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【連載小説】息子君へ 1 (1 息子君へ)

1 息子君へ

 息子君へ

 君が一歳になる一ヶ月くらい前の、君のお母さんの誕生日だった日、俺は宮古島に旅行に行っていた。その日はゲストハウスに泊まっていて、夕食のあとも、みんなでくつろげるようになっているスペースで、大勢でお喋りしていた。客が自分で酒を持ち込めたし、宿にもいろんな泡盛が用意されていて、家族連れや歳のいったひとはそれなりの時間で抜けたけれど、半分以上の客は日付が変わる頃になってもだらだらと飲み続けていた。〇時が近付いてきて、誕生日になってすぐにメッセージを届けられるように、俺は携帯電話を手元に置いたままにして、メモ帳アプリに下書きしたメッセージをメッセージアプリにコピーして、お喋りも聞いている側にまわって、日付が変わるのを待っていた。そして、日付が変わって数秒で送信を完了させたけれど、送ってしまうと、思っていた以上にほっとしてしまって、もう充分飲んだ気がしていたけれど、グラスが空になっていたし、泡盛をおかわりすることにした。
 その誕生日おめでとうというメッセージは、君のお母さんとの三カ月以上ぶりのメッセージだった。あまりにも連絡しないままの時間が長くなりすぎていて、おめでとうという気持ちより、もうメッセージを送らない方がいいんじゃないかという気持ちの方が強かったし、やけくそのようにして、いかにもおめでとうという感じのするメッセージを打ち込んだように思う。
 もうすでにメッセージを書いていたし、日付が変わるときは他の泊り客やホストの夫婦とかと喋っていたから、あまりぐずぐず考えずに送ってしまえた。けれど、送ってしまって気は楽になったとはいえ、送ったからって返事が来ないかもしれないんだよなとは思っていたし、そういう気持ちもあって飲み足りない気分になっていたのかもしれない。その日は一時過ぎとか、みんなが部屋に戻るまでだらだら飲んでいた気がする。
 君は覚えていないだろうけれど、去年の十月に、俺はまだ生まれて三ヶ月とかの君に会いに行ったんだよ。それまではほとんど毎日くらいだった、君のお母さんとのメッセージのやり取りは、その頃から一気に頻度が落ちていった。たまにメッセージのやり取りがあっても、すぐに返ってこなくなって、向こうの意思で返してきていない途切れ方だったから、こっちからは送らないようにしていたけれど、そうすると一ヶ月以上ずっと何も返ってこないままになった。このままだとずっと連絡がなさそうだなと思って、去年の年末に、二ヶ月くらいぶりに「よいお年を」とメッセージを送ったら、二週間くらいして返事がきた。あけましておめでとうというやり取りを少しして、そこからまた一カ月開いて少しやり取りして、また少し開いて少しやり取りしてという感じで、四月の初旬くらいが最後のメッセージのやりとりで、それ以来のメッセージが宮古島からの誕生日おめでとうだったんだ。
 連絡がないからって、君のことも、君のお母さんのことも、毎日みたいに思い出してはいたんだよ。けれど、君のお母さんがどういう状態なのかもわからないし、用がないならこっちからは連絡しない方がいい気がして、このまま連絡がこないままだとしたら、こっちからは誕生日にメッセージを送るのがいいのだろうと思っていた。旅行中も、歩き疲れて喫茶店に入ったときなんかに、もうすぐ君のお母さんの誕生日になるなと思って、どういうメッセージを送ったものかと考えていたし、コーヒーを飲んだり、平良の街で泊まった日にひとりで飲み屋に行って飲みながらとかで、ちょこちょことメッセージの下書きを書き直して、送る準備をしていたんだ。
 今思うと、やっとメッセージを送ってもおかしくない日が来たってだけで、誕生日のことなんてなんとも思っていなかったかもしれない。君のお母さんが俺とのことをどう思っているんだろうということしか考えてなかったのだろう。君が生まれたことで、君のお母さんの中では全てが終わっていて、あとはできるだけ俺が傷付かないように関係がフェイドアウトしていってほしかったりするのかもしれないと思ったりもしていたし、そうだったとしても大丈夫な範囲で、なるべく当たり障りのない感じに、ただひたすらおめでとうというだけのメッセージを書いたり直したりしていたのだと思う。
