見出し画像

プーチンの戦争に思う

北鹿新聞(秋田県大館市)2022年4月8日号に掲載いただいた投稿原稿を、許可を得て転載したものです。(見出しを付け数字を横書き用に修正し、注釈と参考文献を追記しました。)

北鹿新聞2022年4月8日号(7) http://www.hokuroku.co.jp/

目次


  1. 武の本義

  2. チキン・レース

  3. 日本の安全保障

  4. 停戦の期待と無念

  5. 私に何ができるのか

  6. 注釈

  7. 参考文献

1.武の本義


 少林寺拳法は宗門の行です。私たち門信徒が座禅とともに修めるべき行法の一つです。けれどもその中身は武道でもあります。合理的に構成されているため、誰でも真剣な修行を積めばある程度身を護れる自信くらいはつくものです。実際、入門してから一度もやられたことがありません。私にとっては強力な抑止力です。ただし、武の本義は争いを止めるというところにあります(注1)。ところがこれが難しい。実に難しいのです。なにしろ、いったん戦闘が始まってしまうと、交戦エネルギーが枯渇するまでは決して終わらないものだからです(注2)。たとえ大きな力で双方を引き離したとしても、その手を放せばまた戦闘が再開されてしまいます(注3)。

 だから今の戦争で西側諸国は、ウクライナに対してその交戦エネルギーを補給しつつ、ロシアに対しては様々な制裁をかけることによって交戦エネルギーを削ぎ落そうとしているのだと思います。

2.チキン・レース


 けれどもこの西側の戦略は、果たして成功するのでしょうか。丁半博打は、丁半どちらかに継続して倍々と賭け続ければ、必ず勝てるゲームです。場を支配できるだけの玉(財力)や覚悟(胆力)といった交戦エネルギーがあれば、必ず勝てます。

 ロシアは、地球を滅亡させられるだけの核兵器を所有しているのですから、どんなに困窮しようとも、交戦エネルギーは無尽蔵と言ってもいいでしょう(注4)。あとは、プーチン大統領自身が、「死なばもろとも」との覚悟を決めるかどうかだけの話です。彼は、ロシアで2018年に放送されたテレビ番組において「世界にロシアが存在しないとしたら、なぜ世界が必要なのか」と自ら語ったとされています。(2022年3月1日、アイリッシュ・ミラー)(注5)

 「起こって欲しくないこと」は「起こらない」と考えたいのはやまやまですが、この戦争では、何度も淡い期待を裏切られてきています。エスカレーションを防ぎたい思惑とは裏腹に、事態はどんどんエスカレートしているのではないでしょうか。私たち自身が消滅するかもしれないとても危険な「チキン・レース」を、毎日テレビで観せられているのです。

3.日本の安全保障


 いま、怒りや恐怖の連鎖と闘争的な指導者の影響によって、世界中が対立と悲しみの渦に飲み込まれています。そんな中で日本も、抑止力を高めるための「核の共有」等といった議論にどうしても進みやすいところですが(注6)、抑止力というものはいざ戦闘が始まったら、交戦エネルギーに変わってしまうということを忘れてはならないと思います(注7)。

4.停戦の期待と無念


 ところで、ケンカを止めるなら、攻撃を封じながらその場を落ち着かせるのが鉄則です。対立軸にこだわって当事者を非難したり侮辱したりすると、火に油を注ぎ交戦エネルギーを高めてしまいかねません。

 ロシアの残虐行為は一刻も早く止めなければ(注8)。そう考えると、プーチンの戦争において「武の国」日本ができる停戦に向けた貢献策は、当事者ではない者の模範的な在り方として、自他を共に尊重し等しく誰に対しても敬意を払う姿を示すことなのではないでしょうか(注9) (注10)。

 とはいえ、今となっては日本がその役割を担うことは難しいでしょう。ましてやバイデン大統領にはゆめゆめ期待できません。大国の思惑に翻弄されている国際社会の現実にあって甘過ぎるかもしれませんが、戦闘が始まる前の段階で、多様な共生社会を志向して互いに事情を慮る外交努力があったならと、残念でなりません(注11)。

