1 娘は小学校、母はお仕事だった3月26日 今朝私は、かなり早い時間から仕事をし、娘は珍しく自然に6時半に起きて朝ご飯のリクエストがあったため、さっと作り、そのあと私は先に出勤しました。
芸術の秋、ということで、詩に挑戦してみた。 ベランダ 2階のベランダから、コーヒーを飲みながら、空を見上げる ゆっくり、ゆっくり、雲が流れていく 夜は星や月がゆっくり、ゆっくり、ゆっくり、流れていく 下をみると、おじいちゃん、おばあちゃんが、ゆっくり、ゆっくり、歩いている 小さな子ども連れの親子が、ゆっくり、歩いている 高校生が、自転車で、賑やかに、ちょっと、早く、通り過ぎていく そして時が流れていく
1 中学初めての成績表 一昨日、娘の中学校は前期終了、昨日はお祭り、明日から後期スタートである。娘は前期、思ったより苦戦した、というよりわたしが学校との対話に苦戦したのだ。 娘は6月に、先生も友だちも教えてくれないから行けないといって、一人で外へでて気持ちを立て直しにでかけた。どうやらいつも話を聞いてくれている大人へ相談もしていたようだ。 わたしも、学校が忙しのは仕事柄わかるが、学生証も6月でまだもらってないの?最初の週は言ってたし、5月は遅刻しながらも娘は踏ん張って
1 娘が壊す「常識」 娘は小学校1年早々に学校への足が止まった。その後も行く努力はい続けるがなかなか学校は娘には手強かったようだ。ちなみに親であるわたしは、もうどっちでもいい、と早々に覚悟してみてきた。 娘は学校のなかの「常識」がおかしいって思っていたのだと思う。実際おかしいし。 例えば、保育園では朝は「はい」でよかったのに、学校は違う表現を要求される。保育園では大きな字を書きましょうでよかったのに、学校は違う表現を要求する、などなど。 何よりも、自由がない、って言
1 うーむ。これは不登校ではないな 今の娘は、完全に次の日の予定と自分のエネルギーと相談し学校へいくかいかないかを決めているように見える。 だが、謎に学校の出来事はキャッチする。 グループライン、さすがに、ありすぎだろ。。。。。 今も、珍しく学校内で男子の喧嘩があったらしく、、、、 下手したら先生より、実情キャッチしちゃってる。。。。 2 三者面談 わたしはいま動けないし、学校対応は主人のほうが学校側の警戒しないかなっておもってずっと任せているが、昨日は普通
1 金曜日の午後に運動会? 娘は小学校1年生から不登校だが、なんでか仲間をどんどんつくってくる。そして一つ一つ乗り越え、あっぱれな卒業式だった。 ところが中学校はやっぱり。。。しかも教師の連続のミスにより娘は学校を見切ったなとおもった。娘には地域に相談ができる大人がいたので、その人へ相談し、新しい居場所づくりを手伝ったりしながら夏を過ごしていた。 あー学校はもういかないのか、それもよし、とおもってみていた、 ところが、さすが現代っ子。グループラインがどんどん立ち上
1 なんだったんだ このノートに綴るのはいつぶりだろうか。いろんなことがありすぎた。 仕事がのってきたいま、なぜ「休職」。あんなに中学こそはと猛勉強していた娘は完全に学校が放置。訴えても訴えても届かない声。 わたしの休職もこの学校でのことも、他も諸々、おそらく根っこは同じなんだなと最近思うようになった。そしてその根っこをどうするかというかなり大仕事をわたしは復帰したら研究者としてやらないとならぬ。 なぜなら休職中に舞い込む相談やトラブルは他の人では対応できない
1 「小学校行ってくる!」?? といって出かけた娘だが、えーっとそこはこの春、卒業致しましたよね?と、あまりにも逞しい娘に呆気に取られた。そして、今日も。しかも、今日はどうやら「きちゃえばいいよ」と誘われたようで、堂々とって、昨日も堂々といってはいたが。 しかも小学校はおそらく半分も行っていない。それでも毎朝、葛藤し、少しずつ行けるようになった6年間を思えば、彼女にとったは大事な時間を過ごした場所なのだろう。 2 なんでこんなことに? 小学校の卒業式は非常に生き生きとして