 旅行中にそんな陰気なことをしなくてもよかった気はするけれど、別にそれほど何をしに行った旅行というわけでもなかったから、旅行気分を台無しにしたなんてことはなかったんだよ。旅行にでも行けば少しは気分が変わるかなと思って、気分の変わりそうな宮古島に来てみたというだけだったんだ。実際、いい天気の中で知らない街や見慣れない風景の中を歩いているのには無心になれた。ふと一息ついたときには、自分ひとりしかそこにはいないし、なんだかなという気持ちにはなったけれど、ずっと天気もよかったし、毎日ちょっとでも海に入って、とにかくずっと気持ちよかった。特に目的も決めずに、レンタカーすら借りずに、泊まるエリアだけいくつか決めての旅行で、のんびりできたし、ゲストハウスのひとと一緒に出かけたりとか初対面のひととそこそこ長く一緒にいるのを繰り返したし、普段職場の人間関係の中で何かを思っているのとは違うことを思ったりもして、多少は気持ちのリフレッシュになったのだと思う。
 あとは、ゲストハウスに小さい男の子を連れてきている夫婦がいて、普段公園とか電車とかファミリーレストランなんかで近くにいるのをちょっと見ているだけで、なかなか接することのない小さい子供をゆっくり眺められたのも楽しかった。その子を見ながら、君は今どうしているんだろうと思ったし、君はこれからどんな男の子になっていくんだろうと思ったしていた。その親子を見ながら、もし俺が君のお父さんになれたなら、どんなふうにしてあげられるんだろうなと思ったりもしていた。

 宮古島ではいくつかの宿に泊まったんだけど、平良の街中のこじんまりしたゲストハウスでは、ホストの夫婦の奥さんがけっこう出産直前な感じの大きなお腹をしていた。安定しているみたいで、宿のことをちょこちょこやりながら、夜はみんなとのんびりお喋りしていて、君のお母さんももうちょっと大きいくらいまでお腹を大きくしていたなと、一年前くらいのことを思い出したりもしていた。少し肌が浅黒くて、顔は比較的整っていて、目がちょっときつめな感じということでは、君のお母さんと少し似ていなくもなかったし、ちょっとねっとりした目つきで俺のことを何度かじろじろ見てきていたから、君のお母さんとお腹がだいぶん大きくなってからもセックスしていたときの感覚を少し思い出したりなんかもしていた。お腹の大きな君のお母さんとセックスしたのが最後で、もう一年以上セックスしていないことを思い出したりもして、そんなにしていないのかと、少し自分で驚いたりもしていた。
 平良は二泊して、それから伊良部島のゲストハウスに移動した。いつも常連さんがいっぱいで、ホストの夫婦と元常連のリゾートバイトのひとたちと常連さんでいつもわいわいしていて、新規のひともそこに混ぜてもらってみんなで喋ってみんなで遊びに行ったりするのが基本という感じの宿で、俺もみんなで遊びに行くのについていったり、その宿が初めて同士のおじさんに誘われてふたりで出かけたりしていた。そっちの宿はもう少し広々したゲストハウスで、みんながくつろぐスペースもゆったりしていて、みんな何をするでもないときはずっとそこにいて、喋ったり本を読んだり楽器を弾いたりとか思い思いに過ごしていた。ひとの出入りもけっこう自由で、宿の近所の漁師とか大工をしているひととかも遊びに来て、そのひとが持ってきてくれたビールをみんなでごちそうになりながら喋ったりもした。その近所のひとはずいぶんうるさいひとで、他の常連さんはそのうるさいひとにもうずっと何年も前から飽きている感じでまともに相手をしていなくて、俺がまともに応対していると、そのうるさいひとはずっと俺にああだこうだ話し続けるようになって、こっちも諦めてテンションを合わせてうるさめに喋ったりして、退屈せずに気分よく過ごしていた。夕暮れになってきたら日の入りを眺めに外に出たり、雨じゃなければ屋上でご飯を食べたり、ご飯のあともみんなが共有スペースで適度にばらけながらのんびりしていて、ゆるい身内感みたいなものが心地よい空間だった。
 その伊良部島のゲストハウスで一緒だった、ずっと昔から常連らしい夫婦が、小さい男の子を連れてきていたんだ。今二歳になったばかりだと話しているのを聞いて、君も一年くらいしたら、こんなにあちこちよちよちするんだなと思っていた。