5.私に何ができるのか


 ずっと、私には何ができるのかと考え続けていますが(注12)、お亡くなりになった方々に哀悼の意を表することと、様々な形で犠牲になっているすべての方々が一日も早く平穏を取り戻されるようにと祈ることしかないように思えます。つらく悲しい毎日ですね。

6.注釈


(注1)武の本義は、人と人との争いを止め、平和と文化に貢献する、和協の道を表した道徳的内容をもつものであり、いたずらに敵を殺し、争闘を求め、敵に勝つ事のみが目的ではない。

宗道臣(1979)

(注2) 停戦の押しつけは、戦争の終結をもたらすはずの流れを止めてしまうのである。停戦は、「戦争を凍結する」ことにしかならない。

エドワード・ルトワック(2017)

(注3) 一つの戦争の終結は、恒久的な平和の到来を意味しない。交渉理論が示唆するように、交渉問題が解決して一旦停戦が成立したとしても、停戦をもたらした条件が変化すればたちまち戦争再発の危険は高まるのであり、多くの戦争・内戦がこれまで繰り返し再発してきた。

千葉大奈(2015)

(注4) ロシアの核戦力一覧長崎大学 核兵器廃絶研究センター(RECNA) (nagasaki-u.ac.jp)
ロシア・ビヨンド https://jp.rbth.com/science/85868-shi-no-te-roshia-kaku-housyuu-system-toi-5

(注5) IRISH MIRROR https://www.irishmirror.ie/news/world-news/chilling-old-vladimir-putin-comment-26353999

(注6) 「核の共有」については、そのシェアした核兵器を本当に日本人が使えるのかという問題がある。実際の運用はアメリカが主体的独自的に行うようだが、被爆国日本の国民がアメリカによる核使用を心の底から許容するだろうか。世界中が、日本人は核兵器を使わないと思っているだろう。となれば、竹光と同じ。さらに悪いことに「刀を腰に下げているから、切られると思って先に切った」という理屈も成り立ってしまう。実際に使うことのできない武器をもつことは、丸腰でいるよりもリスクが高い。
 実用的な意味においては、ミサイルを防がなければ直ちに国土が焦土となってしまうにもかかわらず、極超音速ミサイルや同時に多数発射されるミサイルなどへの対処がPAC3ではできないことから、「敵基地攻撃能力」に関して議論する価値はあると思う。
 なお、攻撃能力を考える際には、誤射の問題を避けて通るべきではない。 パキスタンにミサイル誤射 インドが発表 (headtopics.com) いつでもどこでも、システムエラーばかりでなくヒューマンエラーも大いにあり得る。そして命令権者の狂気も。

(注7) プーチンの戦争は、抑止力の空白が招いた結果でもあるのだから、国際社会においていかなる時にも有効な抑止力が必要であることは論を待たないだろう。しかし、戦争ができる「普通の国」になるかどうかといった議論については、ルトワック(2017)が指摘しているとおり、一旦戦争を始めてしまえば、ボロボロになりながら勝利するか、かつての大戦のようにボロボロになって負けるか、国際社会の介入によって停戦したものの再燃の可能性におびえながらいつまでも復興できない状態になる(せいぜい朝鮮半島の状況まで)かのいずれかだという現実を、正面から見据えたうえで考えることが必要ではないだろうか。
 どんなケンカも仕舞い方を決めてから入るものだが、戦争に関してはその期待値がプラスになることはあり得ない。いかなる出口にたどり着いたとしてもあるいは出口が見えなくなったとしても、いずれもまったく割に合わない。かつての日本は、翼賛的になり出口戦略もないままに同調圧力で現状を追認し続けた結果泥沼化していった。そんな歴史を繰り返してはならない。危機感に包まれた同調圧力の高い今の空気を逆手にとって、議論が早計に推し進められることのないようにと願うばかりだ。
 なお、攻撃されたらすぐに白旗を掲げるという向きもあるようだが、守るべきものをあきらめて日本の命運を侵略者に握らせてしまうことなど考えたくもない。テロリストも含め隙をついて攻め込んで来る敵を100%防ぐ方法はない。不幸にしてそんな状況になってしまったら、国としては自衛の戦いをする以外に道はないだろう。(そのために命を張っている軍人や自衛官には国を挙げて栄誉を讃え感謝を捧げる義理がある。)しかしその間も国は、直ちに仲介者を見つけて一刻も早く対話のテーブルに引き戻させる義務がある。初期消火が遅れたら、誰も勝者のいない悲惨な末路を迎えてしまうのだから。一方民間人の自分はといえば、津波に対するのと同じように周囲の人たちと共に逃げて隠れて、立ち上がる時機を待つ。(ただし、国が国民を守ってくれそうもないと不信を抱いている2022年今の段階では、危なくなったらさっさと国を捨てて外国へ逃げるしかないと思っている。今はノマド遊牧民の時代だ。)たとえ「卑怯者」「非国民」と罵られたとしても。
 「国益」と「大義名分」についても触れておきたい。どの国にとっても「国益」とは、安全保障上の利益と経済的利益そして同じ価値観のグループに属する利益ということに集約されるだろう。その国益と国益とが、あるいは権力者の私的利益とがぶつかり合うと、紛争(conflict)が発生し、ときに武力紛争や戦争にまで発展してしまう。その際、戦争遂行に利用されるのが「自由と民主主義を守る」などといった大義名分だ。しかし、「八紘一宇」や「大東亜共栄圏」等を思い出すまでもなく大義名分は、もっと現実的でドロドロした利害を覆い隠すための美辞麗句にすぎない。
 2021年アメリカがアフガニスタンから撤退し、その後行ったことがウォールストリート・ジャーナルに報じられているが、国益をどこまでも追求するとこういう事になるのだろう。 https://www.wsj.com/articles/afghan-economy-further-imperiled-by-u-s-move-to-split-assets-11645103418

