見出し画像

海外で働くデザイナーになるまでの道のり。

Sugu Mizunoさんからの質問です。

「しょこたんさんが、どのようにしてデザイナーとしてのスキルを身につけ、日本人なのに海外の地で働けるようになったか?」

という回答をします。

が、多分、これは私がやったことであって、他の人の参考になるかはだいぶ謎です。

「デザイナーになる、海外の地で働く」という頂上は一緒でも、

1人1人その人によって、頂上を目指すベストルートは違うので、

どの道がSugu Mizunoさんに合うかはわかりません。


目指すべきレベルは人によって違うので、自分がめっちゃ目指したい!っていう好きな人をおいたらいいと思います。

けど、「目指すべき人をおく=その人以上にはなれない」です。

自分がなりたいようになれば一番いいと思います。

みんな適した道がありますからね。

人と同じじゃなくていいですからね。


という前提で、しょうこのこれまでの道のりをお話をします。

長いです。

何気にちゃんと書くのは初。


1: デザイナーになる、と10代で腹をくくる

私は、小中高の頃から、自分がマジョリティーで生きていくような人間ではないと悟っていました。

で、社会的に好き勝手何をやっても許されそうな人になるには、どうすれば良いのか、、うん、クリエイティブな職業やな!

と思って、デザイナーになろうと腹をくくりました。

というか、そうでもしないと、今後の自分の人生、社会的に生きていけなさそうな気配をじわじわ自分で感じてました。


でも、どうやってデザイナーとかクリエイティブな仕事につけるか謎でした。

Zipperの雑誌の後ろに載ってるバンタンっていう専門学校に行かないとなれないのか、とか思ってました。

で、ひょんなことで、美大っていう存在を知りました。

モノを作ったり、絵を描いたりするだけで、学位が取れる、そんなチャラチャラした夢のような大学があるんだ、ってことをはじめて知りました。

でも、美大に行くには、やたらと難しい実技試験に合格しなきゃいけないことが判明しました。

マジかよ、と。

そのために、美術予備校に通わないといけないのかと。


2: 美大に行くために、美術予備校に通い、デッサン、色彩、造形基礎をつける

通いました、2年間。

毎日毎日、17:00-21:00まで、苦手なデッサンやら色彩構成をしました。

工作は好きだったんだけど、デッサンはマジで苦手でした。。

けど、これをクリアしないと美大にいけない、東京に行けない、デザイナーになれない、しょうこの人生が見えない、、、社会不適合者になる恐れ大!!!!、、やるしかない。

だったので、やりました。

実は、この時点で、本当は海外の美大を受けようかっていうことも思っていたんだけど、

「タマビ、ムサビも受かってないのに、何を言っているの?アハハ」

と予備校の先生に鼻で笑われ、ムギーーーッ!!!ってなったので、

東京の美大に行ったったろうやないけん!と、

盗んだバイクで走りだす15の夜の気分で、予備校で絵を描いて、

無事タマビに受かり、行きました。

デッサンが苦手だった私でも、とにかく、やればなんとかなるんだな、ってことがわかりました。

予備校時代に、何が何でもつくりあげる、考える、手を動かす、批評のポイントなんかを身につけました。


3: 美大で吸収しまくり、アウトプットもしまくる、大学を利用しまくる

タマビ時代は、

「東京人には負けない。」

という反骨の"田舎から上京してきました精神"と、

学費1日1万円という重みを胸に(私大の美大の学費は鬼高いです)、

ひたすら学生時代吸収できることはしまくりました。


大学時代は比較的まともに授業に出席し、

