香山の24「魔法のコトバ」(42)

 宝くじで千円当たったり、新しく交際相手が見つかって幸福を感じても、そのたびにその、殺された家族が私の前に現れては、「いい気になるんじゃないよ」と口をそろえて言うのだ。ちょうど先ほどのKのように。
 人類がいがみ合うすべての諸悪の原因が自分であるかのように思えた。私がこんな仕事をしなければ、こんな汚い人間でなければ、とそのたびに自分への嫌悪を烈火へ注ぎ込んだ。
 仕事を終えた自分を思い出し、自分の行動を改変した。きっと今の自分があの日に戻ったなら、自分なんか死んでしまえばいい、とベランダを見ただろう。窓を開ける気すら起らないのだ。諦めの果てには黙って向き直り、ため息をつくのだろう。
 そのまま暖かい布団にくるまって寝ようとした。仰向いて天井を見上げ、目をずっと開いていた。天井にある線を引いたような模様を見れば、黒い汚れがその模様に沿っている。今この家のドアが開いて誰かが入り、私を葬ってはくれないか。そのとき決してあらゆる生への渇望を放棄する。
 死にたかった。私なんぞは死んだ方がいいのだ。
 罪を浄化する白い光があれば、それはきっと私が全力で欲しがる賜物だろう。それがないのだから、私は自害によって解毒を試みるしかないのだ。思えば、私は今までの人生で他人の行動に責任を示そうとしては失敗し、あるときは責任を持っている素振すら見せることができなかった。こんな人間がいつまでも生きていれば、これから先にもっと取り返しのつかないようなことをするのは明白な将来である。星占いに頼るまでもない。人を救うためにも、一人の人間が死ねばよいのであれば、それは大変に小さな代償だ。
 命の重さは測ることができる。そう思う人が多いから、多くの人間がトロッコに乗ってより多くの人間を救おうとする。
 飛行機が飛び立つ音が聞こえた。
 罪は水のように私を呑み込むのだろう。
 私はその水の上に立っていた、船もなしに素足で。空は快晴、周りには何も見えず、水面が空の紺碧を反射して、同じ表象をもつウユニ塩湖を超越するほどの高貴な光景がそこにはあった。生まれて初めて息を呑んで、その景色を味わってやろうとしていた。しばらくそうした後で水上に立っていた私はしゃがみ込み、中を覗き込んだ。サンゴの枝の間にはハタタテハゼやゴマチョウチョウウオ、カクレクマノミが何喰わぬ顔で泳いでいた。どれもこれも、コストさえ抑えられるのならいつか飼育したいと夢想していた魚ばかりであった。すると、後ろから水が弾けるような音が聞こえ、振り向けばそこに顔の見えない人間が、私と同じようにして水上に立っていたのだ。彼か彼女か、無根拠に私はそれを女だと信じて疑わなかった。とにかくその人間を視認すると私は何の抵抗も感じないまま、のろのろと浮遊を始めていった。水面が離れ、陽が暗くなっていくと、何時の間にか脛に刺さっていた草刈鎌を払い、貸倉庫に降り立った。
 膝は相変わらず震えていたので、煙草を吸って落ち着いた。拳銃はデニムにしまった。
 会話の接ぎ穂を失って私達は黙っていた。漸く決心した私は明に話しかけた。
「お前、嬉しくはないのかい。仮にもお前の命を奪おうとした人間がいなくなったんだぞ。お前は自分の命を失う可能性を減らしたんだ。喜べばいいじゃないか」
「それが……そう明快にもいかんのさ」
 明は何かを思い詰め、ふさぎ込んでしまったように見えた。
「どうしたんだい」
 明はうつむいたまま、私に目をくれずに扉を眺めながら答えた。
「彼を殺すことができずじまいだった。俺は自分の殺意が及ばぬ存在を初めて目前にした。彼を殺したくて仕方がなかったのに、それがかなわなかった。狂気からなるこの欲望はもはや紙やすりで削り取られてしまったのだ、それも容易で、意外な方法で。俺は、この仕事を始めてから自分の狂気を実現することを知ったし、それが生きがいにも近い存在になってしまったんだ。しかし、彼は自刃で俺の狂気を冷笑し、そして川の向こうへ行ってしまった。結局自分の能力の証明の機会は永遠に手に入らなくなってしまった」

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