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秋田県知事の寄稿【『遺憾』で国は守れない】を読んで

 秋田県知事の佐竹敬久氏が、月刊WiLL 2022年6月号に寄稿されていましたので、一県民として興味をもって拝読しました。そこには、「いざとなったらアメリカが助けてくれるーそんなことを言える時代はとっくに過ぎ去りました。今回のウクライナ侵攻で、アメリカは核戦争のリスクを警戒し、軍事介入に二の足を踏んでいます。北朝鮮や中国、ロシアも、アメリカ全土を射程にとらえた核兵器を保有していますから、たとえ同盟国である日本だとしても、体を張って守ってくれる保証は不透明になりつつあるのです。政府も、日米安全保障条約があるからといって『遺憾』だけを繰り返していては、国家防衛は成り立ちません。今まさに、日本の防衛をどうするか真剣に考える時期にきています。」と述べられた上で主張を展開され、最後に「日本の安全保障にとっての危機は、食料、エネルギー資源の確保、国土強靭化、防衛です。」「こと防衛に関しては国の専権事項ですから、政府に重い腰を上げてもらうほかありません。」とまとめられていました。
 たしかに、日本の防衛については、落ち着いた雰囲気の中で大局を見て合理的に考えなければならない時期に来ていると思われます。
 すべてのことが人によって行われている以上、その立場に立つ人の人格や考え方いかんによって結果が大きく変わるのは自明の理です。ジョン・G・ストウシンガーの著書「なぜ国は戦争をするのか」を監訳された等松春夫氏(防衛大学校 教授)は、「決定的な場所に居た大きな影響力を持つ人々がいかなる判断を下すかが、戦争か平和かを決める」と述べています。裏を返すと、そういう人たちとの人間関係構築に失敗したら戦争になるという事でもあります。それならば、そんな立場の人たちとの間で信頼と尊敬によって結ばれた良好な人間関係をいかに築くかを日本の防衛(安全保障)の主眼に据えるべきではないでしょうか。そしてそのための手段は、秋田県が全国に先駆けて取り組んでおられる「多様性に満ちた社会づくり」にあると思っていますので、そんなお話をさせていただきます。

 自己紹介が遅れました。秋田県大館市で1994年から少林寺拳法を教えている小林佳久と申します。ロシアによるウクライナ侵攻についても投稿しておりますので、よろしければご覧ください。プーチンの戦争に思う|小林佳久|note

小林佳久(金剛禅総本山少林寺 大館三ノ丸道院長)

目次


  1.  藩主の末裔としての慈愛

  2.  戦争を抑止する

  3. 「軍拡」と「核拡散」

  4.  恐怖と怒りと悲しみの連鎖

  5. 「熱狂」と「分断」

  6.  幸福を追求するために

  7. 「多様性に満ちた社会づくり」

  8.  おわりに

  9.  参考文献

1. 藩主の末裔としての慈愛


 佐竹知事は、関ヶ原合戦の後に転封されて以来秋田を治め続けた藩主の末裔です。御祖父君が若かりし頃までは、高枕と敷布団の間に抜き身の短刀を差し込まれた状態で就寝させられていたという程に、武家としての鍛錬を積まれたお家柄だったようです。秋田は、「日本で最後の空襲」(1945年8月14日夜~15日未明)と呼ばれる大規模爆撃を受けた地です。また、陸上の盾を意味するイージス・アショア(弾道ミサイル防衛システム陸上コンポーネント)配備の候補地だったこともあり、北朝鮮のミサイル攻撃をはじめとした国防問題には敏感な土地柄と言えましょう。秋田の領袖として人一倍県民に対する慈愛にあふれた方だからこそ、そんな県民への戦争関連被害を強く心配しておられるのだと思います。県民としてありがたく感じています。

2. 戦争を抑止する


 核を保有する大国が侵略戦争を仕掛けてきた状況の中、いわゆる緩衝国や西側の国々等では、国と国との戦争に特化した形での議論が日々白熱化しています。不思議に思うのは、つい最近まで、テロとの戦争をはじめとした非対称戦争がクローズアップされていたことをすっかり忘れてしまったように見えることです。国家同士の戦争であれば、ミサイルを撃ち込んでくるかもしれない国の発射基地を叩く準備ができていれば攻撃意欲を削ぐことができるかもしれません。けれども、いわゆるテロリストによって突然原発を狙われたり情報網などのインフラを攻撃されたり生物化学兵器を人の手でバラまかれたりすることを想定した場合、高度な軍事兵器はほとんど役に立ちません。そもそも国同士の戦争だってハイブリッド戦です。どんなに考え抜いて抑止力を高めたとしても、その気になれば誰でも隙をついて攻撃することは可能であり、敵対する攻撃を100%防ぐことなどできるはずがないのです。