目の前に与えられた課題はやって、

デザインとはなんぞや、ということをさらに深め、

他学科の授業に潜れるものは潜りました。

「しょうこさんはどこの学科の授業にもおる」と言われたことがあります。


有名で気になるデザイナー、建築家の人たちの講演会は大体行きました。

直接オーラを感じに、話を聞きました。

デザインのバイトもしたし、造形屋のバイトもしたし、

わけわからんものもたくさん見たし、

デザイナーの本はたくさん読んだし、

とにかくできること、やりたいことはガンガンやりました。


学生中、とりあえず、大学の使えるものは使おうと思って、

フィンランドの交換留学もトライしたし(けど落ちた)、

アメリカのアートセンター・カレッジ・オブ・デザインっていう大学とのコラボプロジェクトに参加したり(これは受かった)、

海外との絡み系は一通りトライしました。


4. 美大卒業は、出国すると腹をくくり、英語をガリ勉

で、日本にこのままいたら、

また今後の人生どっかで限界あるな、20代の時に飛ぶべし!と思って、

卒業したら海外に行こうと決めました。

卒業前に、サンフランシスコのAKQAのインターンの募集があって受けました。

日本語と英語が喋れること、っていう募集で、

強気に受かるかと思ってたけど、

面接で「英語力が足りない」っていう理由で落ちました。

(今思うと結構ひどいCVを提出していました。)


そこから、

マジかよ、英語のせいか、悔しいな。

と思って、卒業後一切就活もせずニートでしたが、英語の塾に通いました。

ひとまず、デザインを忘れて、英語をガリ勉しました。

海外の大学院を受けるには、IELTSかTOEFLのスコアを提出しないといけないので、

とりあえずIELTSのスコア6.0をとりました。

あ、やばい、デザインの職歴もない、っていうことに謎の焦りを感じ、

日本で有名デザイン会社のインターンもしました。


5. 生きることを学ぶ、何もしないことを学ぶ

けど、いろんな焦りとストレス、突っ走りすぎて、

体をガクッと壊しました。


それで、初めの人生で、どうにもこうにも体がついていかなくなって、

人生のロングバケーションをとることにしました、2、3年くらい。

一応その期間、ニートから大学院へ進学し、所属を得たりもしましたが、

一旦海外は諦めました。デザインも忘れました。

結構何もしなかったです。というか、何もできなかったです。

体が動けなくて、ひどい時はベットで寝たきり生活みたいな状態でした。

海外ドラマを見る、英語を聞く、くらいはしてましたかね。


働けなくて、病院に通う日々で、辛かったです。

今思うと、デザイナーでイケイケな生活をしていたら

絶対気づかなかったこと・見えなかったことをこの期間たくさん見ました。

あれほど勉強した「デザイン」って、

絶対必要なところに全然行き届いてないことに愕然としました。

デザイン、オシャレぶりやがって!と嫌いな時期でした。

今思うと貴重な時間でした。


6. デンマークでデザイン学ぶ

体調がちょっと良くなったけど、

今度は、行きたいけど海外に行けないストレスがたたりました。

自分の欲望を叶えてあげんといい加減かわいそすぎるで、と思って、

行きたかったデンマークの学校のサマースクールが開校されたので、

そこを受けて、受かって、夏だけ行きました。

Copenhagen Institute of Interaction Design っていう、インタラクションデザインを専門に教える学校です。

http://ciid.dk

何気に、私は日本人として2番目に学びに行った人間です。
(日本人初として行きたかったけど、前年度に行った日本人の方がいらっしゃった。)