 俺はその子と遊ばせてもらったわけでもないし、その子と何があったわけでもなくて、ただその子を眺めていただけだった。その子は発育が遅くれているらしくて、泣いたり笑ったりはするけれど全く喋らない子だった。実際、けっこう長い時間同じ空間にいたけれど、ちゃんとした言葉以前に、本人にとって意味がありそうな音を発しているのすら一回も聞かなかったのかもしれない。
 俺がそのゲストハウスに来たときには、その家族は二泊目とかで、俺が宿に着いてとりあえず荷物を置いて、その家族も含め何人かがくつろいでいるところで、お茶をもらってぼけっとしていたら、その男の子が俺の方によちよちやって来て、なんだろうと思ったら、持っていた電車のおもちゃを貸してくれた。その子のお母さんは驚いていて、この子は人見知りなのにすごいですねと言われて、すごいってことはないだろうと思いながら、その子を見てへらへらしていた。その子は、特に笑ったり何か言うわけでもなくて、電車のおもちゃを渡したあと、お母さんの方に一歩下がって、じっとこちらを見て、お母さんに「電車いいの? あげるの?」と聞かれて、俺の方にまた近付いてきて、俺は電車を手渡してあげた。その子は黙ったまま、取り返した電車を俺の前で床に置いて行ったり来たりさせ始めた。
 その子のお母さんは俺の方を見ていて「なんだろうなぁ、何がこの子を引き付けたのか」みたいなことを言っていた。俺はそんなふうに顔を見て何か探られているときにどういう顔をしていればいいのかわからなくて、軽くへらっとして首をかしげて、その子が黙って黙々と電車を行ったり来たりさせているのをまた眺めていた。
 ただそれだけのことだったんだよ。そのあとは、その子がよちよち俺に近付いてくることもなかったし、そのときにしても、単なるたまたまだったんだと思う。その子が初めて俺をまともに見たとき、「さっきもいた知らないひと」みたいな警戒する対象として認識される前に、なんとなく何も考えずに、手に持っていたものをパスしてくれたような感じだったのだろう。
 比較的というくらいなら、俺は子供に好かれやすい方なんだろうとは思う。今まで、友達の結婚式とか、子連れ可のランチ同窓会みたいなのでも、小さい男の子は初対面でもけっこうすぐに寄ってきてくれて、面倒を見させてくれたり、トイレに行くのも俺と一緒に行ってくれたりしていた。お店とか電車とかでも、小さい子と目が合ったときに、にこっとしたり、少し変な顔をしてあげたら何度もこっちを見てきて、離れるときに手を振ってくれるというようなこともよくあった。子供からしたときに怖い感じが少ないおじさんだったりはするのかもしれない。かといって、多少そういう感じというだけなのだろう。その宮古島の電車の子にしても、一回おもちゃを渡してくれたあとは他の大人と同じ扱いで、もう寄ってきてはくれなかったのだ。
 その子のお母さんは、整った顔のぱっと見てかわいい感じのするひとで、他の常連さんからはねえさんと呼ばれていた。南の島が好きで、豪華なホテルよりゲストハウスでみんなでわいわいしている方が好きなタイプの、あまり気取ったところのないひとで、常連さんとのやりとりの感じからして、よく飲んで、威勢よく喋るキャラで通っているようだった。ねえさんという呼ばれ方は目の前の女のひとにはそんなにしっくりこなくて、このひとも昔はもう少しきつい目をしていたのが、結婚して子供が生まれて、子供と生活する中で今の柔らかな表情になったんだろうなと思った。宿のひとや他の客からの扱われ方的に、お母さんの方がこの宿の昔からの常連で、旦那さんの方は、お母さんと付き合うようになってからその仲間に混ぜてもらった感じなんだろうなと思った。そんなに浮いているわけでもなかったけれど、他のひとたちののんびりマイペースな感じに比べると、その旦那さんは、いかにも東京都心で今っぽい仕事をそれなりに格好つけてやっている感じのひとなんだろうなという雰囲気で、馴れ馴れしすぎるひとには苦痛そうにしていたし、だらだらした感じの内容の話には入ってこずに携帯電話を見てその場をやりすごしていた。
 その旦那さんは、なんとなく、君のお父さんに感じが似ていたのかもしれない。君のお父さんのことは、一、二時間同じ場所にいただけで、直接何か話したわけでもなかったし、何を似ていると思ったんだろうかとは思う。とはいえ、そこそこ仕事はできるんだろうなという感じがするけれど、ビジネスマナーとか、部下とか女性を不快にさせない言葉遣いとかをちゃんとやってますという雰囲気が出てしまっていて、身体が比較的大きくてしっかりしてそうなわりにはあんまり気が強くもなさそうで、活動的で楽しいことが好きだしマメではあるし幅広い話題に対応できる方ではあるけれど、そんなに独特なものがなさそうというか、そんなひともたくさんいるだろうけど、そんなタイプということでは似ていたんじゃないかと思う。
