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世界中の読者を困惑させた「21Lessons(ハラリ)」を徹底解説

世界中の読者を困惑させた「21Lessons

本書を通じて、ハラリはAIによる雇用の危機や、自由主義の破綻や、生態系の破壊など、世界中の現代社会の問題を説明しています。

そして、最終章「瞑想」(※しかも、宗教ではない)

ここで、ほとんどの読者は、困惑しました。

「文章そのものは、他の章よりも圧倒的に簡単だけれど、意味がまったくわからない...」

僕も、初めて読んでから一年間、日々の熟考や調べを重ねて、ようやく理解が深まりました。


「データ社会に操作されたくなければ瞑想せよ(宗教ではない)」

「人生の真実を知りたければ、ただ観察せよ。その答えは”物語”ではない」

その真意とは?


【解説】

21Lessonsでは、「世界情勢」から「テクノロジー」まで、大規模な問題について解説されていますが、その上で最後に問うのは、「あなたはどう生きるか?」というものです。

それでは、最後のテーマ「自分を知る」を解説していきます。

最終章あたりにおいて理解するのは困難を極めます。個人的には、今まで読んだ本の中でもずば抜けて難しく、何度も繰り返し同じ文章を読み返したうえで、毎日考えさせられることになりました。

ここでの難しさは、難しい専門用語や難解な数式ではありません。

むしろ、文章自体は中学生でも理解できるけれど、その意味は、自分がいつ本当に理解できるのかどころか、誰なら理解できるのかも見当がつかないような難しさです。

 

第19章「教育」から「自分を知る」というテーマに移行します。後半からはかなり意味深な発言が続きます。

「時代が大きく変わるので今の子供たちは大人を頼りにすることはできないが、自分の声を頼りにすることも危ない。なぜなら、たいていの人は自分がほとんどわかっていないので、簡単に外部に操作されるからだ」


「自分の人生の支配権を維持したければ、情報を収集するアマゾンや政府よりも先回りして、先に自分自身を知っておかなくてはならない。その際には、幻想はすべて置いていくにかぎる」


ここでの「幻想」というのは、プロパガンダやイデオロギーや商業広告などの洗脳を指します。


そして、20章では、「もしこの世界や人生の意味や自分自身のアイデンティティについての真実を知りたければ、まず苦しみに注意を向け、それが何かを調べるのにかぎる。その答えは物語ではない」と主張する...。

とても考えさせられる文章です。


そこで最終章、「瞑想」

最初に読んだ時には真意がわからなかったのですが、「瞑想」という言葉がかなり印象強いものであったことと、抽象的な表現が続いたことから、「単に瞑想を推奨している」というイメージが先行してしまったと思います。

これは、ハラリの書き方にも語弊があったように思います(ちなみに、僕はかなりハラリの研究をしており、あらゆる観点で賛同、尊敬しているので、考えの相違はとても稀です)。

というのも、瞑想に至った個人的な経緯は書かれているのですが、その目的やプロセスが過度に抽象的に書かれてしまっているので、ほとんどの人はまったく理解ができなかったからです(これから詳しく解説します)。


とはいえ、ハラリが強調しているのは、誰もが瞑想をするべきだとは思わないということと、ハラリの言う瞑想は、宗教とは全く関係ないということです。この部分は本書でもはっきりと述べられています。

続けてハラリは解説します。実は、ハラリ自身も最初は瞑想を友人から誘われたものの、その誘いを1年間ずっと頑なに拒否してきました。というのも、もう虚構はうんざりだと考えていたためです。

しかし、しつこく誘われて出会ったのがヴィパッサナー瞑想です。これは元々仏教から派生した瞑想であるが、今のヴィパッサナー瞑想は、宗教とは関係の無いメディテーションの手段であり、むしろ、宗教の信仰といった物語を生み出すことは全面的に避けます(日本にもヴィパッサナー瞑想瞑想の合宿を運営している場所はあります〚参考〛。わけがあって僕は参加しませんが)。

瞑想中は、何も考えないように呼吸のみに集中する。そして、次第に体内の感覚と生み出す感情の観察をする。宗教や国家といった物語に左右されず、現実のみを観察する。

ハラリは24歳でそれを知ってから、毎日2時間瞑想をするようになったとのこと。


ここに関しては、かなり難解であり、とても抽象的です。

ということで、ここからは、ハラリの文章を基に、テーマを2つに分けて僕の解説をしてみます。


①「テクノロジーよりも先に自分を知る」

テクノロジーについては、「ホモ・デウス」にて詳細に書かれていますが、これからの時代においては、私たちはデータに支配される可能性が高いし、既にそうなりつつあります。

その結果、今ではAmazonやNetflixが自分にお勧めの本や映画を出してくれたり、Google mapが最も合理的なルートを提示してくれたりするのに対して、将来的には、結婚相手から職業選択までをデータが判断してお勧めしてくる可能性も出てきます。

つまり、「テクノロジーよりも先に自分を知る」というのは、テクノロジーが自分の考えや人生を決定する前に、自分が自分のことを知っていなければならないということです。

では、テクノロジーが合理的に決定してくれることのデメリットはなんでしょうか? 合理的に決定されるのを待つのも良いのでは?

実際、ハラリ自身も、それは選択肢の一つだと言い、詳細なデメリットは解説されていません。


しかし、僕が思うに2つあります。

1つには、データが決定するということ。

過去に蓄積されたデータが基になるため、商品の紹介などには抜群の効果を発揮するだろうし、その他の選択に関しても、相当に合理的になるかもしれないですが、データにない新しいものは提供しようがないのです。

それに、データの処理自体に誤りが含まれる可能性もあり、実は、すでにそうした事例は起きています。

あるアメリカの企業がエントリーシートの選別をコンピュータに任せたところ、白人男性ばかりが残ったというケースがあるのです。つまり、いくらデータをたくさん集めても、その処理方法に問題が生まれる可能性は否定できません。そうした懸念はかなり強いのです〚参考〛。

さらに、2つ目の理由として、最近の研究では、感情を読み取ることはこれまで思われていたよりもかなり難しいという見解もあります。血圧や呼吸といった反応でも完全に感情を当てることは難しいらしいのです。

例えば、同じ「驚き」という感情でも、場面によって反応は変わるし、個人差もある。すると、データの誤った判断に流される危険性もあるということです〚参考〛。

(ちなみに、この発見は心理学の分野でもかなり大きなものです。というのも、カーネマンが名著「ファスト&スロー」の冒頭でも紹介した有名な研究である「どの国でも表情と感情はリンクする」という報告に疑問を投げかける意味もあるからです)


②「自分を理解するために瞑想する」:本書の山場で最も難解な部分

では、そうしたディストピアを避けるために「瞑想で自分を知る」というのはどういう意味でしょうか? 

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