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秋の恩恵を受ける

秋が来た。

読書の秋。食欲の秋。スポーツの秋。、、、

別に読書も食事もスポーツもあれもこれもいつやってもいいだろ、とは思うのだが、やはり秋の気候というのは何をするにしても適切だということをこの季節になるとその涼やかな気候に思い知らされる。

実際、僕はここ最近かなりのペースで本を読んでいる。まあ、この時期に偶然人生でたまにある本に対する関心がかなり高ぶる期間が来てしまっただけなのかもしれないのだが。

多くの先人が作り上げた書物からは、とても多くの"気づき"を得ることができる。

学校での学びを、受動的学びであるとすれば、
知りたい、感じたい、という欲求によって本を読み、そこから学ぶことは、能動的学びということができるだろう。

外山先生の言葉を借りるとすれば、本での学びは飛行機的学びであるということができるのでは無いだろうか。

自ら「知りたい」「感じたい」と思って読んだ本から得られる能動的な"気づき"や"感性"は、当然受動的な学びよりも身になる。

実際、私は最近哲学に興味を持っており、ここ数日間で読んだ哲学書から得た学びや気づきは、かなり自分のものとなっており、本気でこれからの人生を"上手に"生きていく上で役にたつ考え方を得られたと思っている。

なんと、自分でも驚くことに最近では寝る前、ネットサーフィンをするよりも本の続きを読みたくなってしまうのだ。(読書家の入り口に立ってしまったかもしれない、、、)


さて、もともとこの記事では、本を読もう!
ということをいうために書き始めたものでは無いと言うことを忘れていた。
(もちろん、本は結構いいぞ!ということも言いたい)

本を読もう!ではなく、
没頭できることを見つけたい!
と言うことを言いたいのだった。

最近『暇と退屈の倫理学』と言う國分先生の本を読んだ。

この本では、タイトル通り「人間が退屈に抵抗するには」どうすればいいのかといった問題やその周辺の問題について向き合っているのだが、退屈に抵抗する方法として"没頭"があると僕は理解した。

私はこの秋、"自らの欲求から"本を読むという没頭することを見つけることができた。(と自分では勘違いしているのかもしれない。)
実際、僕にとって本を読むことは楽しいし、没頭できることである。

現代に数多ある企業によるマーケティング戦略ではなく、自らの欲求で自分が楽しいと感じること、夢中になれることを発見することができたのである。(と自分は勘違いしているのかもしれない。)

『暇と退屈の倫理学』でも、現代では余暇を過ごす方法が宣伝やテレビなどによって"外から"与えられていると述べられているが、これは僕も前から思っていたことである。
与えられて楽しむのではなく、本当の意味で内からの楽しみを見つけるという経験がなんと貴重なことか。

以前の記事でも書いたのだが、僕は「夜の都市を疾走すること」「カラオケに行くこと」を自分にとって没頭できることであるとして現代の退屈という感情を抱かなくてはいけない環境において、大切なものとして思っていたのだが、そこに「読書」が加わってきた。

自分が没頭できることは、多ければ多いほどいい。
退屈に抵抗することもできるし、下の本で若林さんも述べていたとおり、ネガティブをつぶすこともできる(もっとも、ネガティブな感情は退屈から生まれてくるのかもしれないが)。

秋はいい季節だ。その涼やかな気候ゆえに、いろいろなことに取り組みやすいし、それゆえに自分が夢中になれることも見つけやすいのでは無いだろうか。

11月になったら絶対に、人気の少ないところに紅葉を見に行こう。

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