インタラクションデザインを学ぶなら、ここ結構オススメです。


たったの3週間のプログラムだったんだけど、

かなり大きな経験でした。

授業にはついていけたし、

自分のアイデアが外国でも評価されました。

あと、人の助けを借りながら書類を全部自分で用意したり、

自分でお金をデンマークに送金したり、

宿を見つけたり、

学校に英語でメールしたりとか、

己の力を全て使いきりました。

この経験が次の移住の自信にすごく繋がりました、今思うと。


当時コペンハーゲンに知り合いなんて1人もいなかったし、

そもそもデンマークに留学すること自体、

デザインの分野でも結構マニアックなので、

留学サポート会社とか探しても全然なくて、途中途方にくれました。

けど、ただそこで勉強したいっていう熱量だけで動いて、

自分でやって、なんとかなりました。

実際行ってみると、誰かが人をつなげてくれたり、助けてくれるもんです。


7. 日本のデザイン現場で3年働く、と腹をくくる

デンマークから戻ってきて、

海外の大学院をガチで受けるか、向こうの仕事を探すか迷いました。

けど、日本のデザインはヨーロッパでかなりリスペクトされてること、

デンマークで教えてたことは、タマビで学んだこととさほど変わらなかったことがわかりました。


そして、私が今海外に飛び出しても、

たいした職歴も、語学力も、知識もない自分がヨーロッパで勝てないし、

ヨーロッパ人に与えるものがあんまない、と感じました。


1回こりゃ日本でちゃんと働いた方がいい。

3年日本で働いて、日本のデザイン事情をちゃんと知った上で、

また海外アプライしようと思いました。


帰国後日本でインターンをはじめて、

大学院をやめて、そのまま働きはじめました。

デザインコンサルの仕事です。

かなり小さいところだったので、デザインというより、

ビジネス、働くとは何か、を学びました。

営業もしました。結構なんでもしました。

この期間、リモートワークやフリーランスみたいな働き方を

若干していたので、今に役立ってます。


8: 再び人生のロンバケと転職

そっから、社会人になってすぐ、

26で別の病が発覚し、

まじかよ、ふざけんなよ!ってなって、

仕事を休み、手術し、また人生のロングバケーションしました。

色々悟りました。

また海外移住が遠のきました。


そして転職を経験しました。

転職先は、海外にゆくゆく行けそうなところ、

体に無理がかからなさそうなところ、っていうのを基準に決めました。

で、そこで2年くらい働き、

アプリデザインの経験と日本での実績をしっかりつけました。

あと、英語は、

細々と楽しい程度に英会話に通ったり、

東京にいる間に外国人の友達と遊びまくったりして会話力をつけました。

英語はやっぱり、実際の人と喋るのが一番です。


9: 移住先を見据える

自分がデザインしたものが世の中にお披露目され、

ユーザーに使われる状態になり、

アプリもストアで1位になったので、

もう、この実績を持って海外に飛ぶべし!

