カメラを始めたら「才能」の正体に気づけた気がする話
僕が考える「才能」について
僕がカメラを初めてからこの1年で感じたことの一つとして、才能とは「努力する方向性を人より早く理解できる能力のこと」というのがあります。
今回はこの才能について、気づいたきっかけや感じたことを書いていきたいと思います。
気づく前の考え方
実は最近この考え方になったんですが、考え方が変わる前は才能がある人と聞いて思い浮かべるのは、「最初から上手くできる人、努力しなくてもできてしまう人」のことだと思っていました。
気づいたきっかけと思ったこと
気づいたきっかけとなったのは「劣等感」からでした。
これは誰もが経験あるのではないかと思うのですが、
写真に限らずなにかやっていて人と比較してしまう瞬間ってありませんか?
つい最近までの自分の考え方は、自分よりすごいと思う人の写真を見て、
「きっと才能が違うんだな。」
「自分には才能がないから…こんな写真自分には撮れない…」
こんな感じでした 笑
誰でもこんな時期あると信じたい! 笑
でもある時ふと思ったんです。
僕が「才能がある」と思っているこの人たちは、本当に最初から上手くできたのだろうか?本当に努力していないのだろうか?
冷静になって考えてみれば、すごい人たちは今も写真を撮り続けて、日々良い写真が撮れるよう努力していますよね。
当たり前なんですが忘れがちというか、意識できていなかったことでした。
今も努力し続けているのであれば、努力をしないでできる人間、ではないですよね。
「努力していない」というのは僕の勝手な思い込みなんじゃないかとここで初めて気づいたんです。
才能の正体
さて、ここまでで、才能がある(努力していない)と思っていた人たちも努力はしている、ということに気づけました。
じゃあ才能なんてものは存在せず、努力した量が違うだけなのか?
と言われるとそうではないと思います。
よくあることだと思いますが、
同じ時期に同じものを始めて、同じ時間しか努力する時間はないにも関わらず、自分よりすごいと思える人っていませんか?
そう、その人たちこそ才能がある人達であり、才能は確かに存在します。
では「才能の正体とはなにか」
抽象度の高い言葉が多くて申し訳ないですが、なにかやってるとコツを掴む瞬間って誰しも経験があるのではないでしょうか。
写真で言えば、「背景の光をボケさせて、玉ボケにして入れるとなんか良い感じの写真が撮れる」みたいな
例えが浅いのはさておき、皆さん経験あるかと思います。
写真を撮っていると、上記のようなコツを掴む瞬間が何度かあったんですが、何度か経験していくうちに思ったんです。
才能がある人たちはこういうコツに気づけるのがすごく早いんだろうな、と。
その上で、より高みを目指して今も努力をし続けている。
そりゃ気づけていない人より上達が早いし追いつけないわけですよね。
これが僕がカメラを始めてたどり着いた才能の正体、「才能とは努力する方向性を人より早く理解できる能力のこと」です。
では才能がある人には追いつけないのか
結論、追いつける。と僕は思っています。
才能の正体は努力する方向の理解、簡単に言えば気づきの早さだとするならば、意識して色々な視点から考えてみることで気づきを得たり、気づいている人から気づきを共有してもらうことで、同じ努力で同じステージに立てる、そんな風には思えてこないでしょうか。
ネット上で成功の秘訣を公開している人も珍しくないですよね。
僕はそんな才能ある人たちが公開しているものから同じ「気づき」を得ることで追いつけるし、視点が変わることで自分だけの気づきも生まれてくると思っています。
この記事が僕のようにに人と比べて劣等感を感じてしまう人や、何かで躓いてしまっている人にとって、少しでも前に向けるヒントなるといいな、と思っています。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
次回予告
次回は僕が好きな雰囲気の写真について書きたいなと思っています。
こういうのが好きなんだけど、上手く言語化できない。。と思っていたところ、ドンピシャで言語化されている方がいたので、言葉を借りつつ僕の好きな写真について紹介しながら書ければと思います。
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