【第6回】ちょっとだけハードな僕の人生~サッカーを始める編~【自伝コラム】
小学校に入学して早々、僕はサッカーを始めました。
別に、もともとサッカーが好きだったとか、そういう訳ではなくて、きっかけは一つ上の兄がその時既にサッカーをしていたことでした。
ここまでも何度か触れてきた通り、兄は非常に人当たりが良く、運動神経も良かったので、アグレッシブなイメージのあるサッカークラブに当時からぴったりと馴染んでいました。
それどころか、彼は常に、他の誰よりもいきいきとボールを追いかけてたようにすら思います。
そんな姿を見ていたものですから、入学当初の僕は、気づかぬ内に「自分もサッカーをやってみたい」と思うようになっていたのでしょう。
確かなことは覚えていませんが、そうであっても全くおかしくないくらい、兄はいつも楽しそうにサッカーをしていました。
僕らはクラブでの練習の他にも、暇なときによくサッカーをしていました。
練習のない日は兄に誘われ公園に行き、
家の中では室内用のボールを追いかけ、
見るアニメでさえサッカーまみれだった時期もありました。
こんな言い方をすると、サッカー以外何もしていなかったかのように聞こえるかもしれないですが、実際はというと、そこまでではなかったように思います。
ただ、その頃のことを思い出そうとすると、そう錯覚するほどに、サッカー絡みの記憶ばかりが蘇ってくるんです。
まぁ、当時の僕ら周りの人間関係は殆どサッカーを中心に成り立っていたので、そう錯覚するのも不思議ではないのですが。
というか、そう考えるとスポーツの人と人とをつなぐ力って改めてとんでもないですね。
僕はよく、主に休みの日に開かれていた「校庭開放」という、読んで字のごとく校庭が自由開放される時間に学校に遊びに行っていたのですが、
そこでは年代を問わず、様々な学年の子供がサッカーを通してつながり合っていたりもしました。
考えてみると、最高で5個も年が離れた子どもたちが、何の違和感もなく楽しい時間を過ごすことができるコンテンツなんて、果たしてスポーツ以外他にあるでしょうか?
なんせ、人との関わりの苦手だった僕でさえ、サッカーをしていたときは友達に何ら困っていなかったほどなんですがら。
まぁ、その点に関して言えば、直ぐ側に兄という超強力な緩衝剤が居てくれたお陰で、上手くいっていた節も往々にしてあるかもしれませんが。
そう考えると、兄がその後病気にかかってしまったことは、弟である僕にとってもとても大きな損失であったのかもしれないです。
一つのことに一生懸命取り組むことの楽しさを知ったのも、思えばサッカーがきっかけだったように思います。
実をいうと僕は、始めたばかりの頃、それほどサッカーが楽しいと思えなかったのですが、
兄につられて一生懸命やっている内に、段々と楽しく感じられるようになっていったんです。
それこそある時期からは、「将来はサッカー選手になりたい」なんて非現実的な事を考えていた時期もあったくらいに。
しかし、サッカーに纏わる記憶の中で一番印象に残っている瞬間はいつかと聞かれれば、その答えは僕の場合、実際にプレイをしてた瞬間ではありません。
僕にとってのそれは、小学2年生の頃の合宿であった、夜のレクリエーションの時間です。
レクリエーションとは、ビンゴや叩いて被ってジャンケンポンなどのゲームをしたりコーチ達による寸劇が行われたりといった、合宿の夜に毎年行われるサブイベントのことです。
そのなかに、ダンスのコーナーがありました。
どのようなコーナーだったかというと、ただダンスを踊るだけではなく、少人数のグループに分かれ、共通するテーマ曲に対してそれぞれが振り付けを考え、練習し、最終日の夜にその成果を競い合うという、発表型のイベントでした。
何故このイベントが一番印象に残っているかと聞かれれば、この場に置いて、僕が意図せず大爆笑を引き起こしてしまったからです。
一応言っておくと、僕はダンスがあまり得意ではありません。
どちらかというと、下手な類だと思います。
しかし、これは今でも偶に言われることなのですが、僕のダンスは動きがぎこちなさ過ぎて逆に面白く、唯一無二なのだそうです。
今考えると、笑わせていたというより笑われていただけだったのかもしれませんが。
まぁ、いつも人見知りしまくりの寡黙な僕が、突如人が変わったようにハキハキとダンスを踊り始めたら、そりゃあ、見ている人達はおかしくて仕方がないだろうなとも思います。
何故、普段から内気な僕が、そのときだけは緊張を感じなかったかというと、実は僕は、元からダンスが大好きだったのです。
何度も書いたように、当時の僕は学校や外のコミュニティにおいては、著しい人見知りを発揮するタイプの子供でした。
しかし、世間の子供が往々にしてそうであるように、家庭内においての僕は全くそうではなく、むしろ逆のタイプの人間として幅を利かせていました。
つまり僕は、外では静かだが、家では元気いっぱいにおちゃらけまくるといった、ちょっとした痛々しさを感じさせるタイプの子供だったのです。
一度我が家に舞い戻れば、ふざけた替え歌を歌ったり、人におかしなあだ名をつけたり、遊びを創作したり、ダンスを踊ったりなど、主にクリエイティブな方面において、エネルギーを爆発させる。
合宿のときは楽しくなるあまり、その癖が表に出てきてしまったという、ただそれだけのことでした。
しかし、例え笑われていたにしても何にしても、素の自分を出したその瞬間に、場の空気が白けたりせず、むしろみんなにそれを受け入れてもらえたのは、本当によかったなと今でも思います。
あの時大滑りでもしていれば、僕は今頃、ダンスを嫌いになっていただろうし、今よりもっとひねくれた人間になっていたかもしれません。
今でもふとした瞬間にダンスを踊るのは、あの時みんなが笑って、褒めて、そして最後にコーチが僕のことをその会のMVPに選んでくれたからなのだと思います。
とある合宿の本題とはそれた小さなコーナーの、ちょっとしたMVPではありましたが、それでもその事実は今に至るまで、僕の中で密かな誇りであり続けてきました。
そう。
何を隠そう、今でも僕はダンスが大好きなのです。
そしてそれは、死ぬまで変わらないのだと思います。
【第6回に続く】
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