3.「軍拡」と「核拡散」


 佐竹知事は、「ウクライナの戦争は、『力には力しかない』という現実を突きつけました。」と述べておられます。それでは、「力」に打ち勝つ「力」を手に入れることは可能なのでしょうか。先に述べたように、敵意をもって攻撃してくる相手が国であるとは限らずテロリストと呼ばれるアタッカーであるかもしれません。それが誰であろうと本気で攻撃しようと考えるならば、ウィークポイントをついてくることは間違いないでしょう。鉄壁の守りを誇る部分に対して正面からぶつかってくるとは考えられません。だからこそ抑止の考え方が成り立つともいえるわけです。

スポーツの試合ならば

 視点を変えてみましょう。スポーツの試合ならばルールに基づいて行われます。ルールを遵守して正々堂々と戦い結果を出すことを公平に判定評価するために審判員も配置されています。けれども審判員や世界の秩序を守る警察官がいない中で殺戮や破壊をたくらむ侵略者は、そもそも非人間的な考えに取りつかれている無法者です。そんな相手が法によって規制されるはずがありません。どんな汚い手をも使ってくるでしょう。その汚く強大な力に対抗できるほどの力を保持しようと思うこと自体、ナンセンスではありませんか。
 竹槍で銃を持った相手を追い返そうとすることが無意味だとするのならば、銃を持つことも重火器を配備することも、佐竹知事の主張される「イージス艦や潜水艦に各種の通常弾頭ミサイルを搭載すること」も原爆をもつことも、単なるそのエスカレーションに過ぎないのだといえるでしょう。相手よりも強大な力をもたなければ抑止効果はないとなれば、世界一の力が欲しくなってしまいます。この理屈にとらわれている限り核の拡散と軍拡競争がやむことはないでしょう。
 でも考えてみてください。たとえば日本はいざとなっても、核兵器を使用することには躊躇するはずです。けれども無法者ならどうでしょう。この競争は汚いことを平気でできる者が圧倒的に有利です。法の支配から逃れられない正直者が勝てる土俵ではないのです。(戦争犯罪は、行われているときに「犯罪行為だ」と非難しても無法者には何ら響かず、戦争が終わってから法廷で裁くのだとしても、もはや後の祭りにしかなりません。)
 また、テロを恐れるのであれば、あちこちに関所を築き荷物検査や身元検査をする方が安全です。個人や団体のすべての言動も監視したほうがいいでしょう。いったいどこまでやったら安心できますか。また国による自由の束縛をどこまで私たちは許容するのでしょうか。

4. 恐怖と怒りと悲しみの連鎖


 今、世界は恐怖と怒りと悲しみの連鎖によって、激しく対立し分断が進んでいます。こんな時には人々の危機感も高まり強気な態度が好まれるものです。正義中毒ともいわれるような、異なる意見を受け容れない同調圧力が高まっていることも特徴的です。
 そういう中にあって私たちは、煽られて攻撃的にならないように、また悲惨な映像を見せられて抑うつ的にならないように、心の平穏を保つことがとても大切だと思っています。

5.「熱狂」と「分断」


 2022年4月24日に放送されたテレビ番組「日曜報道 The Prime」で、いわゆる「反撃能力」について視聴者アンケートが行われました。「指揮統制機能も対象となる反撃能力の保有」に「賛成」が94%、「反対」が4%、「どちらともいえない」が2%という結果でした。荒っぽい設問であるうえ、その番組を見ている中で自ら投票行動をとった人たち(42,414名)が母集団となったわけですからそれなりのバイアスがかかっているでしょうが、「熱狂」と言えるほどの数字だと思います。
 世界では、どちらかの味方に付こうという国々や中立的な立場でいようという国々等が、様々な形で分断を引き起こしています。その中で日本は、「力による現状変更は許さない」としてウクライナの味方につき「自由と民主主義と法の支配」を守り抜くという立場を総理が表明し、国会も右から左まで勇ましくまるで大政翼賛的な状況になっているかのようです。マスメディアから流れてくるそれらの情報に引きずられるようにして、多くの国民が「熱狂」しているのでしょう。
 一方、インターネットの世界を見ると、「右の立場」「左の立場」「ウクライナかわいそう」「ロシアをやっつけろ」「自由と民主主義を守るためにウクライナ頑張れ」「降伏して国民の命を守れ」「即時停戦」「中立的な立場」「背景を考える立場」「戦争絶対反対の立場」等様々あり、それぞれが他者を批判し合う「分断」の場となっています。
 こんな状況の中で議論をして、果たして合理的な結論を導き出すことができるのでしょうか。佐竹知事は「防衛に関する議論をすれば、必ずと言っていいほど反対運動がおこりますが、この種の議論において『全員賛成』はありえません。最後は政治家が腹をくくらなければならないのです。」と述べておられます。けれども本来国会は、94対4(棄権2)の「熱狂」や51対49の「分断」をそのままに採決する場ではなく、反対する人々をも納得させられるほどに議論を尽くしていただく場であるべきだと私は思います。そう考えると、今はまだ国を挙げて「日本の防衛」を真剣に考えられるような冷静な状態ではなく、一旦落ち着いて頭を冷やすべき時だと感じています。危機に乗じて物事を進めたい方々は「一刻も早く決めて準備をしなければやられてしまう」と言うでしょうが、それならば一刻も早く冷静に考える事の出来る土壌をまずは作るべきだと思います。

