からの評価を受け入れられず、「なんでわかんないだ?」と傲慢な考えでいたのだと思います。
コンセプトもない
チラシも配らない
フェイスブックでたまに告知
お客さんは来ないけど、当然ラーメンの材料の仕入れ、家賃、など出費は出ていく一方です。
開業資金として借りた200万はオープン日までにに使いきってしまい。
レジ金合わせて4万、なんて月もありました。
クソ、なんでだ。なんでなんだ。
次第に、あれだけ「美味いラーメンを作る!」と意気込んでいた僕はやる気もなくなっていき店の接客も適当になってしまった気がします。
ある時、カフェとラーメン屋のWワークをしていた時代の友人に、月の収入が5万ぽっちになってしまったことを打ち明け、どうすればいいのかを藁にもすがる思いで聞きました。
すると、友人から帰ってきたのがこの言葉
お前、お客さんが帰るまで店の外に出てお見送りしろ。
お辞儀してお客さんがいなくなるまで見送るんだ。
そんなの簡単にできるだろ!そんなことで売上なんかあがらねーだろ!
半分疑念を持ちながらも、とりあえず翌日から友人の言ってくれた通り僕は
店の外に出てお見送りをし始めました。
これがSHOYAを劇的に変えました。
ラーメン屋以前に僕に足りなかったもの
毎日騙されたように、お見送りを続けると1か月~2カ月経ったあたりから
リピーターさんが急に増え始めました。
週5回来て下さる方もいて、僕はきつねにつままれた気持ちになりました。
お客様側の変化、だけでなく次第に自分の中に変化が生まれ始めました。
ご家族で、車に乗って帰られる姿
足が悪いご老人が、ゆっくりと歩きながらお帰りになる姿
帰り際「チャーハンうまかった~!ずっと食べたい!」とお子さんがご両親に笑顔で話す姿
この店の為に、こうして遠路から来てくれる人もいるんだ…
お客様への感謝の念が、僕の目の前の仕事への向き合い方を次第に変えていきました。
隅々まで掃除をしよう
仕込みも、丁寧にやろう
接客の言葉も、大きな声で元気にやろう
お客さんの声を聞いて、味も変えていこう
傲慢で独りよがりだった僕を変えたのは、まぎれもないお客様でした。
その頃から、急激に売り上げが伸びていきました。
ラーメンが、たった1人の人生を彩るものになる
店の前にベンチを置いたり、名前を書くボードを置いたり、
あこがれだった行列のできるお店と次第になり始めました。
ある時、老人ホームに入っていた90歳位のおじいちゃんが週に1回位のペースで通ってくれました。頼むメニューは、細い体に似つかず「特製ラーメンの大盛り」
当時店頭で販売してた、SHOYAのTシャツもなぜか毎回着て、来て下さる笑
おじいちゃんは、毎回嬉しそうにラーメンをたいらげ
「これ食ったらいつ死んでもいい」
とニッコリ微笑んでくれました。
しばらくして、おじいちゃんの老人ホームのスタッフさんが店を訪れました。どうやら、おじいちゃんがご病気もあり亡くなってしまったとのこと。
僕は酷くショックを受けました。
ただ老人ホームのスタッフさんが仰るには
「おじいちゃん、最後までこのラーメン屋さんのTシャツ着ていたの」
「あのラーメン、うまいぞ。いつだってあのラーメンが食べれたら死んでもいいんだ」
スタッフさんたちは、「おじいちゃんの分もね」と言って、
ご自身達の他に一杯、余分に追加をしてくれました。
1人の人生を、このラーメンが彩ったのかもしれない
僕は、自身の仕事に意義を感じ、もっと自分が成長して
もっと多くの人の人生を幸せにするラーメンにしよう。
経営者として、二度と忘れないであろう大きな覚悟をもてた経験になりました。
アルバイトの雇用もスタート!
このあたりからスタッフもアルバイトで雇い始め、お店の回転率を上げる、
売上の計算、スタッフの働く環境整備、など急ピッチで整えていきました。
今沢山フォローしてくださっているSNS(インスタやLINE)なんかも本格的に取り組み始めました!
続き(ラスト!)
→いよいよ神辺、尾道へ複数店舗展開!年商1億企業への軌跡・未来
SHOYAでは一緒に働く仲間を募集しています。
将来の店長候補、エリアマネージャー候補も募集!
アルバイト(尾道店)はこちら
アルバイト(駅家店)はこちら
アルバイト(神辺店)はこちら
社員採用はこちら