Shohei Nakaya

1970年戌年生まれの100%普通なおじさん。 永田町生まれ、赤坂育ちなシティおじさん…

Shohei Nakaya

1970年戌年生まれの100%普通なおじさん。 永田町生まれ、赤坂育ちなシティおじさんを気取りながらも 町中華の餃子をこよなく愛する痛風持ち。 お仕事は安全自動車が日々ステキな会社に成長するように マジメにお祈りしている…そんな53歳♪

最近の記事

私が組織開発に手を染めた理由。更なるつづき。

てなことで、ヒューマンバリューさんとのプログラム開発が始まります。 それが2014年の夏ころでしょうか。 その1年前から…リーダーの学びの場として  リーダーシップ開発研修 なるプログラムを2013年度からスタートしておりました。 この研修プログラムは約3年間様々なコトにチャレンジして 1年間のリーダーシップ開発プログラムを開発する! と宣言していたプログラムでしたので… 1期メンバーにはこの時点で1年半も受講していただいていたことになります。 そんな中、名前を変えて20

    • 私が組織開発に手を染めた理由。つづきのつづき。

      第2回のキャリアヒアリングを終えて… 多くのご意見や想いを受け止めて… 何から手をつけたら良いのか途方に暮れながら… 真摯に向き合ってくれた全社員の皆さんに  申し訳ないという想いと…  みんなの想いを実現したい!という想い… 強弱両面の想いがフツフツとわいてきて、 感覚的には全社員の皆さんからバトンを受け取った そんな感じで全力で駆けていた感覚です。 そんな時、慶應丸の内シティキャンパスの 「組織開発論」に出会います。 当時は“組織開発”が何たるかすら分からず 藁をもすが

      • 私が組織開発に手を染めた理由。つづき。

        こうして生まれた全社員ヒアリングである… キャリアヒアリング。 当時は「コーチング」なんてスキルもなく… ましてや「アクティブリスニング」なんて、 聞いたこともなく… 採用面接の経験を駆使して…“聴く”ことにチャレンジ。 初年度のヒアリング総勢290名に対し… 私の“聴く”スキルの未熟さ故のトラブルは3名ほど。 ま、上々のスタートでした。 しかしながら、大変だったのは1年間かけて聴いたあと。 約300人の皆さんがキャリアヒアリングに対し… 想像以上に真摯に対応してくださった

        • 私が組織開発に手を染めた理由。

          安全自動車の組織開発元年は2013年。 プログラムとして始まったのは2015年。 かれこれ10年となる訳ですが… かなりギスギスしていた頃に比べると… ちょっぴりギスギスくらいには 成長してきたのではないでしょうか。 では、なぜ当時の安全が組織開発なる アプローチに迷い込んでいったのかは… その少し前のリーマンショックの2008年頃に 遡って振り返ります。 リーマンショックにより世界経済の先行きが 不透明になってくると…  業界、社内外が疲弊しているように感じ…  私自身

        私が組織開発に手を染めた理由。更なるつづき。

          広報担当者を探して。つづき。

          で、これは大変!との思いで あらためて昨年の12月頃から本格的に 広報担当者の募集が始まったわけです。 目的は安全の組織変革に対する取り組みと 少しづつ広がるチャレンジするリーダーの方々の活動を うまく全国の皆さんにお伝え出来たら良いな… という「社内広報担当者」の方の募集。 あと、2021年4月から再導入にチャレンジしている 安全1on1ミーティングの浸透にも貢献できたら…。 社内広報ツールとして活用しているのは…  ペーパーの社内報  WebでMeta社のWorkpl

          広報担当者を探して。つづき。

          広報担当者を探して。

          noteの存在は知っていたけれど… 読むことも書くこともなく、登録だけしてほうって置いたら、 いつの間にか時間が経って… 1周年記念バッジなるものがプロフィールに加わっておりました。 ま、そんなに意味のあるモノでは無いとは思いますが… 何だか認められたようで、ちょっぴりではありますが嬉しいものです。 あるもんですね…承認欲求。 さて、私のお仕事は…安全自動車という 創立105周年を迎えている自動車のテスターや整備機器を みんなで一生懸命つくって、みんなで頑張って販売している

          広報担当者を探して。