 日本の政府は、国民の生命、自由、幸福追求権などを憲法で保障している。またそれを担保するために、平和と独立を守り国の安全を保つ自衛隊が存在している(創設の経緯はともかくとして)。けれどもひとたび戦争が始まれば、幸福な生活はもとより、私たちの生命も自由も財産も大いに脅かされることになる。であれば、そもそも戦争に突入した時点で、政府は国民を守るその使命が果たせない状況になっているということなのではないだろうか。
 元空将の織田邦男(2022)は、「合理的で強力な防衛力を構築し、戦争を未然に防止する。」と述べているが、まさに日本の自衛隊にはそうあってほしいと心の底から思う。https://www.sankei.com/article/20220406-RSJWSZIWBNLO5LHNRC5ZCDFGW4/

(注8) 金剛禅の開祖・少林寺拳法の創始者 宗道臣(1979)は、1945年8月に「敗戦国民の惨めさと悲哀を十二分に体験し」、中ソ国境の町から引揚げまでの道のりで極限状況に追い込まれた人間の姿を嫌と言うほど見てきた(醜い姿が大多数だが、時には人間性の素晴らしさに感動する出会いもあった)という。「イデオロギーや宗教や道徳よりも、国家や民族の利害の方が優先し、力だけが正義であるかのような、厳しい国際政治の現実を身を以って経験した。そしてその中から知り得た貴重な経験は、法律も軍事も政治の在り方も、イデオロギーや宗教の違いや国の方針だけでなく、その立場に立つ人の人格や考え方の如何によって大変な差の出ることを発見した事である。」そして、すべてが人によって行われる以上、真の平和の達成は人づくりによるほかないと気づき、少林寺拳法を手段とした人間教育に生涯をかけることになったのだが、ロシアの残虐行為は、極限状況に追い込まれた現場の兵士によって行われているというよりも、国家ぐるみで行われているのではないかと疑われるほどに最悪の残虐性を感じる。
 思うに、恐怖政治の方法が習わしになっていると、カメラ(人)に見られていることなど気にも留めなくなるのかもしれない。平時には誰もがルールに基づいて行動しようとするが、一旦タガが外れると無法者となり法を顧みないのは当然だ。「国際秩序の根幹を揺るがす行為だ」と言ってみたところで、無法者には何も響かないだろう。日ソ中立条約を破棄して参戦し行った残虐非道の数々が様々な条約に反することは、百も承知であったはずだ。彼の国では複数の指導者たちが無法者となり、同じように残虐な行為をなし得ていることに恐怖を感じるとともに、人づくりの大切さを改めて考えさせられる。

(注9) 停戦介入が許されるのは、介入者が、50年かかっても、現地に平和を実現する覚悟がある場合だけだ。そうして初めて、一時停戦ではない本物の平和が訪れる。

エドワード・ルトワック(2017)