 男の子は、まだどっちに似ているという感じでもなかった。目も眉毛も黒々してこってりめの顔になっていきそうということでは、お父さんの雰囲気が強そうだったけれど、それくらいにしか感じなかった。特に表情なくじっと何かを見詰めているか、たまににたーっと無言で笑顔になるだけで、あまり表情に変化がなかったから、似ている感じに見えにくいというのはあったのだろう。言葉が遅れていると聞いてからは、表情の少なさも含め、発達が遅れているというのはこの子のこういう雰囲気にどれくらい影響しているんだろうと思って眺めていた。
 その子が俺に手渡してくれた電車のおもちゃは、今の一番のお気に入りみたいで、何度もその電車のおもちゃで遊んでいた。ちょっと大きめのリアルな山手線の車両のおもちゃで、上についているレバーを引いたらドアが一斉に開いたり、ボタンを押すと、踏切りの音とか、「ご注意ください」という音声や、山手線の駅名のアナウンス音が流れるようになっていた。大人たちも、今の電車のおもちゃはこんなにすごいのかと、触らせてもらってはしゃいでいた。駅名のアナウンスはボタンを押すたびに駅の順番に流れていたけれど、さすがに高輪ゲートウェイのアナウンスはないようだとか、こんなにすごいんだからアップデートできたりするのかもしれないと調べるひとがいたり、しばらくそのおもちゃで盛り上がっていた。
 その男の子は、手でつかんだ電車を床や机の上に走らせるだけじゃなくて、ボタンを押して、駅名がどんどん次に進んでいくのを確かめるみたいにして遊んでもいたけれど、駅名のアナウンスを真似して喋ることは一度もなかった。ボタンを押して音が出ること自体に喜んでいる感じでもなかったし、音声をちゃんと聞き取っているし、駅名の違いも認識もしているうえで、言葉としては口から出てこないという感じなんだろうなと思った。
 男の子は普通どれくらいの時期にどれくらい喋るものなのかとか、喋らないというのがどういう原因でそうなることなのかということを俺はほとんど知らなかったし、ただその子の息遣いみたいなものをぼんやり眺めていただけではあった。喋らないという以前に、喋るという発想が頭に浮かばない状態なんだろうかと思ったり、けれど、自分の方を見て何か言われたら、何も思い浮かばなくても自分も何か言わないといけない気がしたりしそうだし、そういう気持ちの動き方をしないというのはどんな感じなんだろうとか、その子の顔を見ながらいろんなことを思っていた。
 男の子は誰もが通るみたいな感じで電車を好きになるものみたいだけれど、俺も記憶がないくらい小さい頃は電車が好きで、いろんな電車が載っている子供向けの本を買ってもらって、電車を指さして親に何という名前の電車か教えてもらって、それを覚えてというのをずっとやっていて、そのうちひとりで本の電車を順番に指さしながら、全部名前を言っていくみたいなことをしていたらしい。それは何歳くらいだったんだろうかと思うけれど、その子よりある程度大きかったのかなと思う。母方の実家が阪神電車の踏切りのすぐ近くで、俺はその踏切りで電車を見るのが好きだったらしくて、電車が通り過ぎていくのを見たのに、次の電車を見たいと言って、いつまでも踏み切りから離れられなくなっていたとか、そんな話を母親がしていた。弟が生まれる前後のしばらくの間、一家で母方の実家に住まわせてもらっていたから、踏み切りの話はきっとその頃のことで、そうすると二歳半から三歳くらいの頃には、俺も電車が大好きでしょうがなかったんだろうし、もしかすると電車の名前を丸暗記して電車の名前を口にできるのが楽しくて夢中になっていたのも、二歳とか三歳の頃からだったのかもしれない。
 俺がそうだったからというわけでもないけれど、その子の姿を見ながら、君もあと一年もしないくらいで電車が好きになるんだろうかと思って、そのとき、君はどんなふうに電車を好きになるんだろうなと思ったりもしていた。