6. 幸福を追求するために


 世界は「分断」と「熱狂」に包まれているように見えますが、よく考えてみるとほとんどの人の願いは同じなのだと思います。それは「幸せでありたい、みんなが幸せであってほしい」という願いです。幸せであるためにどうするべきかという方法論が違うだけなのに、まるで全く受け容れられない敵同士であるかのように非難し批判し合う。そんな状況に陥っているのではないでしょうか。
 「幸せ」の定義は難しいですが、平和で豊かな生活の実現といったあたりが最大公約数となるでしょうか。少なくとも、自分や家族の命が奪われるかもしれない状況は、誰でも不幸だと思うはずです。となれば、やはり戦争は不幸をもたらします。ひとたび戦争に突入すれば、まずは最前線に立つ我が国の自衛官と敵国兵士やアタッカーたちの尊厳がとてつもなく軽く扱われるようになります。敵味方を問わず犠牲になった方の遺族の悲しみは想像もつきません。反対に人間を殺傷した兵士達の心も激しく傷つきます。私は何人もの帝国軍人だった方々から、かつての大戦で兵士として人を殺めた事に対するつらい心の内を聞かされてきました。また、フォークランド紛争から40年たった今、紛争時の経験からPTSDに苦しみ自ら命を絶った人が、当時の戦死者数を上回ったそうです。戦争は、戦場で殺戮と破壊を繰り返した上、長きにわたってその被害に苦しみまた加害にも苦しむ残酷な結果を生み出すのです。
 そんな悲惨な状況は、戦争が始まったらすぐに私たち民間人にも及びます。いとも簡単に、生命も幸せな生活も自由も財産も奪われてしまうでしょう。子供の戦争被害は言うに及ばず、戦争で身心が傷ついたすべての当事者のみならず家族や関係者の誰もが不幸を感じます。人類に不幸をもたらす要因は事件・事故や災害等様々ありますが、戦争ほど多くの人に不幸を感じさせるものは他にないでしょう。
 しかも戦争は、一旦始めてしまうと (1)ボロボロになりながらも勝って和平交渉に臨むか、(2)ボロボロに負けて侵略者の思うままにされるか、(3)再燃する恐怖を抱えながら停戦監視団を長年に亘って受け入れていくかの三択しか出口がなくなると私は思います。

戦争を火災に例えると

 であれば、戦争になったらどうするかではなく、いかにして戦争を防ぐかについてを、また突然攻め込まれてしまったらいかに素早く仲介者を立てて対話のテーブルに引き戻すかについてを、つまり戦争を火災に例えるなら、「火災予防」と「初期消火」についてのみを必死で考えるべきなのではないでしょうか。そうでなければ、日々緊張のなか身体を張って国を守ってくれている自衛官やその家族に顔向けできないではありませんか。

7.「多様性に満ちた社会づくり」


 もちろん私自身、抑止力は必要だと思っています。そう思うからこそ武道を修め教えもしているのです。少林寺拳法は護身の技術です。ただし、素手で身を護れる自信がつけば十分であると考えています。自信がつけば、自分を大切にすることができるようになります。自分を尊重し同時に他者をも尊重する生き方を貫けば、敵を作ることが無くなります。少林寺拳法では、「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを」と教えていますが、自他を共に尊重する生き方こそが、最強の護身術だと考えているのです。
 「力」を狭義に捉えて「力には力しかない」とは、私は思いません。「力」とは軍事力だけではないはずです。経済力や政治力など様々な「力」を駆使して国力を高めつつ、自他を共に尊重し誰に対しても敬意を払う生き方は、結果的に世界中の信頼と尊敬を受けることになるでしょう。日本のパスポートはビザなしで193の国と地域に行くことができる世界最強旅券と評価されています。この協調的な日本の特性を活かした外交、対立ではなく対話によって平和を先導する力強い在り方こそが、強くて汚い力をも退け得る最強の安全保障につながると私は信じています。

