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死後も父の人格を感じるとき…

2年ぶりぐらいに母と娘と親子三代で地元に帰りました。3泊4日の旅行の最終&最大イベントとして父の墓参りに行きました。帰るのが2年ぶりということは墓参りも2年ぶり…。せめて年1回はいきたいところですが、1年以上空いてしまうときは、親不孝に心が痛みます。

地元の墓地は広大で、眺めの良い一山が一面全部お墓になっていて、園内はバスや車でないと移動できません。生きているときもニュータウン住まい、亡くなってもお墓のニュータウンに暮らしているようです。最近は、はや墓じまいをする家もあって、空き地になっている区画もあり、私達は究極にはどこに行くのだろうかと考えさせられたりします。

母は几帳面でよく動き、働く人なので、10年ぐらい前までは、毎年どんなときでも機会を見つけて、お墓参りを欠かすことはありませんでしたが、その後、その母が認知症気味になり、なんでも手伝ってくれる夫が単身赴任になり、自分は仕事が忙しくなり、娘はまだ子ども…という時期があって、本当に生活が荒れてしまって、お墓参りや帰省どころではなくなり、何年も行けない年が続きました。

ようやくお墓参りに行ける心境になったとき、私は初めて一人でお墓に行きました。すごく荒れていたらどうしようとドキドキして、行ってみてびっくり!父の区画だけ、野生のコスモスが生え、花でいっぱいだったのです。
うちは母が潔癖で、「供え物をしたら、あとで傷んでゴミになる」という考えなので、いまだかつて、お墓にお花を供えたことがないのです。だから、なんとこぼれ種で生えてきたのです。

父に、「大丈夫。心配しないで。無理しなくても、こっちは自前でちゃんとやってるから安心して。」と言われているような気がして、なんとも言えない気持ちになって帰ってきました。木工で本棚を作ってくれたり、家に三和土をつくったり、DIYがとても上手な父でした。

それからというもの、私は墓参りには1年に1回は行か「ねばならない」という考えから、「あんまり無理しなくても、ある程度、向こうは向こうでやっといてくれる。」という信頼感が湧き、安心できるようになりました。

とはいっても、丸2年も空いて、それに今回は、母・娘を率いて連れて行かねばならないという緊張感と、またすごく荒れていたらどうしようという不安を持ちつつ、タクシーでお墓にたどり着くと、これまたびっくり仰天!

荒れるどころか、今年は黄色の小菊で一杯になっていました。まるでちょうど、墓石を取り囲むように!菊はまだいっぱい咲いているものの盛りは過ぎていて、「もうちょっと早く来るかと思ったのに」と言われているかのような…。そして、コスモスにすっかり味をしめて、今度は多年草の菊を調達したのか…。

そういえば、前回2年前、あれ、今度は菊がちょっと生えてると思ったのですが、今回びっしりになってました。前回、墓石の気合いを入れて磨いたところは、今回もきれいで「ちゃんと守ってるよー」と言われているかのよう。

他の区画には、イネ科のとても抜くのが大変な草が生えているおうちもあり、山の中だしそちらのほうが自然な気がするのに、うちが菊の花園だったのには本当に驚きました。

全くもって、父らしい。
娘を溺愛し、やさしくて、器用な人でした。亡くなったあとも気配を感じることや、メッセージを感じることが、亡くなってすぐはありましたけれど、さすがに来年でもう40年。普段は何も感じないけれど、お墓には父らしさを感じさせられました。「自分の家」みたいな感じなのかなあ。

また、次帰るのが楽しみになりました。

*写真は同じ街の別の山です。

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