1 娘の不登校は、学校おかしいぞ、ノー、の抵抗運動なのかも 小学校6年間不登校に苦しんだ娘が中学になり、いけるかなとおもったが、突然糸がきれた。まぁ疲れたのかなとは思っている。 中学校の先生とお話ししたときに、え、また、って。 スモールステップで定着していきませんかって提案。 もうこれナンセンスすぎる。 学校の矛盾を子供たちは感じていてノーを不登校で表しているのだ。 ならスモールステップではなく、学校を立て直さないと、どんどん不登校は増え、どんどん先生たちも忙しくな
1わたししは1ヶ月休職、娘は学校へ足が止まった 4月から苦しい苦しい6年間を過ごした娘の見事な卒業式から入学式。その後も踏ん張ってたがここへ来て、娘は完全にストップ。そんなタイミングでわたしはドクターストップで1ヶ月休職。 タイトルの「雲の上はいつも晴れ」は娘が卒業文集で書いた「座右の銘」である。ドラゴン桜のセリフらしい。長い文章を書くのが苦手な娘が書いた卒業文集は圧巻だった。 どんなに苦しくても雲を見えあげるときと雲のむこうは晴れていると信じて歩みをすすめていたことが文
入学式へ 2022年4月7日がやってきた。 入学式は午後からである。午後からならゆったりできるし、着物着ていこうかなとおもって私は朝から着物と格闘していた。 娘は、起きてくると私が格闘している横をうろうろして。 なんなん?とおもったら、 制服もってくる あ、リボンがない あ、靴下 って、「邪魔!」である、 すると式の時間が近づくにつれ、娘のスマホの通知がガンガン鳴り出した。 「通知なってるよー」というと、 友だちが「今日の入学式から制
1。卒業 小学校入学式は大雨大風だったのを今でも覚えている。あれからもう6年が経った。本当にいろんなことがあった。 友だちつくってきて、我が家は放課後は児童館のように賑やかだった。 これで、大丈夫、と思った。 でも5月末に突然、学校へ行けなくなった娘。 なかなか、かけあわない学校との対話。 付き添ってみると、あーこれは、きついわなぁと思った私は、無理していかなくていいと腹を括った。 でも娘は違った。門まで。でも足が止まる。1分、3分、5分、10分、と。 私
1.いよいよ小学おしまい 今年の年度末はプライベートの方も忙しいのでバタバタしているが、ぼちぼち、をここえおかげてあたしい年度を迎えたい。 娘は3月17日に卒業式を迎える。 卒業式ではお子さんの名前が呼ばれたら、その子の保護者がその場で起立(かじかー。しなくても上からすぐ見えるんだが)、そしてお子さんが保護者にお花を一輪もっいくのでそこで会話をしてくだしさい(マジかー、これ無理)。コロナで会場には保護者は一人のみ。ここは感情の起伏が激しくないつれの出番だ。「頼ん
1 不登校スタート;尊厳を奪われた娘 娘が1年生早々に学校に行けなくなってから、職場の同僚の暖かいご支援のもと、仕事を調整してくださり、しばし学校へ付き添うことになった。無理に学校にはつれていかない、でも本人が行きたいならトライする。いくといえば、なら一緒にいこうと準備開始。といっても手ぶらでいくので着替えるだけである。ところが娘が名札を異常にいたがらなくなった。親は名札なんてどうでもいいと思ったが、1年生、名札は必ずつけてきなさいと指導される。守ろうと思ってつけようとするが
1 記念すべき日を忘れそうな日々 明日9月5日は娘の12歳の誕生日である。ということは私が母なるものになって12年目の記念日でもある。 もう自分の誕生日は忘れていることが多いが、娘の誕生日はさすがにこれまで、ケーキを作ったり、買ったりして、プレゼントも用意して、ささやかな家族だけのパーティーもどきはしていた。 でも今年は、うっかりすると忘れそう。 それくらい、日々が慌ただしい。 2 いつもと違う慌ただしさの中で いまの仕事についてから、いろんな相談に耳を傾け
1 入学早々に不登校になった娘の小学校最後の夏休みスタート 今日から小学校は夏休みらしい。不登校の娘にとって「休み」は、学校へ行くかどうかの葛藤から解放される。親にとっても。それは非常に平穏な日々。 ただ、夏は私の仕事が猛烈に忙しいため、滅多に旅行も帰省もできない。 低学年の頃は、友だちを毎日連れてきては、遊んでいた。お友だちが泊まりにきたり、友だちの家に泊まりに行ったりしながら、学校の友だちとがっつり遊んでいた。 中学年になると、何を思ったのか、大手予備校に行くよ