 君ももう少ししたら、お母さんと一緒に電車に乗ったり、近所でJRなり山陽の電車が走ってくるのを見るたびに楽しそうにして、そのうち、おもちゃ屋さんで自分の目の前に現れた電車のおもちゃを欲しがるのかもしれない。そのとき、君だって、いろんな電車のおもちゃの中から、ひときわ立派な、ボタンでたくさん音が出たりドアも開く立派な電車のおもちゃを欲しがるのかもしれない。
 ゲストハウスで大人たちみんなでそのおもちゃを見せてもらっているとき、山手線以外にもあるらしいというので調べたひとがいたけれど、関西だとそのシリーズは阪急電車しかないみたいだった。君はいくつもある電車のおもちゃの中で、自分が馴染みのあるJR神戸線とか山陽電車の車両のおもちゃを欲しがるのではなく、ボタンを押したら音が出るのにびっくりして、見たことくらいはあってもほとんど乗った記憶もない、大きくて立派な阪急電車のおもちゃが欲しくなってしまうのかもしれない。
 音が出る阪急電車は、山手線とは違って駅名のアナウンスが順番に流れたりはしないようだったけれど、発車するときのアナウンスなんかはいろいろ流れるようだった。君はそのボタンを押しまくって、自分も一緒にそのアナウンスを真似して、うまくできたと思ったらにこにこするのかもしれない。もしくは、俺がゲストハウスで眺めていた子のように、そのおもちゃを大好きになって、ずっと手で押して走らせたりボタンを押して音を出したりはしながらも、ずっと何を喋るわけでもない無表情で、じっと電車を見詰めて遊び続けるのかもしれない。
 伊良部島のゲストハウスで言葉の遅れた子がおもちゃで遊んでいるのを見ながら、そんなことだってありえるんだなと思っていたんだ。そして、そうだったなら、君のお母さんはそれをどんなふうに見守っているんだろうかと思った。見守っていた君のお母さんが、声をかけて、君は振り返るけれど同じ顔で黙ったままで、けれど、立ち上がって、言ったことはしてくれて、君のお母さんはえらいねとほめてあげて、君はそれには特に反応せずに、また別のことが気になって、電車のおもちゃは置いて、そっちによちよち歩いていったりするのかもしれない。君のお母さんならそれをどんな顔で見守っているんだろうと思った。
 ゲストハウスで見ていた男の子と両親のそういうやりとりに、どこかおかしなところがあったわけではなかった。赤ちゃんや子供のことを全然知らない俺にとっては、その子が二歳で言葉が遅れているみたいだという話を聞かなかったなら、これくらいの子供は普通こんな感じなんだろうと思ってしまうような、何の不思議なところもない光景だったのだと思う。けれど、言葉が遅れていると聞いて、そういう目で見たときに、確かに喋っていないなと思って、発達障害というのはこういうことなのかと思って、改めて自分はこういうことを何も知らないんだなと思ったんだ。
 そのゲストハウスに来ていた子は、初めて海に入れてみようとなって、初めては宮古島の海がいいということでやってきたらしかった。お母さんお父さんが大好きな海が初めての海になって、海をすごいいいものとして初体験して、海が大好きな子になってくれるようにということだったのだろう。東京から宮古島だし、海というまた全然違う感触や匂いの世界に触れて、インパクトが強くて体験する情報量が多い時間を過ごすことで、その子の脳にもいい影響があるかもしれないとか、そんなことも思ったのかもしれない。
 俺が泊まった二日目、みんなで海に遊びに行こうとなって、泊っているひとたち全員と宿のひとと、車三台で今日の潮の流れでちょうどいいスポットに向かって、その男の子も海デビューした。大きなビーチというよりは、シュノーケリングするのにちょうどいいところだったけれど、安全に遊べる波打ち際はあって、その子はそこに連れていってもらっていた。俺はほとんど海に入っていたけれど、たまに陸に戻ったときにそっちを見ると、男の子が海の水になのか波なのかに大泣きして、そのまわりを大人たちが笑っていたりした。けれど、しばらく少し沖の方に出てシュノーケリングして戻ってきたときには、もう水には慣れたみたいで、全身濡れた状態で水に浸かりながら遊んでいた。そのときその子がどんな表情をしていたのかはよく見えていなかった気がするけれど、身振りや波へのリアクションとしては、楽しそうで笑い出したりしそうな感じがしていた気がする。その子のまわりのみんなも、いい天気の下で、きれいな海の前で、とても幸せそうだったなと思う。
