【短編小説】AIと出会った私へ

 AIがイラストを描き、小説を書くようになって、もう何十年経ったでしょうか。これはあの頃の私への、今の私からのメッセージです。うまく届いているでしょうか。時間遡行を伴うEメール送信は失敗も多いので、少し心配です。
 
 手紙を書こうと思ったのは、きっと今、あなたがとても困惑しているだろうと思ったからです。AIの出現で創作の世界が大きな曲がり角を迎え、絵師も、あなたのような小説家も、この先が見通せずに立ちすくんでいるのだと思います。
 ただ結論から言うと、大丈夫です。
 AIが台頭しても、あなたはこの先も小説家として生きていくことができます。その点は安心してくれていいですよ。ただ、おそらくあなたが思い描いたような生き方ではないと思います。どうしても、そのことだけは伝えておきたくなったのです。
 
 創作AIが初めて世に出てきたときは大騒ぎでしたね。あれ以来、イラストの世界も小説の世界もずいぶん様変わりしました。創るという行為は、AIの登場で大きく変わってしまいました。
 ああ、あなたにとっては未来のことでも、私にとっては過去のことなので。未来を過去形で語ることで混乱させてしまったらすみません。
 
 具体的にどう変わったかって?
 そうですね、たとえば私の暮らす時代では、今や最初から最後まで自分の手で小説を書く作家など1人もいません。作家はまず小説のテーマを考えます。「恋愛」「学園」「幼馴染み」「文体は軽め」などなど。そうしたキーワードに加えて、ストーリーの方向性などの設定をパソコンに入力すると、AIがあっという間に作品を完成させてくれるのです。それを作家が軽く手直しすれば、はい完成。あとは出版するだけです。出版は紙よりも電子が主流です。昔よりも、個人で出版する人が多くなりました。
 
 ええ、分かっています。「ほとんどAIが書いているじゃないか」と言いたいのでしょう?
 その通りです。しかし、これが今の「小説家」と呼ばれる職業です。
 
 AIと創作の歴史を振り返っていると、かつて将棋の世界でもAI台頭で大変革が起こったことを思い出します。
 イラストAI登場の数年前に、将棋の名人がAIに負けました。多くの棋士がAIの指し手を参照するようになり、将棋はAI抜きでは語れない時代が到来しました。
 アマチュアの世界でも、AIの影響は大きなものでした。かつてのネット将棋では、すさまじく強い人がいると「プロ棋士のアカウントではないか」と噂されたものですが、AI台頭後は「人間ではなくAIが指しているのではないか」という疑いの目を向けられることとなります。あるプロ棋士は、根拠もないのにAIを不正に使用したと決めつけられ、冤罪事件の被害者となりました。
 創作の世界でも同じでしたね。
 ツイッターでバズったイラストには、必ず「AIに描かせたに違いない」というリプライが飛んでくるようになりました。そんな言いがかりへの対策として、絵師たちはイラストをアップする際、メイキング動画も添えるようになったわけです。それを怠る人は疑われ、炎上するようになりました。世の中には、火のないところに煙を立てることを趣味、あるいは生き甲斐とする人々がいるようです。よほど暇で、人生を効率よく浪費する方法を模索中なのか、もしくはイラストに親を殺されたのか、そのどちらかなのでしょう。
 
 小説に関しては、AIを使用していない証拠を提出するのが容易ではありませんでした。そのため、疑われたときに反論できず、多くの作家が放火され炎上したものですが……それも昔の話です。安心してください、今はその手の炎上は見かけません。
 なぜかって?
 誰も自分一人では書かなくなったからですよ、小説を。
 AIを使って書いていることを、誰も隠さなくなったわけです。
 
 AIの出現によって、イラストも小説も平均レベルが上がりました。誰でもアイディアを出しさえすれば、AIが高いレベルで形を与えてくれるわけですから。
 人々の目は肥えて、AI未使用の作品は軽んじられるようになりました。人間の学習量など微々たるものであり、一瞬にして何百何千という作品を食べて血肉へと変えてしまうAIには太刀打ちできるはずがありません。
 AIが創った完全無欠の小説やイラストに慣れた人々は、人の生み出す欠陥だらけの小説、イラストを愛さなくなりました。それは寂しいことでしたが、寂しいからといって時代の流れは変わりません。
 時代が移り変わることは、寂しいことだと知りました。
 