と思って、移住地を探してました。

そんなタイミングで、

会社が突如ベルリンオフィスを立ち上げることになり、

「ベルリンに行きたいです。

30手前、このタイミングで行けないと、私多分会社辞めます。」

と会社に伝えたところ、「移住してください。」と。

本当に、本当に、今までの長かった準備が報われた時です。感謝。


10: ベルリンへ移住準備

けど、移住の仕方がわからず、これまた途方にくれました。

これまで留学はしたけど、移住は全く初。

そして、ドイツは旅行で行ったこともなく未知の国。


どうやって海外へ引っ越しするのかとか、何が持ってけるのかとか。

保険はどうするのかとか、免許は?とか、色々謎・謎・謎。

日本に戻るつもりはなかったので、

自分のこれまでの財産の8割くらいは(モノね)捨ててきました。

けど、デンマーク留学で色々自分でやりきった経験があったので、

これまた色んな人の助けで、無事引っ越しました。

完全移住までの期間は、実際3ヶ月くらいしかなくて、

普通に働きながら、

10年分東京暮らしで溜まったモノを処分するのが本当に大変でした。

もう二度と引越しはしたくない、と思ったくらい結構大変でした。

実家暮らしの人はその辺楽ですね。


11: やっとベルリンへ

ベルリンに夜到着して、翌日の朝出勤しました。

怒涛の移住準備3ヶ月がすぎ、そのまま何も調べずにベルリンに来たので、

ベルリンのことが全然分からぬまま、

ドイツに住んでる実感もあんまないまま、すぐ2ヶ月過ぎました。

そして移住後、日本に4ヶ月ほど出張することになり、

日本で英語のプロジェクトをやりました。

大手会社のアプリです。

ドイツ人、カナダ人、アメリカ人、オーストラリア人の人たちと

リモートでコミュニケーションしたりして仕事しました。

プロジェクトも英語も、大変、でした。。

英語という語学もさることながら、

文化圏の違う人たちと一緒にデザイン・開発するということ、

東京とベルリンの時差の中で一緒にプロジェクトすること、

日本人以外の人との交渉力などなど、

未知なことが多くて、いっぱい失敗して、いろいろ学びました。

まだまだ自分に足りないことも見えました。


12: フリーランスへ

ベルリンに移住し、色んな人に会い、

つぎの目標ができたので、それに今度は走ることに決めました。

ちょっと会社に所属しフルタイムで働くのは疲れたので、フリーランスに転向しました。

というか、気づいたらフリーランスになっていました。

私もまさか、海外でフリーランスを始めるなんて、あと3年くらい先くらいかなと思っていたんですが、なるようになるもんです。

夢に描いていた、Macを持って、どこでも移動しながら、旅行しながら仕事できる、という状態に今なっています。

今でもこうやってフリーランスとしてごはん食べているのも、

今まで日本でやってきた経験やこれまでの人脈、周りの人たちのサポートのおかげです。

そんな感じで、たまに走りながら、たまに休みながら、今に至ります。


-----

スティーブジョブスの話じゃないんですけど、

本当に今はわからなくても、今は辛いかもだけど、

人生は点と点が本当につながっていくようなことがたくさんあります。

あー、このために、あの時期があったんだ、

って思うことがたくさんあります。

びっくりするほど。


だから、黒い影とか雲が見えても、

次のお日様に向かって、

やりたいと思ったことをやり続けていくしかないです。

たまに休憩しながら。


私は海外に住みたいと思って、紆余曲折10年ほどかかりましたが、

でも、私は私で、

このタイミングで来たのが一番ベストな状態だったのかなと

振り返って思います。

すべて計算された上で、このタイミングで、ここにいるんだと思います。


今もまだ足りないと思うスキルはいっぱいあります。

英語も、ドイツ語も、デザインも、生きることも。


けど、一度に全部できないし、完璧にこなさなくてもいいと思います。

少しずつできるようになったことを褒めて。

今その場所でできることを精一杯やって、楽しんで。

やりたいと思うことをなるべくそのタイミングに、素直にやって。


デザイナーになれるなんてわからなかったし、

美大に受かるなんてわからなかったし、

知り合いもいないデンマークに行けるなんてわからなかったし、

海外で暮らせるなんてわからなかったし、

フリーランスなんて海外でできるかわかんなかったし、

全部わかんなかったです。本当に。


けど、わかんないことも信じてやってればできました。


だから、やりたいことを、やってれば、なんとかなります。


って、参考になったかわかりませんが、

ちょっとでもエネルギーが芽生えたならうれしいです。


----------------------------------------------------------------------------------------------------------

リアルなベルリンライフはこちらにつぶやいてます。
ごはん情報多めです。
https://twitter.com/shokolog711

海外系の質問受け付け中、出国求む人たち応援キャンペーン中です。↓
海外に渡りたいデザイナー・人を全力で応援する、しょこたん
https://note.mu/shokolog711/n/n68914a4bb39c

過去メディアに取り上げられた人気記事はこちら。https://note.mu/shokolog711/m/mf7186022984d

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

しょうこ食堂でおいしいごはんをゲストに食べてもらったり、Spiciiを届けるためにいろんなとこへ行ったり、ベルリンでサバイブする資金にします。

ハグを返します
372
ベルリン在住、フリーランス・ノマド・インタラクション/UX/UIデザイナー。Spicii chocolate CEO。しょうこ食堂。 多摩美卒業後、デンマークCIIDへ留学。日本で3年働いた後、ベルリンへ。Macを持ってサービス、アプリ、食をデザインしながら、地球をウロウロ。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。