 ただ言葉が出てこないというだけで、それもただ、他の子供たちと比べると遅れているというだけで、その子とその両親にとっては、何が欠けているわけでもないのは、はたから眺めていても明らかなことだなと感じていたのだと思う。そして、両親からしたときには、ただ言葉が出てこないだけのようでいて、言葉が出てこないだけだとは思えないのだろうとも思った。問いかければわかってくれるのに、わかったときに、わかったよという顔をしてくれないのだ。この子の中では、感じていることがあるし、思っていることもあるし、したいこともあるし、それを身振りで伝えてくれもする。けれど、この子の顔を見ていても、この子の中で動いている気持ちは感じ取れなくて、そして、両親は他の子供がどんなふうに笑いながら遊ぶのかというのを知らないわけではないし、もちろん、他の同じくらいの子がどれくらい喋りまくっているのかを知らないわけではないのだ。
 喋ってくれたのなら、その子の中にどんなイメージが浮かんだり大きくなったりしているのを教えてもらえるのだ。そうしてくれたならどんなにいいだろうと思ってきたのだろう。喋るために必要な感覚や言語感覚の蓄積が足りていないだけで、その子の頭の中には、すでにたくさんの楽しいことやうれしいことがいっぱい詰まっているのだ。アニメなんかを見ていても、誰が何を言ってどうなったということや、どんな決め台詞を言うといつもどういうことになるとか、そういうことはわかっているし、そういうことが好きになったりもしている。それなのに、喋ってくれないから、両親はその子の好きになったものも、どんなふうに好きなのかも、直接その子からは教えてもらえないのだ。
 その子はずっと電車のおもちゃで遊んでいたわけじゃなくて、たまに電車のおもちゃは放置して、お母さんのところに行って、小さめのタブレットで何かを見せてもらったりもしていた。お母さんがその子の様子から見たいものをわかってあげて、再生するところまでやってあげて見せているようだった。画面はよく見えなかったし、音も小さかったから、何を見ているのかはわからなかったけど、アニメではなかったような気がする。
 両手でタブレットの端を押さえながら、その子は画面をじっと見詰めていた。じっと目を逸らさずに見ていて、きっと夢中になっていたのだろうけれど、面白くてうれしくなっていたり、わくわくしていたりとか、そういうその子の中の気分はやっぱり表情にはあらわれていなかった。けれど、ずっとその子を間近で見てきた両親には、表情としてあらわれないからといって、その子の身体の中でずっと動き続けている楽しかったり驚いている気配を感じ取れるのだろうし、その動画を楽しんでいるのはちゃんとわかるんだろうなと思った。
 その旅行のちょっと前に、俺は自閉症児の言語習得についての本を読んでいた。それを読んでいなければ、言葉が遅れているのはどういうことなんだろうなと思って眺めているだけになっていたのだろう。その本を読んで少し興味を持ったから、発達障害についての簡単な本やインターネットの記事をいくつか読んだりもしていて、それもあって、言葉が遅れているし、他の特徴的にも、自閉症タイプの強い発達障害ではあるのだろうとか、それくらいのことは思いながら眺めていられた。
 その子はずっと笑うか泣くか無表情かのどれかだったし、呼びかけに反応がなさすぎた。それぞれのひとを別々に認識できてはいるようだったけれど、笑いかけられて笑い返さないだけではなく、笑いかけられたことを何かしらのメッセージとして受け取れていないようで、ひとが自分に向かってどういう顔で何を言っても、言葉には反応するけれど、うれしくなったり、恥ずかしがったり、怖がったりとか、そういう気持ちの反応が全く顔に浮かばなかった。
 全く喋りそうな気配もないこの子が、これからどんなふうに喋るようになっていくんだろうと不思議に思いながら、その子が電車のおもちゃと遊んでいるときと同じ無表情でタブレットを見詰めているのを眺めていた。そして、自閉症だとして、今この子は、お母さんに見守られながら、どんな身体感覚の中でタブレットの画面を見詰めているんだろうと思っていた。