(注10) (注11) 現在必死で戦っているウクライナに対しては、私がとやかく言える立場にはない。けれども日本人として、日本のありようについては大いに物申したい。
 「力による現状変更は許さない」とよく言われるが、「力」とはいわゆる軍事力ばかりではないはずだ。これまで国際社会は、戦争をもいとわずあらゆる力を総動員し、まさに力ずくで身勝手な国益を追求し続けてきた。しかし今や、国益と国益や私的利益とがぶつかり合い、その挙句に武力で解決しようとしても、戦争で利益を上げようともくろむ一部の人たちを除けばリスクに見合うだけのリワードがないことがはっきりしている。要するに戦争をするという選択肢は合理的ではないのだ。とするならば、国際社会も、騙し合い脅かし合う交渉で利益を勝ち取る「対立」の在り方から卒業し、多様な共生社会を志向している現代の市民生活やビジネスの現場にならってwin-winの発想による「対話」へと移行する時なのではないだろうか。
 力ずくでゴリ押しされないように必要十分な抑止力を備えたうえで、自他を共に尊重し誰に対しても敬意を払いつつ互いの事情を考慮して共生の道を探る外交努力ができれば、日本は世界中から尊敬と信頼を受けられるようになると思う。宗道臣(1979)は、「『半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを』と考えて行動すれば、戦争なんてすぐに無くなる」と述べた。三つの大国と北朝鮮に包囲された地政学上とてつもなく危険な地域に存在する日本だからこそ、世界のどの国よりも先に、対立から対話へと方向転換する必要があるのではないだろうか。日本を愛する一人の国民として、そう強く感じている。
『多様で寛容な共生社会を築こう~対立(いじめ、ハラスメント、虐待、差別、抑圧、支配、ケンカ、紛争、戦争・・・)から対話へ~』 
http://www.kumagera.ne.jp/diamedic/diversity.pdf

(注12) 大館三ノ丸道院ではこの戦争が始まる前から、NGOとお付き合いしてきた。最初は2001年5月に大館で道院が主催した「写真展:ルワンダ平和構築」を、アフリカ平和再建委員会(ARC) https://www.arc-japan.org/ が全面的に協力してくれた。また、その際大館で講演をしてくれた瀬谷ルミ子さんが、認定NPO法人REALs(旧、日本紛争予防センター) Reach Alternatives (REALs) | 争い予防の選択肢を、もっと。 の理事長になったことを最近知って、わずかな寄付を継続させていただいている。なお、ARCは現在ミャンマーからの避難民支援を、REALsはアフガニスタンからの国外退避や食糧支援を、それぞれ多彩な活動のうちの一つとして継続されている。
 プーチンの戦争を受けて、先日から 国境なき医師団 (msf.or.jp) への支援も始めたが、いずれにしてもあまりの無力さに、東日本大震災のボランティアの際に聴いた「ハチドリの歌」 https://youtu.be/hx_a-ixavF8 を思い出してしまった。 
 その後(4月9日になって)、「憂慮する日本の歴史家の会」 Home | peace-between (jimdosite.com) が「日中印3国にウクライナ戦争の停戦仲裁を求める」活動を始めていることを知り、私も賛同し署名した。アメリカから見れば、ロシアにはどこまでも弱くなってもらいたいし崩壊してくれたら最高かもしれないが、中国から見れば、ボロボロになってしまえばお荷物だし崩壊されたらとんでもない。けれども米中共に、地球を消滅させられたら困ると考えているだろう。とすると軍事的に弱体化してきた今のロシアの状態は米中双方にとって共通の国益につながり思惑が一致してくるだろうから、案外中国による仲介は現実的かもしれない。とはいえ中国だけが仲介者となれば中国の国益が最優先となってしまうため、この3ヵ国による共同仲介案は非常に優れていると感じる。同会サイトの 一言コメント集(日中印に仲裁を求める).docx - Google ドキュメント  にある【572】のコメントがとても興味深い。実際には停戦までも、そしてそれから先も様々な点で難しいことは間違いないが、一縷の望みを託したい。

