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札幌生活の終わり 転職し新たな道へ

札幌での銀行員生活、
正直、自分の会社での仕事は決して順調ではなかった。

僕は札幌支店で個人顧客向けのファイナンシャルアドバイザーとして、投信、外貨預金、保険商品の営業と相続関連の相談業務をしていた。

営業として2年目、3年目までは目標達成のギリギリラインを漂っていた。
4年目になったタイミングで社内評価のグレードが上がり、営業目標も大幅に上がった。
担当のお客様は変わらない中で、自分のスキルも至らず難しい状況を迎えていた。

会社から求められる収益目標に対して、お客様に自分自身を売り込みリレーションシップを構築し、自分の目標のために営業をしていた。

販売する商品はリスクのある投資商品。

うまくいくかどうかは確率論だと思っている。
必ず儲かるということはない。
お客様に儲けてもらったこともあれば、大幅に損失を出させててしまったこともある。

リスク分散やポートフォリオの構築、詳しい話はここでは割愛するが、営業をする中で、お客様に言われた印象に残っている言葉がある。

「濱田君のせいではないし、誰が悪いということはない。」
「だけど、もうこの先取引することはできない。ごめんね。」

60代半ばのご夫婦。
特に仲良く僕のことを信頼していただいて、好意にしてもらっていたお客様だった。

元々はノーリスクの定期預金だけを希望し取引されていたが、自分のことを信頼して投資商品の取引をしてもらった。
そのお客様に取引してもらった商品が、大幅な損失を抱えていた。

リスクを承知してもらった上だが、僕はお客様の役に立つことをしているのだろうか。

将来的に潜むリスク分散のための解決提案という程だが、お客様の役に立つ営業であると自分の中に落とし込めずにいた。

いつからか、自分が何のために仕事をしているのか、意義を見出せなくなっていた。
このまま銀行に勤めていて、この先に僕が考えているような未来はないのではないか。
銀行に勤めて、会社員として一生を過ごしていくのか。

社会人4年目を迎える時期、
自分のこれからについて改めて考えるタイミングとなった。

そもそも自分は、なんのために銀行に入ったのだろうか?

・自分がトップになり活躍したい
・そのことで家族に恩返しをしたい
・お金に詳しくなりたい

「自分がトップになり活躍し、そのことで家族に恩返しをしたい。」

このことは、自分の高校時代の体験に遡る。
自分のプロサッカー選手になりたいという夢を追うために、わがままを貫き通して挑戦させてもらった。

そのことで、家族に多大な金銭的、精神的負担をかけてしまい、家族をめちゃくちゃにしてしまった。
僕はそれに対する恩返しを何一つ、することができていない。

自分がトップになり活躍すること、活躍と共に金銭的な部分でも豊かな生活を実現させてあげたい。
そうすることで、美術家として活動する兄の負担の軽減も実現したい。
一番実現したい自分の将来像に対して、今のままでは繋がるイメージが沸かなかった。

それを踏まえた上で、僕が今後やりたいことを考えた。
当時、僕が考えたのは下記の2つだった。

(1)独立起業するためのスキル向上
(2)ローカルビジネスの役に立ち、コミュニティの発展に貢献する

一つ目は、独立なのか起業なのかは問わず、仕事をする中でスキルアップをし、その先には自分がトップとしてやっていきたい。
そのことを通して、今までお世話になった家族、これまでたくさんサポートしてくれた人や楽しく過ごさせてもらった人たちに恩返しをしたい。

二つ目については、銀行での仕事に対して意義を見出せない中で、札幌の行きつけのお店のローカルコミュニティで、たくさんの出会いと楽しい時間を過ごさせてもらった。
楽しい場を作ってくれたこのようなコミュニティ、そして出会ったみんなのことが大好きだ。

