【小説】つまらない◯◯◯◯ 49
セックスレスはありふれたことで、そういう状態だからといって関係を続けられなくなるということはまれなのだろう。俺にしても、セックスレスになったどの相手にしても、セックスレスになっていくのと並行して、その相手を好きだという気持ちはどんどん揺るぎないものになっていった。セックスレスになったから普段の関係が冷えたものになったということはなかった。いつもずっといろんなことを話していたし、表面的には、ただセックスやお互いの身体を触れ合わせる頻度が下がっていっただけだった。
けれど、セックス以外は楽しくやれていたといっても、セックス以外のすべてがセックスですれ違う前と同じだったというわけではなかった。セックスしなくなったことで、自分が相手に向ける顔にも言葉にも、気持ちを持ち込めないようになっていったところはあったのだと思う。
俺に対して安心していくほどに、相手は楽しそうにこちらの話を聞いてくれるようになっていった。けれど、俺のほうでは、相手が俺の話に何かを感じ取ろうとしていない気がしてきて、いつもどおりに楽しいという感じでしかないのかなとか、今の話をしている俺の今の気持ちには特に反応してくれないんだなと感じることが増えていった。相手との付き合いが長くなっていくと、俺は楽しいだけのどうでもいい話をする時間が増えて、自分が思うことをできるかぎり思ったままに話そうとする時間が減っていった。何かを一緒に見て感想を話したり、相手が何かを一生懸命話してくれれば、それについて思うことを集中して話したりしていたけれど、自分からは自分のことは話さないようになっていった。ケンカをしたときとか、別れ話とか、それにつながりそうな話をしているときくらいしか、お互いに気持ちを示し合って、相手の話に食らいつくようにして何かを思ったりしなくなっていたのだと思う。
もちろん、長く付き合っていればどうしたってそんなふうになっていくものなのだろう。付き合いたての頃のように、何でも一生懸命話している状態がずっと続くなんてことはありえないのはわかっている。けれど、そのときの俺が感じていたのは、関係が落ち着いたから気持ちを込めて話すようなネタも少なくなってきて、それが物足りないというような感覚ではなかった。相手に何か思っても、その気持ちが自分の中で止まってしまって、相手まで向かっていかないような、うまく身動きが取れない窮屈さのようなものを感じていたのだ。
大半の時間は楽しく話していたし、話しているのは楽しかった。けれど、その楽しさは、俺の意思とはあまり関係のない自動的な楽しさだったのだと思う。好きな本を何度も飛ばし飛ばしに読み返しているように、そのとき新しく何かを感じているのではなく、すでに素晴らしいものだと思っているものの素晴らしさを再確認しているというくらいの気分で相手との時間を過ごすようになっていったのだろう。素晴らしい相手といい関係になれて、それを続けられていることを大事にしないとなと思って、今日もこの人がいい人であることを確かめながら、今日もこの人が楽しそうにしてくれていることを見守っているだけになっていったのだと思う。
けれど、その距離感は、ずっとそこにいるには遠すぎるものだったのだ。相手を見守る態度が染みついてしまったことで、ふとしたときに自分が何かを思っても、相手の気持ちに波を立てるようなことは、思ったままには問いかけられなくなっていた。お互いに向け合う感情から、楽しさ以外の感情がどんどんと減っていって、そのせいで余計に楽しいようにしか何もできなくなっていった。お互いに思うことはいろいろあるはずなのに、ふたりのあいだでやり取りするのは楽しいことだけになっていって、気持ちで接する度合いが減っていくほど、一緒にいることは簡単になっていった。好きだな、いい人だなと思えるだけで、他には何も感じていないような状態になっていった。
そんなふうになったのは、セックスをしなくなったり、セックスをしてもかえって相手に距離を感じてしまうようになったからというのが大きかったのだと思う。セックスですれ違ってしまったことで、俺は相手から触れられているのが落ち着かなくなったり、セックスしようとしてもリラックスできなくなったけれど、そこで損なわれていたのは、身体をくっつけあう喜びだけではなかったのだ。
自分の身体が相手の身体を遠ざけるようになって、そして相手の身体もその遠ざけられた距離に慣れてしまって、そうすると、お互いの身体に、お互いを大事に思う気持ちとは食い違った距離感が染みついてしまうことになる。そして、相手を前にしたときに浮かんでくる気分というのは、身体の感じている相手への距離感に縛られてしまうものなのだ。セックスすることがなくなった、遠ざけておくべき身体としてお互いの身体を感じ合うようになってしまったことで、相手を前にしたときの気分も、相手と感情がぶつかり合うことをなんとなく避けて、相手が楽しそうにしているのを静かに見守っているのがしっくりくるようなものになってしまう。そして、そういう変化というのは、気分としてそれがしっくりくるからそうしているようなものだから、自然なことにしか思えなくて、これでは嫌だなと思っても、自分でどうにかすることが難しいものなのだ。
相手と近しくなる前は、お互いが心も身体も距離を縮めたいと思っているというシンプルな状態だったのだろう。そして、セックスでお互いの身体に触れ合うことを喜び合って、近くにいることが当たり前になって、その心と身体の近さをうれしく思いながら、いつでもすぐに相手に触れられることに安らぎを覚えられるようになっていく。けれど、セックスですれ違ってしまうと、相手の身体を感じながら悲しくなることが繰り返されて、相手の身体を意識するだけで身体が悲しみに準備をするようになってしまう。悲しまないように、相手にもたれかからないような体勢をとるようになってしまって、そうなると、相手がそこにいることに感じる何もかもは変わっていってしまうのだ。