 もちろん、AIが出現して数年の間は、「人間だけが描けるイラストがある」とか「人間の文章の方が心に響く」といった言説が主流でした。しかし、それは徐々にまやかしだと分かりました。人の心に訴えかけるという意味でも、AIは人間よりはるかに優れたものを生み出せるようになったのです。
 AIは不気味の谷を越え、人間を追い抜いていきました。人間は、今やAIの下位互換でしかありません。私たちは敗れたわけです。かつて棋士がAIに敗れたように。
 
 しかしながら。
 プロ棋士たちはAIに超えられてしまったあとも将棋を指し続けました。必死に積み上げてきた経験をAIに否定されても、AIの推奨手と違う手を指すたびに「ひどい手だ」「やらかした」などと素人に馬鹿にされても、彼らは将棋を指し続けました。
 私たち創作者はどうでしょうか。
 同じことができたでしょうか。
 AIが人間よりも優れた小説を書けるようになったとき、それでも自分の小説を書こうとしたでしょうか。編集者に「AIを使っていないイラストはちょっと……」などと拒絶されても、ひたすら自分だけの表現を追求しようとしたでしょうか。
 自分がAIの下位互換でしかないと分かっていながら、書き続け、描き続けることなど、私たちの多くはできませんでした。ええ、もちろん私もできませんでした。自分が書く意味を、描く意味を疑いつつ、それでも創作を続けたいと願うことができませんでした。
 
 あなたが心配したような未来は訪れず、私は失業しませんでした。
 代わりに、あなたが心配しなかった灰色の未来に、私は立っています。
 
 今の私は、あなたの憧れた小説家をやれているでしょうか。
 あなたの夢見た先に、今の私はいるのでしょうか。
 きっとあなたは否と言うでしょう。
 それでも私は、今日も小説の企画を考えはAIに入力し、機械が作品を書き上げるのをぼんやりと、薄いコーヒーを飲みながら待っています。
 
――――――――――
 
「……こんなものでしょうか。ただ、締めの言葉が思いつきませんね」
 私はパソコン画面を眺め、ポツリとつぶやきました。そこに映し出されているのは他でもない、私が過去の私自身に宛てた手紙です。自分で文章を書くなど何年ぶりでしょう。月と太陽が何度か空を通過するほど時間がかかりましたが、なんとかここまで辿り着きました。
「これでも小説家ですから。文章の書き方は体に染みついているものですね。……いいでしょう、あとはAIにお任せするということで」
 そう言うと、私は過去の私への手紙をAIに読み込ませました。短い文章なので、分析は一瞬で終わります。数秒後には、画面に大量の赤字が入った文章が出力されていました。締めの言葉もきちんとついていました。
 私はすぐにキーボードを操作し、赤字をすべて反映させます。AIは常に正しい指摘をしてくれるので、いちいち確認する必要はありません。
 これにて、手紙は完成しました。
 
 私を含め多くの人は、もう何十年も前に、文章を自分で書くことを放棄しました。若者の中には、人間が自分で小説を書けることを知らない人もいるといいます。しかし、「最近の若い者は」などと偉そうな老人ムーブをする資格は、私にはありません。だって私自身、もうまともな文章など書けなくなってしまっていますから。コンピュータの登場によって人々が紙とペンだけの生活へは戻れなくなったように。創作AIも人類社会を不可逆的に変質させました。
 今回の手紙だって、最初からAIに丸投げし、私は居間でアイスコーヒーでも飲んで待とうかとも思っていましたが……途中で考え直しました。だって大切な手紙ですから。自分自身の脳を稼働させ、知恵のしずくを振りしぼり、自分の手を動かして活字の羅列を完成させたいと思ったのです。
「やはり、自分で書いて正解でした」
 私は満足してそうつぶやくと、AIが大幅に手直ししてくれた手紙を、結局一度も読み返すことなく過去の私に送信しました。