このようなローカルコミュニティを自分でも作りたい。
その活性化に役に立つ仕事をしたい。

自分自身がこのような場所を支援し、作り上げるような仕事をしたいと思った。

上記の二つを考え一つの手段として当時考えたのが、フリーランスとして働きながら、ローカルコミュニティに貢献できる仕事をすることだった。

ネットで情報収集する中で、フリーランスのエンジニア、Webマーケターが選択肢の候補としてあがった。
当時はWebマーケティングの情報配信をしている「マナブさん」だったり、その他フリーランスエンジニアというのが流行り始めていたタイミングだった。
その働き方に惹かれ、プログラミングをやってみようと3か月程度スクールに通い学んでみた。

しかし、

これを本業にするのはきついな、と直感で思った。
コードを少し書いて動かしてみて、大抵はすぐにうまくいかない、修正。
わからなければ調べて、エラー箇所を探す。
そして、また少しコードを書いて挙動を確認。
そして、もう一度、、、、、とても地道な作業だった。

自分が得意かつ、好きになれる仕事かどうかを考えると難しい、と感じた。
この仕事を本業にして稼いで生きていくのは難しいなと考えた。

そうして辿り着いたもう一つの選択肢が「Webマーケター」だ。

稼ぎ方としては多数あるが、ネット上でのコンテンツ配信やアフィリエイトサイトの運営など、自分が好きなことや身に着けたスキル、儲かりやすい商品に関する情報を発信し、収益化をしていく方法などもある。

ただ、Webマーケティングと一言で言っても、何をやるか次第でとても幅が広い。
なかなか方向性が定まらない中で出会ったのが、ローカルビジネスの支援に特化したWebマーケティングコンサルティング会社だった。

その会社では、ビジョンの一つとして下記の内容を掲げていた。

「ローカルビジネスの活性化を通じて、店舗、街・地域、国が活性化されている状態を作る」

このビジョンが、自分の考えているローカルコミュニティへの貢献とマッチした。
Webマーケティングコンサルタントという仕事で、企業のWebマーケティングの戦略設計から、コンテンツマーケティングやライティング、Web広告運用などのスキルまで身に付けることもできる。

ベンチャー企業だからこそ、自分でカバーしなければならない業務範囲が広くなるため、自分が事業を始めるにあたっても役に立つと考えた。

また、掲げている社員の行動指針にも共感した。

当時の僕は自分の営業目標達成のために、クライアント目線ではない営業スタイルになってしまうことに難しさを感じていた。

そうした中で、その会社の行動指針では
「圧倒的なクライアントファースト」
を掲げていた。

言葉自体に珍しいことはないが、コンサルタントはクライアントに対する貢献のためには手段を選ばず解決に導かなければいけない。

難しさの反面、あくまでクライアントのために仕事ができる「仕組みと環境」だと思った。

そして面接でも、将来的には独立起業したい、という意思を伝えた上で、縁があり内定を頂くことができた。

内定を頂いた後、実はかなり悩んだ。

本当に銀行を辞めてしまって大丈夫だろうか?

銀行を辞めて全くの異業種のベンチャー企業に飛び込んで、自分の力は通用するのだろうか。

いろいろな不安がよぎった。

当時の支店長からも「銀行は恵まれている」「もう一度よく考えてみたほうがいい」と何度も言われた。
しかし、自分のやりたいことと将来を考えたときに、銀行の中にとどまっているのは最善ではない。

通用しなかったら、通用するまで努力すればいい。

そんなところで折れてるようじゃ、その先の独立起業の成功まで辿り着けるわけがない。

自分の気持ちに素直に向き合った。

当時いろいろと好意にしてくれていた課長は、僕の背中を押してくれた。
僕が既に色々と考えた上で、退職の話を打ち明けていることを理解してくれていた。

話が長く(笑)厳しい課長だったけど、とても心の優しい人だった。

そして2018年11月、
転職してWebマーケティングコンサルティング会社に入社することに。

札幌のみんなともお別れ。
みんなへの感謝の気持ちと楽しかった思い出、寂しい気持ちが溢れた。

僕はいろいろなところで泣いた。
ただ、必ず成功してまた札幌でも生活しながら仕事をやろう。

金融機関からベンチャー企業への転職。
文化の違いに戸惑いながらも、ガリガリと働く日々に入っていった。

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