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本との戦い

 本は私を「殺し」にきている。
 経済的にも、物理的にも。
 
 次の文章で私の家に53本くらいの本棚があることを書いた。

 こんな状態である。

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 53本くらいの本棚を立てるために、二部屋が本に占拠されてしまった。
 いわゆる寝室は本に占拠されたので、リビングの一角で寝ている。そのリビングにも本は進出してきている。
 二部屋を本に占拠されてるとは大変なことである。もし、家賃に換算すれば大変な額になるだろう。

  これはもう本を「養う」ために働いているようなものだ。

 しかも、本は現在も増え続けている。
 こう言っていいだろう。
 
  本との戦いに勝利は無い。
  あるのは引き分けだけだ。

 
 本は私を経済的に「殺し」にきている。
 しかし、なんとか今のところは引き分けに持ち込んでいる。
 
  負けない。
 
 さらに、本は私を物理的にも「殺し」にきている。
 部屋の真ん中に立った本棚は、大変危険である。倒れた本棚の下敷きになれば、大怪我をする可能性がある。最悪、死に至るだろう。
 昔、私の家に来た友人はいきなり次のように言った。
 
  自分の本に潰されて死ぬのはいいけれど、他人の本に潰されて死ぬのは嫌だ。
 
 他人の家に来ての第一声が「本に潰され」る話であるのはどうかと思う。他にも話すことがあるだろう。
 しかし、危険なのは確かである。
 現実に、本に埋もれて死んだ人もいるくらいである。

 静岡県を中心に発生した強い地震により、静岡市の 43 歳女性が大量の本に埋もれた状態で死亡しているのが発見された(「『本に埋もれて死ぬ』が現実に」エキサイトニュース)

 女性は「大量の本に埋もれた状態で死亡」していた。
 
  大量の本は、もう凶器と言ってもよい。
 
 ちなみに、東日本大震災の時、我が家の本棚はどうなったか。
 なぜか、一本も倒れなかった。本も一冊も落ちなかった。
 しかし、これはたまたまであろう。同じマンションで家具が倒れて滅茶苦茶になったという話を聞く。
 とにかく、本が私を「殺し」にきていることに変わりはない。
 そして、本との戦いに終わりはないのである。


(注)

 なぜ、このような文章を私は書いているのか。
 「気楽に投稿」せよ、というnoteからのアドバイスを受けたからである。

 哲学的内容を「気楽に」書く訳にはいかないので、執筆環境について「気楽に」書いてみたのである。
 みんな、noteのせい(お陰)である。
 

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