香山の30「カーネル・パニックⅣ」(48)

「俺達はフィクションの中にいる、現実には存在していない、架空の存在……『登場人物』なのだ。フェータルな証拠を示す。
 思い出すんだ……俺達がこの小説の冒頭にて行った演出を。
 対談―あれは非常によくある形式だ。読んでいると目をそむけたくなるほど痛々しい気持ちになる種類のものではあるが、あれはステレオタイプのメタ・フィクションなのではないのか?
 よく考えろ。作者、だなんて、今述べたとんでもない、大それた、そして陰謀めいた理論の上にしか―俺達が現実にはいない、というあの理論だよ―可能ではないぞ。俺も野郎に記憶を消されたのか、すっかり忘れてしまうところだったが、すんでのところでとどまったんだ。お前の立ち振る舞いを見る限りはお前は完全に忘却してしまったらしいね。だが、俺達は作者と確かに会話を交わしたんだ。
 最も単純な言い方を選ぶなら、いわば、柴田隼人はこの物語における神そのものなんだ。俺達はそいつを、こともあろうに殺してしまった。殺すべきではなかったんだ。彼の緻密に計算されたお膳立てがあったからこそ、俺やお前には明確なキャラ設定があり、読者にとってブレのない掴みが望めたのに、彼がいなくなってからというものそれは否定され、俺は請負殺人を生業としながらその職業が抱えるそもその問題―法律的、倫理的な犯罪という観念から生じるものだが―に悩み始めたんだ。もう、俺には人を殺すだけの気概なんぞ一ミリも残っちゃいない。
 そうだ、お前がさっきフィクションの世界の人間が、急にノンフィクションの世界に迷い込んだ、と言っただろう。あれが完全にではないが正解に近い。俺達は結局フィクションの世界から脱出することはできていないが、筋書きを失い、性格も首尾一貫したものではなくなってしまった。
 俺達にとってこの真理は、人生における選択の全てに、自分を超越する存在による力が働いていたことを明晰に示すものだ。俺は煩悶し、一日中何の活力も見いだせずに過ごした。その結果が、あの殺人だ。神を殺すことで俺は自分だけの選択を得ようと試みた。すると……どうだ。俺は自分がかつて抱かなかった罪悪感を抱きはじめ、竹が風に揺れて葉を鳴らすような安らかな心地の苦痛を得たんだ。それは美的な筈なのに、かつての自分の醜悪を脳裏に焼き付ける忌々しい感情だった。しかし、俺は生まれ変わろうとしている。もうこんな仕事はこりごりだ。これが真に俺の望むことならば、希望に身を任せて足を洗おうじゃないか」

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