                              合掌

7.参考文献


  • 宗道臣(1979)『少林寺拳法教範(改定版)』金剛禅総本山少林寺

  • 江畑謙介(1999)『新しい時代の新たな脅威 世界の紛争 日本の防衛』PHP研究所

  • 正論1月号増刊(2019)『台湾危機』産経新聞社

  • 伊勢崎賢治(2015)『本当の戦争の話をしよう 世界の「対立」を仕切る』朝日出版社

  • エドワード・ルトワック(2017)奥山真司訳『戦争にチャンスを与えよ』文芸春秋

  • Edward N. Luttwak(2002) Strategy: The Logic of War and Peace, Revised and Enlarged Edition: Belknap Press: An Imprint of Harvard University Press (武田康裕・塚本勝也訳(2014)『エドワード・ルトワックの戦略論 戦争と平和の論理』毎日新聞出版)

  • Edward N. Luttwak(2016) COUP D'ETAT A Practical Handbook, Revised Edition: Belknap Press: An Imprint of Harvard University Press(奥山真司監訳(2018)『ルトワックの”クーデター入門"』芙蓉書房出版)

  • 飯山幸伸(2014)『中立国の戦い(新装版)』潮書房光人社

  • スイス政府編著・原書房編集部訳(2015)『民間防衛』原書房

  • 伊勢崎賢治(2004)『武装解除 紛争屋が見た世界』講談社

  • 瀬谷ルミ子(2011)『職業は武装解除』朝日新聞出版

  • Amanda Ripley(2008) The Unthinkable: Who Survives When Disaster Strikes – and Why: Crown Archetype. (岡真知子訳(2009)『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』光文社)

  • Carlo Rovelli著 富永星訳(2021)『世界は「関係」でできている 美しくも過激な量子論』NHK出版

  • 東山紘久(2000)『プロカウンセラーの聞く技術』創元社

  • 下園壮太(2008)『目からウロコのカウンセリング革命 メッセージコントロールという発想』日本評論社

  • 竹田伸也編著(2018)『対人援助の作法 誰かの力になりたいあなたに必要なコミュニケーションスキル』中央法規出版

  • David Bohm(1996) on Dialogue: Routledge. (金井真弓訳(2007)『ダイアローグ 対立から共生へ、議論から対話へ』英治出版)

  • 斎藤環著訳(2015)『オープンダイアローグとは何か』医学書院

  • 戸田久実(2015)『アンガーマネージメント 怒らない伝え方』かんき出版

  • 平木典子(2009)『改訂版アサーション・トレーニング さわやかな自己表現のために』日本・精神技術研究所

  • John Paul Lederach(2003) The Little Book of Conflict Transformation: Clear Articulation of The Guiding Principles by A Pioneer in The Field (Little Book of Justice & Peacebuilding) : Good Books.(水野節子・宮崎誉訳(2010)『敵対から共生へー平和づくりの実践ガイド』ヨベル)

  • 梅崎薫(2019)『修復的対話トーキングサークル実施マニュアル』はる書房

  • 山下英三郎(2010)『いじめ・損なわれた関係を築きなおすー修復的対話というアプローチ』学苑社

  • Jack Watling and Nick Reynolds(2022) The Plot to Destroy Ukraine: Royal United Services Institute for Defense and Security Studies

  • 岡田美保(2016)『核兵器の再登場 ロシアの核政策と変化する欧州安全保障』地域研究コンソーシアム16巻2号166-186

  • 中津孝司(2015)『ウクライナ・ロシア関係の新展開』大阪商業大学論集第10巻第3号(通号175号)49-66

  • 中山俊宏(2022)『バイデン政権が向き合った三つの危機──そして、新たに加わったウクライナ危機』日本国際問題研究所研究報告「国際秩序の動揺と米国のグローバル・リーダーシップの行方」 (令和3年度米国研究会)第1章 1-8

  • 千葉大奈(2015)『「強い」停戦合意協定は持続的な平和を導くか』国際政治2015巻181号89-102

  • 外務省(2016)『国家安全保障戦略(概略)』外交青書2016資料編252-257

  • 細谷雄一(2022)『動揺するリベラル国際秩序』外交Vol72,都市出版,特集ウクライナ侵攻の衝撃波6-11

  • 織田邦男(2022)『他人事ではないウクライナの悲哀』産経新聞2022年4月6日(7)正論

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?