それはなんとなくの感覚でしかないものなのだろう。けれど、相手からすると、それまではなんとなく自分に触れてもらいたがっているような気配を発しているように感じていた相手の身体が、自分に触れられることをやんわりと拒絶しているような、自分が触れてもいいきっかけを締め出しているように感じられてくる。話しているときに相手がこちらを見てくれていても、自分が相手に抱きとめられているような気分がなくなって、むしろ、距離を取られて冷ややかに眺められているような感覚になってくる。
そんなふうにお互いが相手の身体を遠く感じるようになってくると、無意識のうちに、自分が受け入れられるかどうかがわからないような話題を避けて、どうでもいい話題を選びがちになっていく。それはむしろ、以前は身体同士の距離が近かったり、相手に近付こうとしていたから伝えられていたことが、身体の近さが失われたことで伝えられなくなったということでもあるのだろう。相手の身体に対しての距離感が近ければ、会話で少し噛み合わなさを感じたときでも、会話がすれ違いかけている感覚が、身体の感じている近しさとずれていることに気持ち悪くなって、自然と話を噛み合わせようと歩み寄れたりする。逆に、すでに相手の身体に対しての距離感が遠くなっていると、話が上滑りしていても、身体はそれにしっくりきてしまっていて、頭だけがもっと親密なふうに話せたらなと思っている状態になってしまう。
そんなふうに頭が思うことに身体がついてこない状態になってしまうのは、無意識のまま相手へ向けていた表情や声のかけ方が、セックスしなくなったことで、慎み深いこじんまりしたものに変化してしまって、頭が思っている親密さを表現するには力が足りなくなってしまったからなのだ。セックスの中では、セックス以外の日常の中で相手と交わすよりも、気持ちよさで盛り上がった強い感情を向けている。気持ちがいいことも、うれしいことも、好きだということも、盛り上がった大げさなくらいの顔で相手に伝えている。そして、お互いのそういう振れ幅の大きな仕草や表情をうれしそうに受け止め合うことで、この相手と身体を向け合っているときは、そういう大げさなくらいの気持ちを向けてもいいのだということが、お互いの身体に刻み込まれる。それは身体がそんなふうに相手の身体を覚えているということで、だから、セックスをしている二人には、相手へのちょっとした反応を返すときにも、頭で意識しないまま、セックスした相手でもないとしないような、うれしそうに相手にもたれかかるようなニュアンスが含まれた表情がこぼれてしまう。
そういう感情の振れ幅の大きさが、セックスをして過ごす時間に担保されていた場合、セックスですれ違って嫌な感触が残ったわけでなくても、ただセックスをしなくなっていくだけで、相手への態度が無意識のうちに変わってしまうことになるのだ。相手に向ける感情の振れ幅が小さいままで時間が過ぎていくことになって、それがまた習慣として自分の身体に上書きされることになる。相手に気持ちを向けようとしたときになんとなく選ばれる表情や仕草からも、振れ幅の大きさが失われてしまう。相手に向かったときに自然と乗ってくる感情の強さの幅も狭まっていく。そうなってしまうと、自分の気持ちをわかってほしいようなときにも、相手にもたれかかるようなニュアンスが自然とついてこなくなったりして、気持ちを乗せないと言えないことが言えなくなったり、相手に伝えにくくなっていく。無理をすれば、いつからでも気持ちは向けられるとしても、いつもどおりの意識でいるかぎりは、感情表現のバリエーションが減っていって、まともにケンカすることも難しくなっていく。
セックスレスで起こるのは、そういうことなのだ。そうやって、なんとなくの距離感が変わってしまうことで、なんとなく相手に向ける言葉や仕草が変わってしまって、なんとなく一緒にいる時間の何もかもが変わってしまう。なんとなく過ごしているかぎり、セックスを喜び合っていた頃の何をしていてもいちいちうれしい感覚は浮かび上がってこなくなってしまう。なんとなくではなく、何か伝えたいことがあっても同じなのだ。以前は簡単に切り出せたことが、どういう言い方をすればいいのかわからない億劫なことになってしまう。自分の気持ちを受け止めてもらえるだろうという感覚は、ほとんどそのまま自分の身体を相手の身体が受け止めてくれるだろうという感覚なのだ。相手の身体が自分の身体を受け止めてくれるはずだと思えなくなると、気持ちを向けることは難しくなってしまう。
聡美の前に付き合った人に対して、傷付けたくないという気持ちに縛られて、思ったことを言えなくなっていったのにしたって、そんなふうに頭に身体がついてこなくなったからなのだと思う。傷付けたくないから気持ちを持ち込めないのではなく、気持ちを持ち込めないから傷付けるかもしれないことができなくなったのだ。傷付けるかもしれないけれど伝えたいことを、相手に寄り添ってその痛みをとりなしながらでもわかってもらえるはずだというイメージが自分の中になくなってしまっていて、だから、伝えようとする前に、傷付けるかもしれないことに悲しくなってしまって身動きが取れなくなってしまう。そうやって、相手を傷付けて自分が嫌な気持ちになるのを避けようとするばかりになって、自分の気持ちとは関係のないことしか言えなくなっていったのだ。
(続き)
(全話リンク)
この作品よりあとに書いたものなので、こちらのほうが面白いです
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