「多様性に満ちた社会」(Gordon JohnsonによるPixabayからの画像)

 秋田県では、全国に先駆けて「多様性に満ちた社会づくり」に向けた取り組みがなされています。これは戦争の対極にある考え方です。社会全体が、いじめやハラスメント、虐待、差別、抑圧、支配、ケンカ、紛争、戦争等、あらゆる対立的な生き方から卒業して共生を目指そうという取り組みです。多様で寛容な共生社会を志向する市井の在り方、win-winを志向するビジネスの在り方が、争わない生物へと人類を進化させるのです。
 国際社会がいつまでも、身勝手な思惑をもち、戦争をもいとわずあらゆる力を総動員して他国の犠牲の上に利益を追求し続ける野蛮な修羅場のままであって良いわけがありません。「多様性に満ちた社会づくりに関する指針」には、「多様な文化や価値観を持った様々な人々を積極的に受け入れ、互いに支え合う寛容な社会づくりを進めていかなければなりません。」「誰もが安心して暮らすことができる、優しさと多様性に満ちた『ふるさと秋田』を、次の世代につなげてまいります。」と記載されています。
 佐竹知事には、ぜひともこの優れた取り組みを全国に水平展開させていただきたい。日本全体が多様性に満ちた社会となれば、世界中から信頼と尊敬のまなざしで見つめられるようになるはずです。この理念のとおり、不寛容な姿勢を退けつつ、身勝手な国の思惑に振り回されず各国の事情を慮り自他共に尊重する外交を第一義とするならば、我が国は相当安全な国になると思います。秋田県は、そういう形で日本の防衛(安全保障)に大きく貢献できるのではないかと私は考えています。

8. おわりに


 令和3年版防衛白書には、「外交を通じ、安定しかつ見通しがつきやすい国際環境を創出し、脅威の出現を未然に防ぐことが国家安全保障の要諦である。一方、国際社会の現実をみれば、非軍事的手段による努力だけでは、必ずしも外部からの侵略を未然に防止できず、万一侵略を受けた場合にこれを排除することもできない。防衛力は、侵略を排除する国家の意思と能力を表す安全保障の最終的担保であり、ほかのいかなる手段によっても代替できない。」と記載されています。また、元空将の織田邦男氏は、2022年4月6日付けの産経新聞で「合理的で強力な防衛力を構築し、戦争を未然に防止する。」と述べておられます。そして、田中均氏(日本総合研究所・国際戦略研究所 理事長)は、同年4月13日付けの日刊工業新聞で次のように述べられました。「防衛力を拡充し、日米安保条約の信頼性を増し抑止力を高めることだけが解ではない。日本がウクライナ危機から学ばなければいけないのは、戦争になるのを防ぐための外交的手立てをきちんと構築するという事ではないか。」
 世界は大転換点にいます。戦略や戦術レベルの調整で何とかなる変化ではなく、国のグランドデザインからもう一度考え直す時期に来ているのでしょう。これまでは、身勝手な思惑が紛争を生み出し、指導者自身の人間性や認知のゆがみや想像力の欠如などによって武力紛争や戦争の端緒が開かれてきました。これからは日本が、総合的な国力を高めて世界中の信頼と尊敬を受ける国となり多様性に満ちた世界を先導することによって、恒久平和の実現に向けて力強く進む旗手になろうではありませんか。そのうえで、戦略や戦術となる防衛力は、各論として冷静かつ合理的に議論すれば良いと私は思います。

 一日も早く人類が進化して、世界中のすべての人が平穏な日常を過ごせるようになることを祈ります。 合掌

9. 参考文献


  • 佐竹敬久(2022)『遺憾で国は守れない』ワック株式会社 月刊Will2022年6月号 224-230

  • 木村一裕・清水浩志郎・三浦大和(2006)『近世秋田の都市構造とその形成過程に関する研究』土木計画学研究・論文集No.23 no.2 389-397

  • 防衛省(2018)『イージス・アショアについて』 防衛省

  • 中野信(2021)『他人を許せない人の脳で起きている恐ろしい事』東洋経済新聞2021年12月29日

  • 渡辺由佳里(2016)『戦場を生き延びた兵士は、なぜアメリカで壊れるのか?』NewsWeek日本版 2016年8月31日

  • 木村正人(2022)『戦場では笑っていた兵士が、帰還後に自ら命を絶つ・・・戦争が残す深い傷』NewsWeek日本版 2022年4月2日

  • イザンベール・真美(2009)『精神医学と国際法学・国際政治学の協働を目指して:紛争後PTSD及び感謝の自助会を中心に』九州国際大学法学論集16巻125-144