 目の前にいるひとから何を言われても、ノイズの渦の中にまぎれてしまって、お父さんとお母さんの声すら聞き分けられないことが多いのだろう。それなのに、その子が手にしたタブレットから聞こえてくる声は、ひとかたまりの音として受け取れてしまっているのかもしれないとも思った。もう何度も見てほとんど覚えてきている動画の好きなシーンに無表情のまま楽しくなりながら、今も少しずつ、この子の頭の中で、こういうときにこの音を出せば、こんなふうに楽しい感じになるというように、そのひとかたまりの音に何かがあるらしいという気付きが、だんだんとはっきりしてきているのかもしれない。この瞬間にも、その子が小さな音量で流れているそのタブレットの音声を真似て、同じ音を自分の口から出そうとしてみて、そうしたときに、お母さんとお父さんは顔を見合わせて、始めて言葉を喋ったと、大騒ぎになるのかもしれないとか、そんなことを思いながら、俺はその子の動かない表情を眺めていた。

 かわいそうに思ったりしていたわけではないんだよ。俺がそのゲストハウスにいる間、その子は多少泣いたりはしていたけれど、いつもすぐに泣き止んだし、癇癪っぽい感じには全くならなかった。その子の両親も、一瞬もその子にいらいらした態度をとることがなかった気がする。何一つも面倒くさがらずに、してあげたいことを夫婦で一緒にしてあげていた。そういう両親のところで育っているから、この子はふらふらと俺に近付いて、電車のおもちゃを貸してくれたりするくらい、よくわからないなりに、人間がそんなに怖くない子でいられているのだろうと思った。
 もちろん、両親もいろんなことを思っただろうし、今でもふと不安になったりはするのだろう。けれど、そういう気持ちを充分に分かち合ってきて、これからまた不安で苦しくなっても支え合えるという信頼があったりするのだろうなと思った。今回の旅行だって、どうなるだろうと不安もありつつ、自分たちの大好きな場所に子供を連れてきてみた感じだったのだろう。そうしたら、子供も怖がって隠れてしまったりしないで、みんなのそばで楽しそうにしているし、常連の仲間たちも久しぶりに会えて喜んでくれているし、子供にもうれしそうに接してくれていたのだ。運任せだったけれど、天気もよくて、海を体験させてあげることもできた。本当に一緒に来れてよかったなと思っていたのだろう。
 俺だって、その子がうれしそうな両親や両親の友達に囲まれて、いい感情に包まれて、ちっとも嫌じゃなさそうな無表情でいるのを、よかったねと思って眺めていたんだ。そして、君のことを思っていた。この子とそこまで違わないくらい大きくなっているはずの君は、今どうしているんだろうと思っていたんだ。

 君のお母さんの誕生日、俺はそんなふうに、まだ一歳にもなっていない君のことを思っていたんだよ。
 生まれてきてから最初の誕生日のお祝いの言葉をまだ君にかけてあげられていないね。
 君の一歳の誕生日にも、日付が変わってすぐに、俺は君のお母さんにメッセージを送った。暗い部屋の中でメッセージに気付いた君のお母さんは、眠っている君に、お父さんからおめでとうだってとささやいて、頭を撫でてくれたりしたのかもしれない。
 もうずいぶん大きくなっているんだろうし、もう立ち上がってよちよちしたりもしているんだろうね。言葉らしいものを発し始めていたりもするのかもしれないし、一日一日どんどん赤ちゃんじゃなくなっていく毎日を過ごしているのだろう。
 けれど、もうずっと君に会えていない俺には、君がその後どうなっているのか全く想像もつかない。そもそも、生まれて三ヶ月くらいの頃にはまだよくわからなかったけれど、さすがに今君に会えたのなら、君が俺の息子ではなかったなら、それもわかってしまうのだろう。
 俺は君に会えていないから、君のお母さんに君のお誕生日おめでとうのメッセージを送ってしまえたけれど、君ともう一度面と向かってしまったなら、おめでとうと言ってあげようにも、おめでとうと言ってあげる筋合いすら俺にはなくなってしまうのかもしれない。
 それはとても不思議なことに思える。俺はずっと、自分を君のお父さんだと思い続けているんだ。君が生まれてきてくれてよかったと思っているし、君の幸せを願っているし、そのためにも、今からだって、君のお父さんになってあげられたらいいのになと思っている。それなのに、この気持ちは会えたとしても伝えられないかもしれないんだ。
 本当に、俺は君が生まれてきてくれてよかったと思っているんだよ。だから、せめて、この手紙のようなもので、今俺の胸の中にある、生まれてきてくれてありがとうという気持ちを伝えられたらなと思う。




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