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雲の上はいつも晴れ

1わたししは1ヶ月休職、娘は学校へ足が止まった

 4月から苦しい苦しい6年間を過ごした娘の見事な卒業式から入学式。その後も踏ん張ってたがここへ来て、娘は完全にストップ。そんなタイミングでわたしはドクターストップで1ヶ月休職。
 タイトルの「雲の上はいつも晴れ」は娘が卒業文集で書いた「座右の銘」である。ドラゴン桜のセリフらしい。長い文章を書くのが苦手な娘が書いた卒業文集は圧巻だった。
 どんなに苦しくても雲を見えあげるときと雲のむこうは晴れていると信じて歩みをすすめていたことが文集で表現されていた。

 わたしは、そんな娘をツレに託し、仕事。仕事の大半は学生のお悩み相談だった。どんどんくる。もう限界だった。

2休みたいが

 卒業生から深刻な相談がくる。この人、もうかなり命がやばいとおもい、でもわたしは休職中のためそういう相談も乗ってはならない命令がでている。ただ、これ別に仕事ってかんじでもわたしにはないけど。でもそう言ってくれる同僚に感謝し休みをとった。が、卒業生はここに戻ってくる。
 話は聞いてもらったけどこれからどうしたらわからないと。
 わたしは内科でいいから医者にいき、仕事が辛いことと今出ている症状を伝え、診断書をかいてもらい1週間休みその間に対策をたてようと連絡した。同僚も同じアドバイスをしていた。が、どこに行けばいいかわからないと。総合内科があるところがいいかなとおもいアドバイスしたが、これもう自分で探すエネルギーもないなとおもい、ちょっと起き上がり探していくつか提案してみた。行ってみて合わなかったら他に当たるようにも。
 そして急に休職だったので抱えている仕事がいくつかあった。それを今日ひとまず終えた。これでもう1ヶ月のうち1週間。結局仕事してた。

3さて明日から休む

 ギターの練習したりコーヒーの焙煎したりしようとおもう。休みは長引く可能性もあるので、畑でも借りようかなとか、いろいろ考えている。
 今はなんかほっとしたのか、ずっと寝ているが、それはそれで体がおかしくなるし。
 街中に行く元気は今はないし。
 娘のサポートとケアもしないとならない。

4中学校との対話も一旦中止

 水曜日に午後から娘がとにかく行ってみようという気になったので送り事務室へ寄ったら学年主任の先生が対応してくださった、が、もう目が釣り上がったいた。忙しいのだろう。わたしは話を止められ、目標をきめませんかと言われた、これ小学校でも言われてダメだった。うーんうーんとわたしはうなりなやみでももう先生は余裕がない。わたしは、なら親とではなく娘と先生で目標を決めてくださいと伝えた。娘と対話してほしいと思ったからだ。
 でも、娘の感想は「普通」だった。
 もう対話は一旦中止。スクールカウンセラーにつながろうとおもったがつながり方も教えてもらってないので、今問い合わせている。

5話をじっくり聞く、ができていない

 先生方が大変なのは嫌というほどわかっている。なぜならわたしはその専門家だから。ただ娘が「先生の目、充血してて死んでた」って言っていた。その上、どうする?しか言わず、娘の何が苦しいいのかを聞いてくれなかった。わたしの話も。時間がなかったのだろう。だから責める気はない。
 職場でわたしのところにいろんなSOSが来るのも、話をわたしはかなり時間を割いて聞くので、そこが大きい気がする。わたしだって暇じゃない。でももう、心が潰されそうな人をほっとおけない。
 でも今週は、休んでいる、ほかの先生も話を聞いてくれると伝えてもだまってしまったので、話を聞くことになった。
 もう1人の卒業生は短大に行くように勧めいろんな先生に話を聞いてもらったが、どうしていいかわからないと昼間メッセージがはいった。
 仕方がないから、アドバイスをし、夜もメッセージが入ったので、具体的な提案をして、ひとまずこれで落ち着くはず。

 みんな、どんだけじっくり話を聞いてもらえてないのかを痛感している。

6時は止まらないが

 家族は娘が学校と戦い続けていたのを後方支援をずっとしてきたこともあり、クタクタである。時はとまらないが、休憩、もうみんな家族は休憩。

 きっと「雲の上はいつも晴れ」に違いないと信じて

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