  • 阿部博子(2010)『外傷性記憶としてのベトナム戦争-ポスト・ベトナム・シンドロームの症候をめぐってー』国際文化研究16号1-15

  • 長尾圭造・奥野正景『戦争と子供のトラウマ(Ⅰ)戦争と犠牲』医療 vol.58 No.5 271-277

  • 長尾圭造・進藤英次(2004)『戦争と子供のトラウマ(Ⅱ)トラウマとその特徴』医療 vol.58 No.6 329-334

  • 布施祐仁(2022)『自衛隊海外派遣 隠された「戦地」の現実』集英社

  • 田中均(2022)『戦争回避 外交こそ最優先』日刊工業新聞 2022年4月13日

  • 宗道臣(1979)『少林寺拳法教範(改定版)』金剛禅総本山少林寺

  • 宗由貴監修・鈴木義孝構成(2012)『「強さ」とは何か。少林寺拳法創始者・宗道臣70の言葉』文芸春秋

  • 秋田県あきた未来創造部あきた未来戦略課(2022)『多様性に満ちた社会づくりに関する指針』秋田県

  • Leo Bormans(2011) The World Book of Happiness : Marshall Cavendish. (猪口孝監訳・藤井誠二・李佳・秋山知宏訳(2016)『世界の学者が語る「幸福」』西村書店)

  • 伊勢崎賢治(2015)『本当の戦争の話をしよう 世界の「対立」を仕切る』朝日出版社

  • エドワード・ルトワック(2017)奥山真司訳『戦争にチャンスを与えよ』文芸春秋

  • John G. Stoessinger(2010) Why Nations Go to War 11th edition : Cengage Learning. (等松春夫監訳 比較戦争史研究会訳(2015)『なぜ国々は戦争をするのか 上・下』国書刊行会)

  • David Bohm(1996) on Dialogue: Routledge. (金井真弓訳(2007)『ダイアローグ 対立から共生へ、議論から対話へ』英治出版)

  • 平木典子(2009)『改訂版アサーション・トレーニング さわやかな自己表現のために』日本・精神技術研究所

  • John Paul Lederach(2003) The Little Book of Conflict Transformation: Clear Articulation of The Guiding Principles by A Pioneer in The Field (Little Book of Justice & Peacebuilding) : Good Books.(水野節子・宮崎誉訳(2010)『敵対から共生へー平和づくりの実践ガイド』ヨベル)

  • 岡田美保(2016)『核兵器の再登場 ロシアの核政策と変化する欧州安全保障』地域研究コンソーシアム16巻2号166-186

  • 中山俊宏(2022)『バイデン政権が向き合った三つの危機──そして、新たに加わったウクライナ危機』日本国際問題研究所研究報告「国際秩序の動揺と米国のグローバル・リーダーシップの行方」 (令和3年度米国研究会)第1章 1-8

  • 長周新聞(2022)『「友人や敵はなく、利益だけがある」 キッシンジャーが語った行動哲学 ウクライナ情勢から見える米国の本性』長周新聞2022年3月8日

  • 千葉大奈(2015)『「強い」停戦合意協定は持続的な平和を導くか』国際政治2015巻181号89-102

  • 外務省(2016)『国家安全保障戦略(概略)』外交青書2016資料編252-257

  • 外務省(2022)『令和4年版 外交青書2022』

  • 織田邦男(2022)『他人事ではないウクライナの悲哀』産経新聞 2022年4月6日(7)正論

  • 防衛省(2021)『令和3年版防衛白書 日本の防衛』

  • 田中均(2022)『沖縄復帰50年(4)記者会見』日本記者クラブ 2022年4月22日 https://youtu.be/lNTpbycOqGo

  • 小林佳久(2022)『多様で寛容な共生社会を築こう~対立(いじめ、ハラスメント、虐待、差別、抑圧、支配、ケンカ、紛争、戦争、・・・)から対話へ』 http://www.kumagera.ne.jp/diamedic/diversity.pdf

  • 小林佳久(2022) 『プーチンの戦争に思う』note https://note.com/shorinjiodate/n/n2cfc6b1621f1

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